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第十四話 休息

 東京は何度か来たことがあった。

 会社の研修で数か月過ごしたこともあるし、小さい頃に父に連れられて来たこともあった。

 突然だが私は東京の空気は少し苦手だ。雑多な気配は落ち着かないし、満員電車は苦しいし恐ろしい。押しつぶされて呼吸困難になったこともある。どういうわけだか知らないが、締まる扉に首を挟まれてなんとか脱出した女子高生も見たことがある。都心の落ち着かない気配は、どこか混沌として人の目に見えない部分の何らかの力が複雑に絡み合って作られていると私は感じている。

「浮かない顔だな、ボウヤ」

 ミランはそういうとうどんをずるずるとすすった。大きな稲荷が二枚乗ったきつねうどんである。似合わない。彼女のような金髪の妙齢の美人が田舎くさい(都会でありながら)店のうどんを食べている姿はミスマッチにも程がある。客が少ないせいか、ジロジロ見てくるのは誰もいないのが幸いである。

「いい加減名前で呼んでくださいよ」

「いいじゃないか。それより食べないのか?この私のオゴリだぞ?上司の好意を無碍にしては色々とマズイことぐらいいわゆる社会人経験が長い君なら良く分かっていると思うが」

 ずるずるずる。

 言いつつミランは口にドングリを詰め込み過ぎたリスのようにうどんを頬張った。余程ここのうどんが好きなのだろう。

 私はその様子に肩をすくめるとようやく自分のうどんに一口つけた。そしてため息交じりに呟く。

「なんとなく落ち着かないんですよ。都会は。なんだか人の世であって人の世じゃないような。ここだけ過ごす時間間隔がおかしいというか。楽しい時も、辛い時も」

「ふむ。間違いではないな。良い勘をしている。人が増えればそれだけ交錯する思想も力も権力も増える。それだけに、西よりも肌に触れる風当りに違和感があるのだろうな。外国に旅行へでも行ったら良く分かると思うぞ。世間は広いということをな」

「そんなちっぽけなことグチグチとこねくり回してもしょうがないじゃん。ほんとジンはネガティブ草食系根暗男子よね」

 巴が大変に失礼ないことを言った。しかしあながち外れてもいないのが悔しいところである。

 下手に反応すれば返り討ちにされそうだったので私は反論も肯定もせず、放っておくことにした。私は自分の野菜天うどんのつゆをレンゲですくって口へ運ぶ。いりこと鰹だろうか。とても香ばしい。大阪の鶴製麺とはまた一味違う美味しさだ。その旨さに巴への怒りは幾分か静まった。

「トモエ。その発言には異議があります」

 まさかの助け舟が楓から飛び出してきた。私は驚いておお、と感嘆の声を上げる。

「白綱さんは決して根暗では無いと思います。彼は思考の時間が長いため無言の時間が長く、さらに結果として少しネガティブなことを話しています。一見するとトモエの言うとおりネガティブ草食系根暗男子と言えるかもしれませんが、それは彼の思考方法がこちらに関する無知と常識の範囲内から導き出されたものだという理由があります。そのことを考えればこれまでの発言もある意味仕方のないことだと思えます。故に一言で草食系根暗と断言するのは偏見に近い意見だと私は考えます。そうですね……あえて名を付けるのであれば、迷走心理型内向的男子というのが近いかと」

 長々と大真面目に何を言っているのだ、こいつは……。

「お前ら、いい加減にしろよ……」

 呆れ返った私はこめかみを抑えながら低く唸るように言った。これからこんなやり取りが続くのか。体ではなく精神が持ちそうにない気がしてきた。

 そして苦悩する私の姿が気に入らなかったのか、尖がった声で巴が言った。

「何怒ってるのよ。レンコンの天ぷら取るわよ」

「ヤだよ」

「ケチ」

 巴は不機嫌そうに目を細めると、「イソジンのくせに」と毒づきながら自分の肉うどんを貪り始めた。なぜにレンコンを彼女にやる必要があるのか。そしてなぜこちらが悪いように言われるのか。はなはだ疑問である。やるせなさに思わず嘆息が漏れた。

「おい部下ども戯言はそこまでにしてよく聞け」

 突如ミランが凄味のある声で話し出した。ただならぬ様子にはっとして彼女の方を向く。

 ミランは一度箸を置いており、いつもの鋭い目を光らせていた。緊迫感が高まる。

 そして全員の視線がミランに集まった後、彼女は再び話し出した。

「事務所へ戻ったらまず掃除だ。楓は箒で床をはけ。巴ははたきを持って埃をとれ。ボウヤは机と窓を拭いて皆の掃除が終わった後はコーヒーを淹れろ。ボウヤ、不明点は巴に聞け」

