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さる?

 難しい話のあと、クロはあまり話してくれなくなった。

 彼の口をついて出る言葉は「うむ」とか「いや」とか、「その通りだな」とかばかりだ。

 どんな話なら気を引けるだろうかと色々試したマモルだが、けっきょく自分の身の回りのことぐらいしか子供の頭に話題はない。

 スグルや友達との遊び、アカリへのほのかな恋、物知りなお父さん、お母さんはとても強い。

「ボクもおじさんみたいに強ければ、お母さんに怒られたりしないんだけど。なにか言ったら、がおッ、ってやればいいんだ」

「感心はせん。俺もそんなことはしない」

 おお、話題に食いついてきた。

「だってさ、ちょっとしたとですぐ怒るんだ」

「親なら当然だ。子供なら・・・まあ、適当に聞き流す芸当くらいは身につけるのだな」

 ふうん。マモルは面白くなさそうにあっちを向いた。

 お母さんより強い自分。妄想としては面白いのに。

「でも、本当にぼくの方が強くなったら、お母さんは怒らないよね」

 クロは立ち止まり、考え込むようにして自分の胸から首筋辺りを舐めた。

「強さには質がある。たとえ親より子の方が強くなっても、子を叱るときと、子を守るとき、親はとてつもない強さを発揮する。間違いなく、自分より強いはずの子よりも、大きくなる」

 マモルはちょっと目をぐりぐりした。

「おじさん?」

「だから、叱る親をねじ伏せようとは考えないことだ」

 それは勘違いだ。

「違うよ。そんなことしないよ。ぼくはお父さんもお母さんも好きさ。ただ、おじさんみたいに強くて、賢くて、凄い動物になったら、帰りがちょっと遅くなっても誰も心配しないし、怒られるようなことだってしなくなる、っていうことだよ」

 少し沈黙してから、クロは笑った。

「そうか、これは悪かった」

「ひどい誤解だ」

「悪かった。しかし、俺のように、と言ったが、別に俺のようになる必要はないし、なられても困るぞ」

「なんでさ」

「強さの質が違うからだ。たぬきにはたぬきの強さ、たぬきの知恵がある。時に俺も及ばぬほどのものが。お前はそれを身につければいい」

 そんなものがあるわけない。と、いつもなら一蹴するところだが、マモルはここで考えた。

 クロは嘘や誤魔化しは言わない。それは、話をして、子供なりに感じたことだ。

 でも、それはどんな強さだろう。どういう知恵だろう。マモルは気分が滅入った。

 それは、茂みの下で小さくなって震えていることだろうか。

「きっとぼくは駄目だ」

 なぐさめてほしいわけじゃない。自分をいじめたいわけじゃない。ただ、ただ自分の不甲斐なさ、今まで知らなかった脆弱を、吐き出さずにはいられない。

「今日、ぼくはなにもできなかったんだ。人間に見つかったとき、怖くて、怖くて、尻尾のさきっちょも動かせなかったんだ。逃げることもできなかった」

 こんなはずではなかったのに、と、クロの背中へしがみつく四本の足に力が入った。

「おじさんみたいに強かったら、そしたら・・・・・・」

「俺もガキの頃はそうだった」

「え」

「見知らぬ人間が恐ろしくて、震えが止まらなかった」

「嘘だ」

「本当だ。子供とはそういうものだ」

 驚愕だ。今日最大のびっくりだ。クロは生まれつき強くて怖い動物だと思っていた。

「気にするな。明日辺りに、もし人間に見つかったら、その時には前足が動くようになっているはずだ。その次のときには後ろ足が動くだろう。少しずつ、一つずつ大きくなっていけばいい。急ぐことはない」

 それから急に声の調子を変え、クロらしくもなく冗談めかして、

「ところで」

と背中をゆすった。

「いつまで背中にいるつもりだ」

 マモルは言われて辺りを見回し、ああッ、と声をあげた。

 おしゃべりに夢中で気付かなかった。すでにマモルの巣の近くまで来ていた。それも凄く近い。

 もっとも、気付けないのも当然、いつもより高い位置、クロの背中へへばりついて見る光景は、いつもと同じ場所なのにまるで違った景色を作っていたからだ。

 あれ?とマモルは首をかしげる。

 今まで一度も道案内をしていない。なのに、なんでクロはここへ来れたのだろう?

