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第六話 宴の片隅に

 夜の帳に鮮やかなネオンが輝く街を歩き、私達は適当な飲み屋を探す。丁度込み合う時間帯だったのか、辺りには同じ様な目的を持っているだろうスーツ姿の集団や大学生らしき集団が大勢歩いていた。皆何かに取り付かれたように笑顔を浮かべて騒ぎ散らしながら、通りを席巻している。

 そんな光景を見て私はふと苛立ちを覚えた。いやしかし苛立ちと一言で言い切るには端的過ぎる。何と言えば良いのか――虚しさ?うまい言葉が見つからない。

「おや、浮かない顔だねぇ、ベースくん」

 隣を歩く巴が私の顔を覗いてきた。夜の暗がりの中、鮮やかなネオンに照らし出されている巴の貌は妖しい魔力を纏わせた底知れぬ魔女のように危ない美しさを秘めていた。光を照り返す両目が私の中の形容できない苛立ちをねめつけられているようにさえ感じる。

 私は苦笑いしながら「何でもない」と答えた。巴は私の返事がお気に召さなかったのか、一転して真面目な顔つきになる。切れ長の整った両目には私の歪んだ笑顔が浮かんでいた。その光景はさながら真実を見通す女神に射すくめられているように見えたことだろう。彼女の真剣な眼差しは久しく見たことが無かったので私は驚いていた。

「悩みがあるなら相談してよ。仲間なんだし」

「そうですよ。新参者の私が言うのもなんですが、何事も抱え込み過ぎるのは良くないです」

 二人の友人から心配される私は間違いなく幸せ者だ。自分のような自己中心的な性格破綻者がこんなに優しくされて良いのだろうか。いつか……そう遠く無い内に罰が当たりそうな気がした。

「ま、暗い話は置いといて、っプァーっと飲もうじゃないか。酒は良いぞ、酒は!」

 思い出したように再び謎のテンションに戻った巴は、アハハハーと酒飲み親父のように笑った。周囲の人々は巴の不気味で騒がしい行動を不審がりながら、一定の距離を保っている。その様子に私が微笑んだときには、先ほど抱いていた気持ちの悪い澱のような気分は消えていた。

「んぉ、あそこなんてどう?」

 巴が指し示す先には三千世界と銘打たれた看板がでかでかと掲げられている店がある。外観から察するにどうやら魚介類をメインにする店のようだった。店内には客もそこそこにおり繁盛している様子。普段コンビニ弁当ばかりでまともなご飯を食べていない私にとって料理の種類を問うつもりは皆無だ。コンビニ弁当よりまずい外食はそう無いだろう。私は巴の問いに無言で頷いた。

「私もあそこで良いですよ。魚は久しぶりです」

 楽しそうにうきうきと弾むような声で楓は言った。背は高いが、仕草は幼い少女のように可愛らしい。このギャップにノックアウトされる男はきっとたくさんいるのだろうな、と私は思った。

 目的地が決まった我々は人垣をかわしながらそちらへ歩いていく。店は横断歩道を渡って数メートル進んだ先にある。運悪く横断歩道の信号に引っかかった私達は、赤く点灯している人型を眺めながら待ちぼうけを食らった。

「――やっぱりやめよう」

 突如呟いたのは巴。その声色は今まで聞いたことの無いような低さで、私は言葉よりもそちらに驚いた。さすがに突拍子過ぎる発言だったので私は巴に尋ねる。

「いきなりどうした。なんかあったのか?」

 巴は怒っているようなイライラしているような顔をして私に振り向くと、

「なんか嫌。嫌になったのよ。肉が食べたくなった。向こうの方に美味い肉屋があるそうだからそっちにしよ」

 巴は有無を言わせぬようにずんずんと通りを歩いていく。早歩きで去っていく巴の様子は実に奇妙だ。いくら彼女が破天荒を絵に描いた様な人間だったとしても、先ほどの行動は余りにもおかしかった。

 とりあえず彼女の後を追わなければ。私は横断歩道に釘付け――いや、店の方を見据えたまま動かない楓に声をかけた。

「おい楓、俺達も行こう。……どうしたんだよ」

「――」

 楓は無言で店を見据えていた。釣られて私も顔をそろえるが、遠見に見えるものは賑やかな店内か、酔っ払って愚者にまでランクダウンさせられた、頭頂部が薄目の何処のサラリーマンたちが通りを歩いているぐらいだ。他には鳩のような胸の辺りがやたら膨らんだ鳥が数羽地面を啄ばんでいる。

 駄目だ。私は彼女の美しい両目が何に縛られているのかさっぱり分からなかった。

「――あ、ごめんなさい。行きましょう」

 私の訝った表情にはっと気づいた楓は、取り繕うように笑顔を浮かべてさぁ行きましょうと小さくなった巴の後を追い始めた。

 私は二人の奇行に首を傾げつつ、最後にもう一度三千世界を見やった。何度観ても何の変哲も無い、庶民に愛されるような少し薄汚れた飲み屋街が広がるばかりだ。私は二人の背中を追うべく、一人残された横断歩道から離れた。


