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第十七話 小さな団欒

少しレイアウトを変えてみました。

 

 トントントントン……。

 

 野菜を刻む音が事務所に響く。一階はテレビもラジオも無いので、ほとんど無音だ。換気扇の機械的な風音が低く聞こえるが、微々たるものである。

 

 午睡の後モラと共に近くのスーパーマーケットで米や野菜を購入した。道中、モラは猫状態で付いてきたが店に入る前に物陰でこっそり人型に変身した。一体どういう風にして変身しているのか疑問だが便利なものである。そしてちゃんと物陰で姿を変えるあたり、周囲への気配りはできているようだった。

 

 だが彼女の人型は目立った。日本の風景にあまりにも溶け込まなさすぎるのである。周囲の視線を掻っ攫うその美貌もさることながら、蒼い外套という服装もかなり人の目を引いた。平凡すぎる見た目私が隣にいるせいで余計にそれが際立ち、大変恥ずかしい思いをした。もし事務所に彼女用の普通の衣服が無ければ今度買ってやる必要があるだろう。


 私はニンジンをみじん切りにしたあと、水を貯めた味噌汁用の鍋に火を点ける。いりこを三匹ほど入れており、出汁を取る予定だ。

 

 普段は味噌汁なんて手間のかかる物は作らない。一人分の味噌汁なんて面倒この上ない料理だ。

 

 だが今は一人ではない。そう考えると手間のかかる面倒くささはあるものの、何となく料理を作る手が躍るというか。なぜだかは良く分からないが柄にもなく優しい気持ちになっていた。


 一人より二人、二人より三人と、複数人で食べる食事は確かに愉しい。団欒というやつだ。父と共に暮らしていた頃は、確かに――例え侘しい料理でも――楽しいと感じていた気がする。そういえば父がどこかへ行ってからずっと一人暮らしだった。そう考えると今日のような日は何年ぶりになるのだろうか。


「アイムホォーオムっ!」

 

 唐突に変な声が聞こえた。ミランである。いつもあんな声を上げているのか。


「ボウヤ、いるか?」

「いますよ」


 返事をすると、荒い足音を鳴らしながらミランがキッチンに顕れた。


「うむ、ちゃんとご飯を作っているな。よろしい。ちなみにメニューは何だ」

「焼き飯と味噌汁と豆腐。あと食後のリンゴ」

「うむ、まぁいいだろう。私は肉が食べたかったが、飯を作らぬ者が料理人に文句を言う資格は無いからな。しかしまぁ私は肉が食べたかったがな。リンゴというチョイスは大変良いとだけ言っておこう」


 文句言ってるじゃないか。あんた。


 私はピーマンを刻みながら鼻でため息をつくと「できたら呼びますよ」と言った。遠まわしにどこかへ行けという意味である。


 しかしどう捉えたのか分からないが、ミランはおお、そうか、と鷹揚に頷いた。


「手伝ってやりたいが仕事があるのでな。モラを借りていくぞ」


 モラ、来いと言いながらミランは三階へ上がって行った。足元で猫状態でお座りをしているモラは私を見上げている。行ってこい、というとモラは回れ右をして階段へ向かった。


 私はそのまま一人黙々と作業を進め、料理を作っていった。

 



 ミランとモラ、そして私の三人の団欒は静かなものだった。時折ミランが妙なことを口走る以外は淡々とした食事。しかし、私にとってはそれが嬉しかった。うまく言い表せられないが謎の安堵感がある。自分の作った料理を美味しそうに食べてくれるのが嬉しいのか、この状況に対して嬉しいのか、はたまたその両方なのか。自分では良く分からない。


「時にボウヤ。君は得意な教科はあるか」


 鰹節を乗せた冷奴をスプーンですくいながらミランが言った。


「これと言って何も。好きな教科はありましたけどね」

「ほう、例えば?」

「理科と体育。あと国語も好きでしたね」

「ふむ。調合と肉体労働、そして論理哲学的な分野に関心があるということだな」

「なんでそう固定的なジャンルになるのかわかりません」

「あくまでこちらの世界での話だ。表では日の目を見ない分野がこの裏世界では大変重要なのだよ。ボウヤの適性を考えた上で、トレーニングメニューを定める必要があるからな」

「トレーニングって何を鍛えるんですか」

「ボウヤの能力を自分自身でコントロールできるようにする。ボウヤの能力は突発的に発動して万が一暴走したら最悪国が亡ぶ恐れがある、らしい。それを未然に防ぐためにもボウヤには自分自身の能力を理解し、制御する必要がある。もはや義務だ。それが嫌だというなら死ぬしかない。もしかすれば、悪用される前にボウヤを殺せという指示が来るかもしれないな」

「……」

「冗談だ。しかし多大な力を持つ能力なんてものは、持ち主がしっかり管理するべきだとは思わんかね?まして誰にも扱えない代物であれば尚のこと。私は別に無理難題を言っているつもりはないからな」

