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第十二話 困惑の理由

 楓が淹れてくれた紅茶を飲みながら、私は必死に冷静になろうと努力していた。

 何一つ、現実感がない。

脳内を巡る言葉はそればかりだ。彼女らは怪しい宗教にたぶらかされて頭がイってしまった人間なのか。それとも大真面目に妄想に取りつかれた狂人なのか。

 金髪のミランとかいう女まで出現し、ご丁寧に事務所まで借りて、彼女らは何が目的なのか。湧水のように疑問がどんどんと湧いてくる。

 そして灰色の猫。あいつは確かに死んだはずだ。見間違えるはずは無い。しかし今、こうして私の足元で眠っているのも私の知る灰色の猫だ。なぜ生きているのか。双子?分からない。

 そもそもなぜ彼女らは私を引き込もうとしたのか。私に何を求めて、何の理由があってこんなけったいなことをしているのか。こめかみを抑えながら、私はふと金髪の女の方を向く。

「ミラン、さん」

「なんだね。質問は端的に言いたまえ」

 ミランは書類に目を向けたまま返事をした。私は熱心に書き物をしている彼女に向かって問いただす。

「何のために私を呼んだのですか」

 私の言葉にミランは手を止めると、改めてこちらを見た。冷徹な刃物のような目が私を捉え、意外な答えを出した。

「それは君の父の依頼だ」 

 唐突な言葉にどくり、と心臓が高鳴る。私は背中に汗が一筋流れていくのを感じた。

「君が大学生になって程なくして、丞児氏から打診があったのだ。息子を見守って欲しい、とな。理由は詳しく知らんが、料金も貰ってきちんと契約したのだから仕事は全うしなければならないだろう。それにな、丞児氏だけの理由ではなく私が所属している組織からも命令があったのだよ。君を保護しろとな。まったく君は恵まれているな。色々なところから愛されている」

 丞児とは確かに父の名である。高校生になった途端、会社から海外転勤を命ぜられそれきりまったく会わない――会ってこない――たった一人の肉親。仕送りだけは定期的に送られてくるが、便りの一つも寄越してこない――寄越そうともしない。父親が私に対して冷めてきたのは何時頃だったろうか。小さい頃……例の交通事故に遇うまでは優しかった印象がある。だがもはや顔すらうろ覚えだ。

 そしてこの理解不能の事態を招いたのはそんな父親からの依頼だという。おかしな事をいってくれる。

「君は知らないかもしれないが、丞児氏は優秀な学者でね。世間の裏ではかなり顔が利くのだよ。トラベラーと呼ばれてね、様々な遺物の鑑定や調査をしているのだよ。君が生まれてからしばらくは日本へ居たようだな。君の子育てと仕事の両立はきっと大変だったろうよ」

 それは初耳だった。父の仕事は外資系企業の営業マンだと聞かされていたからだ。今思えば父の仕事には謎が多かったように思える。踏み込んだ質問をしなかった私も私だが。

「君にはサラリーマンだと言われていたかもしれないが、実際は学者として日本中を駆け巡っていたはずさ。彼は引っ張りだこだからな。表世間ではどうかしらないが、少なくとも我々が住む世界には彼ほど知識を持つほどはそうおるまい」

「そんな私の父親は、一体どんな知識を持っていたんですか?」

「アカシックレコードという言葉を知っているか?」

 藪から棒にオカルトな発言が飛び出した。思わず私は顔をしかめるが、ミランは気にせず話を続ける。

「この世すべての事象を記されてあるというデータバンクのことだ。彼はそれを視る事が出来る」

「信じられません」

「信じなくていい」

 ミランは私の言葉を予想していたように即答すると、見る者を萎縮させるような鋭い視線をぴったりと私に合わせ、

「だが事実だ。それだけを認識しろ」と厳しい口調で断言した。

 彼女は難しい事を言う。私はため息をつきながら首を振った。そして窓辺に目線を向けながらミランへ尋ねる。

「どうして父は本当の事を言わなかったんでしょうか」 

 彼女はそうだな、と一呼吸置く。そして幾分穏やかな声で言った、

「同じ道を歩ませたくなかったのじゃないか?あくまで表側の人間として生きていけるようにな。優しい父親じゃないか。だが夢見がちな話だがな。裏側の人間が表側で生きていけるなんて非常に稀だ。ましてや君の持つ能力では到底叶うまい」