 何を言われるかと思えば……。真剣な眼差しできわめて呑気なことを指示されたので私は拍子抜けした。それにしてもひどい扱いである。完全に小間使いだ。

「分かりました。ボスは?」

 楓は素朴な疑問をミランに問う。するとミランは目つきの悪い目を一層細めて業物のような鋭さの瞳を楓にぶつけた。まさに『目で殺す』を地で行く彼女の風貌はある意味天が与えた才能ではないのかと思うほどである。そしてさすがの楓もミランの瞳にたじろいだか表情が強張っている様子。蛇に睨まれた兎といったところか。なかなか不思議な光景だ。

「……用事があるのだ。詮索は許さん」

 有無を言わせぬ返答に固まる一同。お店のおばちゃんも固唾を飲んで様子をうかがっている。

 しばしの沈黙の後、私はこの膠着した状況を打破すべくミランに質問をした。

「モラはどうするんですか」

 ギロリ、と音がした気がした。彼女の瞳には本当に魔力が宿っているようだ。漫画やアニメで『邪眼』という言葉が出てくるが、まさに彼女のような目のことを指すのだろう。

「……すまないなボウヤ。出し忘れていた指示がある」

 ミランは一度言葉を区切った。

「掃除を終えてコーヒーを淹れた後はモラと買い物へ行って晩飯を作っておけ。事務所にキッチンがある。そこを使え。掃除をしているときに道具を調べて必要なものがあれば購入しても構わん。領収書をとってくれば経費で落としてやる。……以上だ」

「オッケー」「分かりました」

 巴と楓が了承する中、私は隣に座っているモラの方を向いた。

 案の定、モラは相変わらずの無表情で私の目をまっすぐに見つめてくるばかりだった。彼女の手元の野菜天うどんは、まだ半分くらい残っているのに箸が置かれてある。小食なのだろうか。

「ねぇモラ。それ寄越しなさいよ。どうせ食べないんでしょ」

 半ば脅迫じみた言いぐさで巴がモラに言い寄ると、モラは少し逡巡した後器をずずず、と巴の方へ差し出した。さながら民から税をむしり取る領主のように見える。

「まるでガキ大将だな」

 思わず皮肉を言うと巴はキッ、と私を睨み付けた。

「うるさいわ。残したら勿体無いでしょ。エコなだけよ。それともあんた食べたかった?」

「いや、いいよ」  

 私は手を振って断ると、自分のうどんに手を付けた。さっさと食べよう。巴に絡まれたら面倒だ。

 ふと、ぷりぷりのイカ天にかじりつきながら巴が呟いた。

「ネコ状態ならもっとエコにできるんだけどね。というかそもそも死なないんだからご飯食べる必要も無いのか?実際どうなのミラン?」

「厳密に言えば食べる必要はない。しかし『不死』という特性以外は基本的に通常の生物同様だ。喰わねば腹が減るし、飢える。痩せもするだろう。病気にもかかる。ただ、どれだけ追いつめられても死ぬことはない。ただそれだけだ」

 丁寧に両手で湯呑を持って食後のお茶をすすりながらミランは淡々と答えた。死にたくても死ねない、という状況にも成りうるということか。それはそれで苦しいことなのだろう。

 私は再びモラを見た。紺色の外套に身を包んだ彼女はただ虚空を見つめている。透き通るような美しさの陰にはどす黒い魔力の奔流がぐるぐると廻っているのだろう。魔力。

「……魔力か」

 実感の沸かない言葉だ。言葉のあやで使用したことはあるが、大真面目にその言葉を使うことになるなんて思いもよらなかった。今も正直何のことを指すのか、表しているのか定かではない。自分にも宿っているのかどうかも分からない。

 改めて振り返ると分からないことだらけだ。自分は何ができて何をこれからしていくのか。

 今確かなことは、世の中には『裏』があり、日陰で暗躍している存在がいること。自分は今そちら側へ足を踏み入れたこと。そして白重幽菜に命を狙われていること――。

 先が見えないな……思わず私は小さく呟く。少し不安になってきた。何となく、あの黒い死の影が忍び寄る気配がして背筋がぞっとした。

「私は、あなたを護ります」

 ふと傍らからか細い声が聞こえた。モラだ。

「護ります。私の使命」

 そう続ける彼女は無表情だ。真剣さが感じられない。しかし、彼女の小さな手は私の服の裾を強く握りしめていた。

「モラ、ボウヤの監視はもうしなくていいのだぞ。必要が無くなったからな」

 茶をすすりながら言うミランの顔は真剣だ。使い魔の主としての風格が見える。

「私は、白綱仁を護る必要が無い」

 主の方を向きながらモラはオウム返しをすると服の裾を握る手を緩めた。

「そうだ。ボウヤはこれから鍛えるからお前があれこれする必要は減るだろう。……しかしそうだなぁ、ボウヤがある程度の強さを持てるまではいざという時の身代わりとしてへばり付けておくのも手か。うむ――モラ、新しい指示だ」