「……分かってますよ」


 思わず止まってしまった手を再び動かし、焼き飯を口へ運んだ。美味くできているはずなのだが、ぼそぼそとした土を噛んでいる気がした。


「とりあえず食後に少し休んでから始めるとしよう。今日は初日だからな。それほどハードにはせん。安心したまえ」

「そうですか」

「そうだ。ちょっとしたテストをするだけだ。ところでリンゴは一人何切れまで食べていいのだ」

「一人二つです」

「やはりな。六等分しているということはそうだと思ったよ。質問をしておいて良かった。危うく五つ食べるところだった」

「見たらわかるでしょ」

「その考え方は危ういぞ、ボウヤ。自分の考え、もしくはこれまでの経験で癖になっている事柄を赤の他人に強要するのは、危険極まりない行為だ。それらは思いもよらぬトラブルを起こし、しばしば己を窮地に立たせてしまう。面倒でも説明をしなければならないことは事前に説明をするべきだ。何かあってからでは遅い。死んでからでは、元も子もないだろう?」

「やけに話が飛躍しますね」

「最悪の事態を想定しろというのだ。すなわち、どうすれば自分が死んでしまうか。その状況を避けるように動けば生き残れる。ボウヤのような常識人は防衛本能が著しく低下しているからな。普段使わない頭だから難しいだろうがどうにかしろ。こういうのは口で言ってもわからんことが多い」

「善処します」


 ずずず、と味噌汁を吸う。味噌汁の熱が体に染み渡るように広がりほっとする。


「頼むぞ。私やモラで庇いきれないことが今後必ず起こる。くれぐれも、油断はせぬことだ」


 ミランはリンゴをひとつ摘まんで口の中へ放り込み、もしゃもしゃと咀嚼した。


「……私は、ジンを護ります」


 隣に座るモラが唐突に呟いた。ミランと私は思わず彼女の方を向く。


「主を護るのは、使命です」


 モラは珍しく真剣な声色で話す。表情もいつもとは違い真面目な印象を受ける。彼女の瞳は透明ではなく、色濃くその意思を確かに示していた。


 そんな少女の眼差しを受けて「そうか」と思わず苦笑いする。


「ありがとう。そのときは頼むよ」


 言いつつ私は彼女の頭にぽんと手を乗せた。手の平から伝わるその小さな存在を感じながら私は思った。こんな弱弱しい子に護られるようではいけない、と。


 だが今の自分はおそらく様々な面でこの華奢なモラよりも弱い。故にいち早く強くなり、この裏世界とでもいう側での生活に馴染む必要がある。自分の命が掛かっているのだ。ふざけている余裕はないだろう。


「まぁモラならちょっとした足止めや弾除けくらいにはなるな。ボウヤも早く強くなることだ。モラを傷つけたくないのならな」


 こちらの思考を読んだかのようにミランは言うと、蛇のようないやらしい笑みを浮かべた。悔しいがこの女には頭が上がらない。腹の立つことを言われ例え反論したところでミランという牙城を崩すことはできない。それは偏に自分が弱いからだ。おまけに知識もない。無念という意外に言葉が見つからなかった。


 私は胸の中にもやもやと立ち込めている燻るような気分を吐き出すように「分かってますよ」とぶっきらぼうに答えると一気に焼き飯を平らげた。これからどんなトレーニングが行われるのか見当もつかないが、最善を尽くすのみだ。もはややるしかない。

 

 二個目のリンゴに手を付けたミランは、ふとなんでもない風にモラへ話しかけた。


「ところでモラよ」

「はい」

「お前、ご飯はもう食べないのか?」


 見ると、モラの皿には焼き飯が三分の一ほど残っている。そしてモラの手にはりんごがある。察するにメインディッシュはもういらないということか。


「もう、お腹いっぱいです」

「なら私が食べても問題ないな」


 どこかで見たような光景だ。それも直近に。


 モラは私の顔を見上げている。私はため息を一つついて「あげなさい」と言った。モラは器をずずずとテーブルの上を滑らせてミランの方へ寄せる。


「残すのは地球に害だからな。料理を残すということは作ったものに対する冒涜だからな。例え満腹でも完食するのは礼儀だ。いいな、ボウヤ」

「なんで僕にそんなことを言うんですか。別にミランさんが大食いだなんて思ってませんよ」

「よかろう。そんなにやる気があるのならトレーニングレベルを十九から七十四まで上げてやる」


 どうしてそうなる。そして上げすぎだろ。


 あーもう、と頭を掻きむしりながら、私はりんごを一かじりした。ほのかな酸味と果実の甘味が口の中に広がる。うむ、やはり食後はりんごだ。


 しかしてその優しいおいしさは、古い記憶と共にゆっくりと口の中に消えて行った。



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