 最後の方は薄ら笑いながらミランは話した。私の持つ能力……そんなものが本当にあるのか知ら無いが、そのせいで私は今ここに居るということなのだろう。

 ミランが続ける。

「しかしどうなのだ?君は会社の犬として人生を全うしたかったわけじゃなかったのだろう?いや、したいという言葉は不適切だな。会社の犬として人生を全うできないと分かっていたのだ。そうだろう?」

 ミランの言葉が事務所内に響く。私は何も答えない。私の様子にミランは勢いづく。

「大方気づいてたはずだ。自分は適応できない。社会に噛み合えない。常識の狭間で板ばさみになり迷子になった放浪者だと。太陽の光を照り返す清水のように瑞々しい当ても無く、砂漠さながらの世界をその眼に焼き付けながらただただ己の生を繋いでいくだけ。そんなもの死んでいるも同然だと。そう、文字通り生きる屍だ。自分は半分死んでいる。そう思っていたのじゃないか?」

 初めて会ったくせに彼女はやたらと痛いところを突いてくる。まるで黒い毛細血管に覆われた私の性根を見つめられているようだ。私は不快な気分になった。

「まぁそんな人生観を持つ君じゃなければその能力は発現できまい。『特異点』と呼ばれる君の化物じみた能力はね」

「特異点……?」

 耳慣れない言葉だ。私は思わずオウム返しした。ミランは狡猾そうににやりと笑う。

「そうさ。ブラックホールというものがあるだろう?全てを飲み込み、押しつぶす黒い穴だ。その中心には特殊な点があるとされている。科学でも魔術でも未だ解明できないところだ。この世界において、君はその点と同じ様な能力を持っているそうだ」

「意味が分かりません」

 ミランの言葉を切るように私は言った。ミランは言うと思ったよと肩をすくめる。

「簡単に言えばエネルギーを無制限に操れる能力だ。プラスにもマイナスにも操れる。恐ろしい力だ」

 大仰に言うミランを他所に私は右手で再びこめかみを抑えていた。

 なんというかもう、私の理解の範疇を超えている。妄想もここまで来ると呆れを通り越して不気味だ。こいつは本来病院にいるべき人間じゃないのか?真剣にこの場に居る事が危ういことだと感じ始めた私は、どうやってここを出るか算段し始めていた。

 ミランは私のそんな考えを知ってか知らずか、妄言を続ける。

「エネルギーを無限に操れるという事は、あるベクトルのエネルギーを相殺することも可能ということだ。そして無限ということはこの世のあらゆるエネルギーに対して絶対の力であるということ。それが君の特異点と呼ばれる所為だ。まぁ相殺できることだけの能力ではないだろうがね。君のその能力を研究、解明すれば、魔術、科学を問わず素晴らしい学術的な成果を上げられるだろう。私がモラに授けた力と合わされば、永遠の命という人類の一つの到達点も夢では無いだろう」

 ミランの夢物語を聞き流している中、一つだけ気になる言葉があった。

 ――モラ。私をずっと監視していたとされる人物。一体何者なのか。

 私は彼女の話をそらすように「そういえばモラって誰ですか?」と平坦な声で訊いた。

 私の問いにミランはつまらない質問をするなと言った態で、足元を指差した。目線を落すと、灰色の猫が眠っている。私は眉毛をハの字にしてミランに視線を戻す。

「猫ですけど」

「モラだ」

「えっ」

 思わずミランとモラと呼ばれた灰色の猫を二度見した。その様子を見たミランは辟易したようにため息をつく。

「まさか人間だと思っていたのか?使い魔に監視役を命じるなんて魔術の初歩中の初歩だ。やはり君は常識人だな。その曲がりくねって頑固な先入観を捨てるところから教えねばならないか」

 あー、めんどくさ、と大きなあくびをして背伸びをするミラン。厳格そうな態度をしていたと思えばこれである。この女もなかなか底が知れないところがあるようだと私は値踏みした。

