『真実の愛』が壊れるまで4 - ルイス -
そんな関係を卒業してからも続けていた。
もちろん、ロナルドは知らない。僕とブリジットの二人だけの秘密だ。共謀していることに特別感を抱き、母がいた頃のように心が穏やかになっていた。
15歳を迎え、本格的に社交を始めたブリジットの手紙に不安が覗くようになった。どうやら、ロナルドが僕の噂をブリジットに聞かせたくなくて、行くべき夜会のエスコートを断るようになっていたのだ。
噂など、気にしたらダメなのに。何事もないように堂々と二人仲の良いところを見せていく必要がるのに、悪意ある笑いに晒したくない、ルイスの悪い噂など聞かせたくないと頑ななのだと。
そう綴られていた。
この程度の噂で、気を病んでしまっては今後の対応は難しくなる。キャンベル侯爵家は仕事柄、人の繋がりが財産になるような家だ。噂が、と言って茶会も夜会も出ないようになってはならない。それは社交界とは縁のない僕にでも理解していた。貴族など、繋がり次第なのだ。いくら今栄えていても、つながりがなくなれば次につながることなく傾いていく。いくら国で保護されているとはいえ、努力を怠った家には厳しい面があった。
ロナルドがエスコートしないのならと、ブリジットは父親と共に茶会や夜会に参加していた。だが、その動きこそ、噂をさらに悪化させていた。ロナルドは婚約者を蔑ろにして、愛人とばかりいっしょにいると。ブリジットは血筋ばかりで魅力のない令嬢だと。
僕は天井を仰いだ。
どうしたものか。確かに付き合い始めは僕の行動が噂を増長させていたが、ここしばらくの噂は僕ではなくロナルドの行動が引き起こしている。あとは牽制している愛人候補者の嫌がらせも多分に含んでいるのだと思う。噂は僕ではなく、ブリジットが中心になっている。だから僕の悪評というよりはブリジットへの嫌がらせだと考えるのが自然だった。
そもそも卒業してからはロナルドの身の回りのことしかしておらず、外に出ていない。ただ、ここで僕が出ていったら余計に面白おかしくなるのもわかっていた。
「ロナルドを……説得するか」
ため息交じりに呟き、ロナルドを説得することにした。上手くいく気がしなかった。噂の原因は僕との関係だし、ブリジットと僕が文通していることは知らせていないのだから仲がいいとは思っていないだろう。
とりあえず、キャンベル侯爵家からブリジットをエスコートして夜会に出るようにと言われていると仕事から帰ってきたロナルドに言ってみた。
実際、キャンベル侯爵家からは数日に一回、ロナルド宛の手紙が届けられていた。その時に伝言があれば受けていた。一応、ロナルドは秘書的な?立場を用意してくれていた。誰が見ても愛人なのだが、上位貴族は面白いものだ。
彼はしばらく黙っていたが、僕と別れたいと言い出した。突然のことに唖然とした。
「どうして?」
「お前が悪くないことは知っている。だが、これ以上の噂が出るようではブリジットが可哀想だ」
その言葉を聞いて、眉を寄せた。ブリジットは確かにとても華奢で自己主張が弱そうな外見をしている。だが、クラーク侯爵家の長女だ。クラーク侯爵家当主になれるだけの教育を受けているだろうし、見た目のようなか弱い女性ではないはずだ。それは手紙をやり取りしているなかで、すぐに分かった。
ロナルドの持つブリジットの印象と僕の印象が食い違っているような気がしたが、今さらのような気もした。ロナルドにとって、ブリジットだけでなく僕も儚い保護すべき相手なのだ。多分、この見かけと過剰な噂が真実でないことから、自分の守るべき相手となってしまったのだ。
それは彼の優しさであり、不思議なところでもあった。頭の中に儚い美人は保護しないと生きていけないという変な思い込みがある残念な男だとブリジットは以前こぼしていた。全くその通りだった。
「あのさ、ロナルド。今のタイミングでの別れは余計に噂を盛り上げてしまうし、今度は愛人候補が沢山押しかけてくる。もっとひどいことになると思うよ」
そう指摘すると、ロナルドは黙ってしまった。きっとロナルドだってわかっているのだ。僕がブリジットの悪い噂の直接的な原因ではないことも、このまま社交界を遠のくことでますます悪化することも。
「ロナルド」
「何だ?」
「僕は君を愛しているよ?」
何の脈略もなく告げてみれば、驚いたように口を開けっぱなしで固まった。
「どうしたんだ……」
「僕は今は別れるつもりはないよ。だから、僕と一緒に出掛けよう」
ロナルドが動かないのなら、噂をさらに悪化させて、僕に噂を集中させることにした。僕が噂の中心になれば、ブリジットには同情が、ロナルドは……我儘な愛人をきちんと制御できていると、そう思われるような噂になる。……多分。
愛人の存在はこの国では別に悪くもないのだから、ロナルドが僕を優しくしながらも窘め、ブリジットとは付け入る隙がないほど仲睦まじい姿を見せ続ければ、ロナルドの男振りが上がる……はずだ。
若干、ロナルドに関してはどうなるのか自信がないところもあるが、まあやるしかない。