 ◆ ◆ ◆ 


 深夜、零時二分。私はようやく帰宅した。

 あの後、三千世界をやめて十分ほど歩いた先にあった『五炉猫』という居酒屋で私達は祝賀会(巴曰く)を開いた。五炉猫という店も多分に漏れず週末独特の謎のお祭り騒ぎが店内渦巻いていた。私達は生ビールで乾杯をした後お約束の自己紹介をしながら肴を注文しつつ、新たな仲間の存在を祝った。

 しかしながら、巴の酒癖の悪さを忘れていた私は、迂闊だった。

 巴はビールを空にした後、焼酎のお湯割を注文した。そして焼酎がを手にするなり真夏の少年達がコーラをラッパ飲みするが如くがばがばと飲み干した。するといつものハイテンションを七倍ぐらいにしたような発狂振りを見せ始めたのだ。おまけに巴は酒豪のようで、飲み放題だったから良かったものの、一升空けるんじゃないかと思うほどのハイペースで喉を鳴らして酒を流し込んでいった。美人が酒を飲んでいつもより元気な風になるなら可愛いものだが、巴のように荒れてしまえばただの阿呆かじゃじゃ馬にしか見えず、その姿はいわゆる『迷惑な客』の最上位くらいに当てられると思われた。もはや野獣。野に放たれた人型の熊のように、荒れ狂う竜虎の咆哮のように恐怖すら覚える光景だった。

 そんなものだから当然のように店員や近くの客はドン引き。私は思わずリアルに頭を抱えた。ひたすらに。

 楓はそんな巴を健気に落ち着いてとなだめ、その様子は大暴れする幼児を窘める保母さんのそれだった。私はというと周囲の客や店員に平謝りしつつなんとか店を追い出されないよう尽力した。仕事でクレーム処理をするときのようだなどと頭の隅で思いながら、苛立ちと恥ずかしさとほんの少しの憎しみがごちゃ混ぜにされた複雑な心境が続いた。

 結果、いつもの一.五倍程度のやかましさに巴を落としこめたのは私と楓の共同作業に他ならない。まるで運命を賭した芸術作品を作り上げたような達成感と疲労感がどっと肩に圧し掛かったのは言うまでも無い。

 ――しかし、苦難はそれで終わらなかった。

 五炉猫でひとしきり騒ぎ散らした後、やっと開放された――と、青い安らぎの襟元を私が掴みかけた時、ふと巴が、

「夜はまだ終わらない!あたしたちはまだ始まったばかりなのよ!」

 と大声で叫んだ。夜の帳に彼女の声はよく通る。なまじ声量があるから余計に質が悪い。いい加減私も激怒しそうだったが、残念ながらその体力は残っていなかった。頼みの綱の楓も同様で、一瞬茫然自失の表情をした後、ため息をついて無言で巴の次の言葉を待っていた。

 結局、居酒屋の後は例によって例の如くカラオケという二次会へ行くこととなった。その後のことはよく覚えていない。やたらとうるさい赤茶の長髪の女の声が何度も何度も私と楓の鼓膜を震わせていた――様な気がする。しかもシールドに繋いでもいないギターを弾きながら……。

 あんたらも歌え、と巴が時折マイクを渡してきて一度か二度は歌った気がするが、その度に歌い方を説教され私は本格的に巴を嫌いになりかけていた。酒が入るとここまで変貌するのかと、驚きと言うよりもそれを飛躍して恐れを感じ始めていた。そして私は学習した。アルコールは特定の人種に強烈に作用する麻薬だ。もしくは人の心を狂わす魔法の薬。私はそれらを深く、鋭利なナイフで自らの肉体にメモするように心に刻み込んだ。それぐらいの苦痛を今日は味わったのだ。辛い。

 それにしても楓には悪い事をした。本当に思う。彼女は一体何をしに来たのか分からなかっただろう。二人との別れ際、私は巴に代わって何度も楓に頭を下げた。

 そうして家路を歩きつつ、馴染みのコンビニで朝ごはんの菓子パンを買いつつ、マンションのドアを開けて今に至るのだ。疲れた。本当に疲れた。

 私はもはや思考停止しており、コンビニの袋をカーペットの上に適当に放り投げたあと五分以内でシャワーを済ませてベッドに転がり込んだ。幸い明日は日曜日。時間を気にせず身体を休めよう。

 瞼を閉じたとき、ふと私は小さな異変に気づいた。いや、異変というほど大げさではないが、これまでの日常とのちょっとした差異に意識が引っかかった。

 ――そういえば、今夜は灰色の猫に遇わなかった、と。

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