 そんなことよりモラだ。この灰猫は私をずっと監視していたということか。俄かに信じられない。死んだはずじゃないのか。内臓を撒き散らせた惨い死に様を私はこの眼で見たのだ。一体どういうことなのか。

「ちなみにそいつは不死身だ。私が死なない限りな」

 こちらの考えを読んだ様にミランが言った。

「ただし、不死という能力と引き換えに、戦う能力や思考能力が犠牲になってしまったがな。だがそいつは何度でも使える。いざというときは身代わりにも出来る。便利な道具だよ」

「何……」

 ミランの言葉に私は言いようも無い怒りを覚えた。体の中に青い炎がぼぅ、と燃え上がり、ふつふつと沸騰していく感情の昂ぶりを感じた。

「何だその眼は?好戦的だな。そういうのは嫌いではないが、ボウヤはまだまだ幼いな」

「あんた、酷い事を言ったな」

「子ども扱いされるのは嫌か?」

「違う、モラのことだ!」

 私が怒鳴るとミランは肩をすくめて笑った。

「おいおい、そいつは道具だぞ。常識に囚われるな、ボウヤ」

「何が常識に囚われるなだ。生き物に向かって道具呼ばわりしてるんじゃねぇよ」

 狼さながらに低く唸る私の言葉に対して、しかしミランはどこ吹く風と言った面持ちを崩さない。そしてそんな私の態度に呆れかえった様に嘆息を漏らすと、親が子を諭すよう声色で言った。

「よく考えてみたまえ、ボウヤ。もし君が一つしかない命を尊ぶべきだと言いたいのであれば、私もそれほどとやかく言わない。しかしそこの猫は命がいくつもあるのだ。それもほぼ無限に。そんな奴に対して、命を尊ぶべきだと言う必要があるか?たった一つ、取り返しが利かないからこそ命というものは無二の価値がある。しかしそこの猫は違うのだよ。取り返しが利く命なのだ」

 そしてミランは先ほど使用していたボールペンを手に取る。ノック式で黒い、どこにでも販売していそうな物だ。ミランはそれを弄びながら「いいか、よく聞け」と私に目を向ける。

「このペンは生物のような命は無いが、ボールペンという『存在』に関しては限りある命だといえるだろう」

 言ってミランはボールペンを片手でぼきりと折った。透明なプラスティックの破片がぱらぱらと机の上に落ちる。黙ってその様子を見つめていた私を観察するようにミランは上目遣いで見つめてきた。彼女の青い瞳は私の心の奥に語りかけてくる。

「どうだ?今この瞬間、君はそこの猫に対して持っている感情をこのボールペンに抱く事が出来るか?そこの猫よりこのボールペンの方が脆いというのに?条件は似たようなものだ。ボールペンは同じ物の替えが利く。そこの猫も一度壊れても再利用できる。しかし君は常識という先入観によってそこの猫に対して感情的になっている。それは果たして客観的に物事を視た際に正しい判断といえるのか?道徳心を消せというわけではない。冷静に考えろと言っているのだ」

 私はミランの言葉を拒絶するように頭を振るった。こいつの言葉を聞いていると頭がおかしくなりそうだ。

 ボールペンと猫を対等に見ろ?扱えだと?狂っている。やはりこいつはどうかしている。

「君は毒されている。常識なんてものは我々に必要ない。捨てろ。捨てるのだ」

「……うるさい!」

 私は苦悶しながら喚くと、そのまま走って事務所の入り口を乱暴に開き、この狂気の館から出た。そのまま建物が見えなくなるまでがむしゃらに走って狭い路地裏に潜り込むと、息を切らしながら壁にもたれかかった。

「ハァ……。なんなんだあいつは。どうかしてる」

「どうかしていないです」

「!?」

 予想外の返事に私は無言で飛びあがった。引きつった顔で声の方を向くと、楓が真剣な眼差しで私を見つめていた。

 そういえば事務所を飛び出す際、楓の姿が無かった。まさか――待ち伏せされていたのか?そんな馬鹿な。

しかし目の前の楓は息一つ切らしておらず、どう見ても最初からここに居たような気配を感じさせる。実に奇妙だ。具体的には分からないが、もしかしてこれが彼女の『能力』なのだろうか。

