王族なんて、大っ嫌いです!
「最期に言っておきたい事はあるか」
誰も知らない牢の中でかけられた言葉に「私」は小さく笑って、言った。
「私は、何もしていませんわ。王子のおっしゃるような事など…何一つ、しておりません」
「知っている」
それが、「私」の最期の記憶。
そして最後にできるならば今度こそ平和に暮らしたい、と願った。
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ぱち、と目を開いてそこにあったのは見知らぬ女性だった。
「目が覚められましたか、お嬢様!」
「ぁ…は、い」
「ようございました!」
ズキズキと痛む頭をなでながら身体を起こせば、そこは全く見知らぬ場所だった。
「私」が最期に見たのは、薄暗い牢の壁…そして「私」を罠に嵌めた最低の男だった、のに…今私が見ているのは、知らない部屋だ。
ここはどこなんだろう、と思って視線を横に動かせば、そこには鏡があって、「私」が…否、知らない女の子が映っていた。
「だ、誰…?」
ぱち、と瞬きをすれば、鏡の中の女の子もぱち、と瞬きをした。
まさか、まさか、と思っていたら、部屋のドアが開いて知らない女性が入ってくる。
否、知らない、わけではない。彼女によく似た女の子なら知っている。だけど、彼女には姉はいなかったはずだ。妹ならいたけど。
「ティア! 良かったわ、目が覚めたのね!」
「セシリア…?」
「私」と仲が良かったセシリア・フォーングラム伯爵令嬢の名前を言えば、彼女は一瞬きょとん、とした表情を見せたがすぐに笑みを浮かべて「私」を抱きしめてくる。
セシリア、こんなにスキンシップが激しい人だったのかしら。彼女とは小さい頃からの付き合いだけど、知らなかったわ。
そんな考えにひたっていた私だけど、彼女の次の言葉は予想もできなかった。
「ティア、いつも通りお母さまって呼んでくれないの…? まだ混乱しているのかしら…?」
「お母さま!?」
「ティ、ティア…?」
すっとんきょうな声を上げた私に、セシリアは驚いて目を丸くした。
事態が理解できない。
どういう事か、と悩んでいると、再び部屋のドアが開いて今度は男性が入ってきた。その男の顔を見て、私は目を丸くして…再び気を失ってしまったのだ。
入ってきたのは、あの時、あの濡れ衣をきせた王子の側にいた、あの女の取り巻きの一人、アーティス・エントヴァイルだったからだ。
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あの日から、もう1ヶ月が経った。
あれからまた気を失った私が意識を取り戻して事態を正しく理解するまでに、数日かかってしまった。
どうやら私は、生まれ変わり、をしてしまったらしい。
しかも、二度と会いたくない人間の1人である男の長女として。
今の私の名前は、ティアレイン・エントヴァイル。現在、10歳。一応侯爵令嬢という身分になるらしい。
だけど言わせてもらうなら、こんな生まれ変わり、望んでいない。望んでいなかった。ただ平和に暮らしたい、って願っただけなのに。
確かに侯爵家ならば生活に困ることはないだろう。非常に不本意ながら、あの男がこの家を没落させるような事態を起こしさえしなければ。
しかし、しかし、これは私の精神的に非常に宜しくない。私の中には「私」の記憶が残っていて、この男…父親に対する怒りが常に沸き起こってくるのだ。
私がどうして「私」としての記憶を蘇らせてしまったのかはわからないけど、私は記憶を取り戻す前に高熱を出して寝込んでしまっていたらしい。そして医師からは、「ここ数日が峠でしょう」と言われていただけに、意識を取り戻した私に両親(母親は納得するとして、父親はもう父親だなんて認めたくないけど娘としての愛情はあるらしい)は大喜びしたのだ。
ただ、意識を取り戻してからの私の意識は、前世と呼ぶべき私が支配してしまっているため、今では父親を毛嫌いしてしまっていた。
「記憶を取り戻してからのティアは、父様に冷たいな」
「私もいつまでも子供ではいられませんので」
「あら、ティアは私の事はきちんとお母様と呼んでくれますわ。貴方、何かしたのではなくて?」
「していない!」
「気付かないうちにしているのではなくて?」
私がセシリアの事を「お母様」と呼ぶのは、そうするべきだと判断したから。
父親の事を「お父様」と呼ばないのは、ただの意地だ。もちろん、侯爵令嬢なのだからこの先社交界に出れば、どうしてもこの男の事を「父」と呼ばなければならないだろうけど、今はそう呼びたくない。というか、呼ばない、絶対に。
ちなみにこの侯爵家には、あの男とお母様、そして長女の私と次女、そしてもうすぐ弟か妹が生まれる予定だ。妹と弟か妹には罪はないので、もちろん可愛がるつもり。
「そういえば、今度王妃様が茶会を開くそうだ」
「あら、そうですの。ですが、私はもうすぐ子供が生まれますので、欠席させていただきますわ。残念ですが」
残念、と言いながらも全く残念そうではありませんよ、お母様と思いながらもそれは言わないでおく。
意識を取り戻してから調べたのだけど、今の王は私に濡れ衣をきせたあの王子で、王妃はあの王子が寵愛していた子爵令嬢である。
だからこそ、お母様が欠席する、と言っても何も言わない。私だって、あんな男と女には会いたくない。