 ミランは湯呑を置くとモラに命ずる。

「これからお前はボウヤにご奉仕をするのだ」

 ………………………………………………。

「今後、すべての指示はボウヤから受けろ。そして正確に従え。自分で判断して行動する場合はボウヤの了承を取れ。なお、緊急の場合は私から魔力を交えて命令する。以上だ」

「ミランさん!?ちょっとあんた……!」

 我慢できずに口を挟むと、ミランはむっとした顔をした。

「上司にタメ口とはいい度胸だ。トレーニングスケジュールのレベルを二から十九まで上げることにしよう」

「上げすぎだろ!いやそれにしてもその指示は何なんですか、奉仕ってなんだか……」

「何が不満なのだ。主と僕の関係とは本来そうあるもの。日本では上の者に滅私奉公することが美徳なのではないのか」

「それは昔の話です。僕は部下なんか持ったことないんでちゃんと指示ができるかどうか」

「ならばちょうど良いではないか。上に立つものの行動を学べばいい。何を戸惑っているのか知らないが、そもそもこれはボウヤに対する命令でもあるのだ。私がいいと言うまでモラを飼い馴らせてみせよ」

 そういうミランの目は鋭さが減っており、どこかにやついている。怪しい。明らかに怪しい。

「しかし新参者の僕が……」

「っっったくぐちぐちうるさいわね!」

 痺れを切らして舌打ち交じりの横槍を入れてきたのは巴だ。

「何がそんなに嫌なのよバカ!いろいろ面倒なことをお願いしたらいいだけのことでしょ!ヘタレにも程があるわよあんた!」

 巴はガミガミと大声でイライラを爆発させると、肩で息をしながら小休止をとる。お店のおばちゃんは困ったような笑顔で微笑んでおり、楓が慣れた動きで頭を下げていた。

「ただ言っておくけどね、もし変なことをモラに命令したらあんたの頭をあたしの鉛玉が粉砕するからね!」

「誰がやましいことを命令するか!」

「ほらやっぱり何か考えてたんじゃない!」

「お前が突っかかってきたからだろ!」

「お前たちそれ以上喋るとここの支払いをしてもらうぞ」

「……!」「……!」

 シン、と訪れる静寂。ミランの魔法の言葉でつまらない争いは意外にもあっさりと終止符を打った。

「それだけ言い合えるということは休憩はもう十分だな。店を出るぞ」

 ミランは湯呑の茶を飲み干すと椅子を引いて立ち上がった。続いて楓も立ち上がる。そのまま二人はそそくさとレジの方へ向かった。残された気まずい表情の私と巴はお互い数秒見つめ合う。

「(ジンのせいで怒られたじゃない)」

「(異論のある発言だが、後にしよう。また怒られる)」

「(それもそうね。ならこの勝負はお預けね)」

 巴は小さく呟くとさっと立ち上がり、出口へと向かった。

「……どうしてこうなった」

 一人残された私は重いため息をついた。そして再び服の裾が引っ張られていることに気づく。

 目を向ければ早速指示を待つモラの姿があった。思わずたじろぐような美しさを持つ彼女がこれから私の部下だという。白金の髪も、翡翠の瞳も、玉のような肌も、私のものだという。

 ふと私は気分が悪くなった。会社での生活を思い出したのだ。好き放題扱われる自分。それに結局従う弱い自分。モラの姿が重なり、一瞬目眩がした。

 自分が受けたような苦しみはくれぐれもモラに与えないようにしよう。こんな儚い少女に苦しみは似合わない。……そう、苦しみは、モラには似合わない。

「……」

 知らず彼女の頭に手を載せていた。似たようなことがいつかもあった気がする。癖のないしっとりとした毛並。静かな温もり。真珠のような艶と輝きに満ちたその髪をすくだけで幸せな気がしてくる。

 モラはただただ私の服の裾を握りしめるだけ。彼女の両目は静まり返った水面のように静かで、その美しい虹彩は揺らめいている。きめ細かな肌は新雪のようだ。穢れを知らない無垢な白がただ傍にある。愛おしさに似た穏やかな空気が緩やかに流れる。

 ――ふと、言いようのない気配を感じた。敵意。

 ゆっくりと、ゆっくりと視線を先にしながらその気配を辿ると、出口の前で腕を組んでいる巴が居た。赤茶の髪は風もないのに逆立つように揺らめいて炎のように見える。仏。不動明王が降臨されたのか。いつのまにやら世はすでに末法なのか。

「モラ、行くぞ。怖い人間が待っている」

 私は頭を振って気を確かに持つと、立ち上がってモラを急かして立たせた。そしてそそくさと歩きだす。怒りの巴菩薩は「フン!」と店いっぱいに響く声で不満を漏らすと、乱暴に店から出て行った。レジ前ではおばちゃんが困った笑顔を浮かべていた。

「ごちそうさまでした」

「はいよ。またおいで。巴ちゃんに気を付けてね」

 彼女の危険性はおばちゃんもご存じのようである。あの様子を目の当たりにすればそれもそうか。

 私は無言で頭を下げると、モラの手を引いて急いで店を出た。


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