 楓は言葉を続ける。

「ボスはどうかしているわけありません。極めて落ち着いて話をしています。過剰に反応しているのは白綱さんの方です」

「セッションしていたときのお前は、演技をしていたというわけなんだな」

 全然関係ない返答をする私に対して、楓は「そうです」と事務的に答えた。

「しかし嘘ではありません。私は実際にドラムを叩きますし、音楽を好みます。話を戻します。ボスは頭がおかしいわけではありません。そして白綱さんがボスの言う事がおかしいと感じることもおかしいわけではありません。なぜなら社会常識という枠で白綱さんは現在生活しており、あらゆる判断基準はそれに基づいて決定されているからです」

「……ああ、そう」

 私は頭をかきながら生返事をした。

「ボスもおっしゃっていましたが、白綱さんは表と裏の狭間で身動きが取れていないのです。あなたは冷静な目を本来持っている。それを思い出してください。何人にも属さず――いえ、何人にも属せない、あなたの能力であるならば容易いはず」

「……分からないよ。楓。俺は誰なんだよ。お前たちは、俺に何を求めてるんだよ」

「私は白綱さんに何も求めていません。私はボスの指示に従っているのみ。今、私はボスの部下ですから。白綱さんは何をもとめてここへ来たのですか?」

「俺は……」

 お前たちに連行されたから、とは言えなかった。

 ……無言が沈黙生み出す。返す言葉を失くした私はただ俯いて目を閉じた。そして楓は相変わらずの事務的な口調で淡々と話し出す。

「私は白綱さんではありませんからわかりません。そもそも誰かが誰かの考えや思いを完全に理解はできません。きっとクローンでも不可能でしょう。私たちは機械ではなく、人間でありその思考はリアルタイムで無限の枝葉を生み出し先を伸ばし続けています。故に我々が知覚できるレベルで、まったく同時に、完全に気持ちを同期することはほぼ不可能とだんげんできるでしょう」

 楓は有無を言わさぬ口調で続ける。

「しかし時間が経過しても変わらない、変えられないものはあります。例えば人の信念や意志。確固たる揺ぎ無い信念というものが存在するならば、それは当人が滅びるまで生き続けるでしょう。それから存在理由。姿形、時と場合によって行動はさまざまに変動しますが、その存在理由は決してぶれません。そして存在理由とは見つけたり探したりするものではありません。気づき、自覚するものです。白綱さん、今のあなたに鋼の信念が無いというのであれば、まずは自身の存在理由を明確にしてはいかがでしょうか」

 難しいことをいう女だ。私が楓に抱いていた、可愛らしさという印象はどんどん薄れていく。まるであの黒い侵略者のようだ。昏睡しているとき私の意識を貪ったあの黒い何かが、楓の『可愛い』という印象を少しずつ喰っている気がした。

「自分に対してなぜと、問いかけることをオススメします。しかしその際の注意事項として、『常識』を介在させることは絶対にやめてください。あなたの思考の真理を探究するのに常識はノイズ以外の何物でもありませんから」

「自分の気持ちの真理を探究、か……」

 楓の言葉をぼんやりと繰り返す。確かに、私はふらついている。考え方も行動も、そして存在自体がそうだ。それはなぜか?その問いかけの終点は何となく分かる気がするが、今一度真剣に考える必要がある気がした。

「白綱さん、一度事務所へ戻りましょう。個室があります。私からボスには事情を伝えておきます。そこでじっくり考えてみてください」

 楓はそういうと右手を差し出してきた。白くて柔らかそうな手のひらを見て、私は久しぶりに可愛らしさというものを思い出した。

しかしその手の持ち主はさながら情報処理機械のような女なのだ。事実と論理を重んじる、クールなんて言葉では生ぬるい、可愛さとはかけ離れた女。

私の中で生きていた、どこか幼くて、可憐という言葉を文字通り体現していた楓は死に、姿形を変貌させてしまっていた。

私はどこか寂しさを感じながら、すまない、と呟いて柔らかではあるが無機質な反応を返す彼女の手を握り返した。


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