噂を作るのは、誰もが僕を悪者に仕立てるのだから楽なものだ。ちょっと仲良く表に出るだけだ。あとは二人で店に入り高い物を強請って、拗ねながら妥協した安い贈り物を受け取ればいい。
皆が好む噂なんてあっという間に出来上がりだ。
自分のやることを決めると、気が楽になる。
ふと、脳裏に渋い顔をするブリジットが思い浮かんだ。一度しか顔を見たことがないせいか、彼女の顔はいつまで経っても12歳のままだった。それを面白く感じながら、どの店に行こうかと考えた。
この目論見は当たった。ロナルドが社交界に頻繁に出ることはないが、悪意のある噂は僕だけになった。
僕は二人の間に入ろうとする、弁えない愛人として噂された。
ブリジットはロナルドの愛人を容認する、できた婚約者だと評された。
ロナルドは愛人と婚約者を上手くやっている成功例だと。
概ね、期待通りだ。
そんな生活を最後のあの日まで続けていた。
******
初めて彼女は僕宛に手紙を送ってきた。嬉しさを感じながらも、嫌な予感もあった。
恐る恐るその手紙を開ける。
ただ一言、キャンベル侯爵家から届くロナルドへの手紙を必ず見せて欲しいと書かれているだけだった。
いつもとは違う手紙。
僕を気遣う言葉もなければ、ブリジットの近況を知らせる言葉もない。心のどこかが冷えるような気がした。彼女の覚悟を感じるようだった。ここ数か月、ブリジットが何かを探るようにロナルドの様子を聞いていた。
あと少しで卒業だから、結婚に向けての整理をし始めているのかと思っていた。彼女は僕にそのまま愛人を継続するようにとも伝えてきている。僕にはそんなつもりはないのだが……ブリジットにとって都合がいいなら、と迷いもあった。
だけど、この手紙を読んで、彼女の結論は別のものになったのだと感じた。
ロナルドに手紙を見せてはいけない。
慌てて、キャンベル侯爵家から届くロナルドへの手紙を漁った。昨日の日付で届けられた目的の手紙はすぐに見つかった。
僕はじっとそれを見つめ、いつものように罵倒する手紙を書いた。そして、今回はこの手紙の封を切らずに一緒に封書に入れる。いつもとは違い、僕からの手紙は入れなかった。
手が震えて、なかなかうまく入らない。時間をかけて何とか封をするとすぐに届くようにクラーク侯爵家へと送った。
これをどれほど後悔したのか、わからない。せめて、何が書かれているか読むべきだった。
あれほど、幸せになってほしいと願っていた彼女が事故にあって死んだのだった。クラーク侯爵家からの連絡が入ったのは、ブリジットが事故にあって亡くなったというものだった。
返信を出した次の日だった。ロナルドはちょうど昨日から少し遠くへ仕事に出ており、連絡は入れているがここに戻るまでに早くとも明日になる。一人、訃報を受け取り、呆然とした。
「どうして……」
いつもなら、返事を待ってから出かけるはずだ。
なのに、どうして。
僕の出した返事を見ていないことを確信していた。返事を見ていたら、ロナルドには伝わっていないことが分かるはずだ。
違う。
僕は自分の考えをすぐに否定した。ブリジットが受け取らずに出かけるなどしない。わざわざ僕宛の手紙を送ってきているのだから、何かしらの返事があるとわかっていたはずだ。
僕からの返信を受け取ったが、ロナルドが見ていないことを知った上で出かけたのだ。僕がブリジットの手紙の願い通りにしないと見越していたのだ。ロナルドに手紙を見せないと踏んで、ロナルドが来ないことを期待して……。
どうして、そんなことをしたのだろう。
ブリジットの気持ちが全くわからなかった。沢山、手紙で話した。ブリジットの考え方も理解していたと思っていた。でも違った。最後の悩みは、単純な結婚の悩みなんかじゃない。
どうにかなってしまいそうだった。
あの手紙には何が書かれていたのか。読んでさえいれば、彼女はあの場所にはいなかったかもしれない。
もしかしたら、死ななかったかもしれない。
その可能性が僕の頭の中でぐるぐると気持ちが悪いほど何度も何度も駆け巡った。
ブリジット、君は最後に何を望んだの……。
***
彼女の葬儀には、沢山の人たちが来ていた。皆、喪服に身を包み、すすり泣いている。
僕はこの時に初めてブリジットと顔を合わせることになった。前とは違う、至近距離で彼女を見つめた。誰もが悲しみに暮れていて、僕が一人で葬儀の場所にいることに誰も気が付かなかった。
もう少ししたら、仕事に出ていたロナルドも葬儀の話を聞いてここに来るだろう。そのわずかな間だけは一人でブリジットに会うことができた。
だから、じっくりと時間をかけて彼女を見つめることができた。
綺麗な死に顔だった。生きていなことが不思議なくらい。一番初めに遠くで見た時とは違い、透明感のある美しい女性に成長していた。生きてさえいれば、いくらでも幸せになれたはずなのに。
彼女の眠るような顔を見ながら、僕は壊れてしまいたかった。涙も出なかった。
心の中で大切にしていた何かが壊れた音がした。