「ティアはどうする?」
「お母様が不参加なのですから、私が行く必要はありません」
きっぱりと断ると、あの男は不思議そうに首を傾げた。あぁ、その仕草腹が立ちます…残った紅茶を顔にぶちまけても怒られないかしら、と真剣に考えていたら、この男はとんでもない事を言った。
「だってお前、王子の婚約者になりたいんだろ」
「は!?」
「は、って…お前が言ってたんじゃないか。王子様と結婚したい、って」
それは「私」が私になる前に言った言葉である。
だからこそ、私は絶対にそんな未来を拒否する。断固拒否、だ。
「それは、子供の戯言ですわ。そんな子供の戯言に騙されるなんて、王宮できちんとお仕事できてるんですの?」
やれやれと言わんばかりにため息をついて見せれば、父親として威厳があるところを見せたいのか、この男はとんでもない事を言い出した。
「きちんとやっているさ。父様は近衛隊長だからな」
「…意味がわかりませんわ」
「きちんと王様と王妃様の護衛はやっている、って事だ」
意味が分からないが、わかりたくもないので、そうですか、と言って話を打ち切った。
「ティアが王子様と結婚してくれたら、父様は嬉しいんだけどなぁ」
この男、セシリアとの間に三人も子供を作っておきながら、まだあの女に未練があるなんて、最低すぎる。
いい加減イライラしていた私は、令嬢としてあるまじき行動に出てしまった。
「王家に嫁ぐぐらいなら、私、今すぐ修道院へ行きますわ!」
ガシャン、と持っていたティーカップをテーブルに叩き付けるなり、さっさと部屋を出た。
後日、侍女とお母様から怒られてマナーの授業を増やされてしまった事は、言うまでもない。
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それから数日後。
私にとって悪夢が現実となって目の前に現れた。
「こんにちは、ティア」
キラキラの男の子が我が家にやってきたのだ。
これは絶対、あれだ、あの男の息子だ。キラキラ具合が、あの男によく似ている。過去の「私」よ、どうしてこのキラキラに惑わされてしまったんだ。もっと早く気づいていれば、あの濡れ衣事件は起こらなかったはずだ。
しかし、今はこの目の前のキラキラをなんとかして追い返さなければならない。
生憎とこれから私はお母様と妹と一緒に、お母様の出産のためにお母様の実家の伯爵家に行くのだから。
「お久しぶりでございます。ラインフォート殿下」
「うん。元気そうで何よりだね、座ったら?」
確かに殿下の方が身分は上ですけど、私の家で私に命令するなんて、どうなんでしょう。そう思ったけど、それは言わないでおく。さっさと追い返すためには、お茶に付き合わなければならないだろうから。
私は促されるままに殿下の正面に座り、控えていた侍女にお茶を淹れるよう言う。
お茶とお菓子がテーブルにセッティングされてから、私は口を開いた。
「殿下、本日のご用件は何でしょうか。申し訳ございませんが、私はこれからお母様とフォーングラム伯爵家に行かなければなりませんので、あまり時間がないいのですが」
「あぁ、そうか。夫人はそろそろ子供が生まれるんだったね」
「はい」
そう言ってお茶を飲み、さっさと用件を言えよ、と心の中だけで念じた。
最近どうも私の中で、過去の「私」にかかわった人間とその子供に対してだけ口が悪くなってしまう。
口に出さないように気を付けなければ、と思っていたら、目の前の殿下はとんでもない事を口にしてくれた。
「そうそう、君をね、僕の婚約者にって話があって…」
婚約者、という単語に私は頭が真っ白になった。
婚約者、って何だろう。あれ、どういう事?
「父様と母様も、ティアならって言ってくれたんだ」
その殿下の言葉が、私の理性を破壊してくれた。
「殿下」
「なに?」
「申し訳ありませんが、そのお話は聞かなかったことにします。ですから、今すぐお帰りになって、婚約者の選定にお入りください」
「え、いや、だからね、ティア。君が僕の婚約者になるんだよ?」
ダメだ、もう無理だ、と思った私は。
「お断りいたします」
にこやかに笑顔を絶やさずに、言った。
我が家の侍女は先日の件を知っていただけに顔を真っ青にしただけだが、殿下と殿下に付き従ってきた護衛達は呆然としている。
王族からの申し出を断るなんて、普通なら考えないだろう。
「え、でも…侯爵は喜んでくれたよ」
その言葉に、私の決意は固まった。
「そうですか。では、私は、今すぐ修道院へ参りますので、御前失礼いたします!」
呆然とする殿下と殿下の護衛達、そして侍女を放置して立ち上がると、私は荷物をまとめるために部屋に走った。
修道女になってしまえば、いかな王家と言えども手を出すことはできない。
私がこの話を断れば、可愛い妹が王家の生贄になってしまうかもしれないが、今王族には、王太子である殿下以外に男子はいない。その殿下は、現在12歳。まだ3歳の妹が生贄になる可能性は、限りなく低いだろう。
ならば、私が逃げてしまえば、他の家から殿下の婚約者が選ばれる事は間違いない。
還俗させられる可能性は皆無ではないが、そんな事は今考えるべきではない。
今するべきなのは。
「絶対に、逃げるんだから!」
この理不尽な婚約話を、破棄する事だ。