「おじさん、まさかとは思うけど、ぼくの巣の場所、知ってるの?」

「俺の鼻にわからないことはない」

 ああああッ

 叫びそうになった。

 つまりそれは、クロが空腹になったとき、一家全滅の危機に陥るということなのでは?

 引越しか、でもスグルくんと会えなくなるしなあ・・・・・・

「ほら、降りろ。これ以上近づけば、親が騒ぐ。それに」

クロはこれみよがしに鼻をひくつかせた。

「苦手なやつもいる」

「おじさんに苦手な動物がいるの?」

「説教はごめんだ」

 クロの背中を降りたマモルは、闇へ溶けていく漆黒の影へ、心の底から言った。

「ありがとう、クロのおじさん。本当に。また、背中に乗せてね」

「クロウだ」

 闇の中から、声だけが返ってきた。

「俺のことはクロウと呼べ」

 クロの尻尾を探すように、マモルはしばらくその場にたたずんでいた。

 こりゃ、という声が聞こえたのは、しばらくしてからだ。後頭部になにやら当たって、思わず悲鳴が漏れた。

「なにやっとるか、マモル」

 しわがれ声は、聞き間違えようもない、長老のモン兵だ。

 マモルは振り返って、飛んできた小枝を器用に避けた。

 他の動物の気配は感じない。してみると、クロの苦手な相手というのはモン兵だろうか。

「なんだよ、モン兵じいちゃん、またヒステリーなの」

「誰がヒスだ。言葉の意味も知らんで。生意気小僧め。さんざ心配したぞい」

 前半はいつも言われていることだが、心配という言葉は初耳だ。

「心配?」

「当ったり前だ。行き先も告げずにこんな時間まで呆けておって。どこ探してもおらんから、お前の母ちゃんなんか巣で寝込んじまった」

 しまった。マモルは舌打ちしたくなった。

 コン吉にちょっと会って、すぐに帰るつもりだったのだ。それが思わぬ事態で時間がかかった。もうすぐ日が昇る時間である。今まで、こんなに長く黙って巣をあけることはなかった。

「じいちゃん、あのさ」

「おまけにクロの背中にくくられて帰るとは。とうとうあやつ、餓鬼に落ちてお前を歯牙にかけたのかと、ハラハラしたわい」

 モン兵は掴んでいた小枝を背中へ放り投げ、毛のない顔を赤くして近づいてきた。

 二本の足で動ける動物を、マモルはモン兵以外に知らない。動物と人間の合いの子だ、なんていう陰口を利いたこともある。あの時、マモルは腹が立った。

 変なことを言うおじいさんだし、投げる小枝の殺傷力は近年だいぶ衰えたらしいが厄介だし、とにかく奇妙な動物だが、なぜかマモルは彼が嫌いではない。

 もっとも、好きでもない。

 ただ、何日か会えなかったりすると、ひどく寂しく思うことがある。

 おや?マモルは思った。

「クロのおじさんのこと、見てたの?」

「うむ」

「じゃ、なんで今まで出てこなかったの?もしかして、クロのおじさんのこと、怖かったの?だったら平気だよ。おじさんはそんなに怖い動物じゃないよ」

「バカいえ。誰がクロなんぞ恐れるものかよ。だいたい、わしのような老体は、肉が固くてあやつの口に合わんそうだ」

「でも、じいちゃん、泣いてたみたいな顔してる。怖かったんでしょ」

 からかうつもりはない。クロがいかにやさしいおじさんか、なんとか説明しなければと一種の使命感を感じていた。

 モン兵はハッとして器用な手で顔をごしごしこすり、ふんッと鼻を鳴らした。

「とにかく、帰るぞ。親父連中は総出でお前を探しに行ってるが、じき戻るだろ。それにしてもお前、今までどこで、なにやってたんだ?」

 うん・・・

 マモルはちょっと考えてから、あのね、と切り出した。

 今日一日あったこと。二つの名前、ナオ子さんたちのこと。

 聞き終えてから、モン兵は頭をぼりぼりやって、よいこらしょと尻をついた。

 モン兵は普段、人間の手に当たる前足も地面に突いて歩くが、それでも頭の位置は高い。今も、マモルを見下ろす形になった。

「お前さんもそういう歳かね」

「どういう?」

「自分がなにものか、自分の立つ場所がどこなのか、考える年頃ってことさ」

 またわけのわからない話をする。いつもそうだ。簡単なことを小難しく話すのだ、このじいさんは。だから、マモルはモン兵が好きになれない。

「わしはな、さる、だ」

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