人間?
考え考え歩いていたせいだろう。ナオ子とはぐれてしまったことに、ようやくマモルは気付いた。
闇の中の道路。ところどころ街灯が地面を丸く照らしていた。両側は木や石や様々な材質の塀が並んでいて、木立ちでその用をたしているところもある。
間違いなく、マモルの知らない世界。
塀は表面が平坦で真っ直ぐ伸び、しかも幅がとてつもなく広くて、のしかかってきそうな圧迫感がある。森の木より低いはずなのに、どんな巨木よりも大きなものに見えた。
そんな塀が見渡す限り続いている。マモルは怖くなって、茂みを探し飛び込んだ。
ナオ子のなを呼んだが、返事はない。何度も茂みの前を人間の足が過ぎていく。
合間に、ふと時間が゛穴に落ちたように、ぱたりと人間の気配が消えてしまうこともあったが、マモルは茂みから出ることができなかった。
何度もナオ子の名を呼んだ。
彼女がいなければ、集落から出られない。方角はわかるけど、恐ろしくて体が動いてくれない。
本当に心細くて、お父さんやお母さんや兄弟やスグルくんアカリちゃんの名を呼んだ。
全身の毛から力が抜けて、ひげが地面をこすっていた。
コン吉おじさんが来てくれないだろうか、なんて考えている。
昔話に出てくるような、勇敢で賢いマモラートが助けに来てくれないだろうか。
いつも空想していた。
ぼくが、と。知恵と勇気と友情で、人間たちを散々に振り回し、マモラート汁にされそうな友達を、ぼくが、颯爽と救い出すお話。
お笑い種だ。ぼくが救いを求めてる。勇気もへちまもなく、ただちぢこまって震えている。窮地を脱する知恵もない。
ああ、今まで気にならなかったのに、なんだってアスファルトってやつはこんなに臭いんだ。なんだってこんな時に・・・・・・
と、マモルが自分の不甲斐なさを身も世もなく嘆いていたその時、上から声がかかった。
茂みの中から見上げると、見知らぬミーアフーナが塀の上で
「見つけたよ」
と背後の何者かへ言っている。
ナオ子さんの仲間だ!
「あ、駄目ッ」
嬉しすぎて制止の言葉など耳に入らない。急いで茂みを飛び出していた。ナオ子に会える、そう思った瞬間、山に捨てられてるトランポリンを胸の中にでもしかけているように、心がスポーンと弾けたのだ。
ところが、マモルの足は瞬時にして止まった。
「たぬきだ」
人間の子供は驚いたように声を出し、すぐに、たぬきだあ、と今度は黄色い声を張り上げて身をかがめた。
なんてことだ、よりにもよって人間の足元に飛び出してしまった。
マモルの心はトランポリンのないところに落下して砕けそうになった。あまりの急転直下に、逃亡をうながすはずの本能までが凍り付いて、足がすくんでしまった。
逃げなきゃ、逃げなきゃ。そう思いながら、マモルはへたりとその場に転がった。
「死んだあ」
死んだことを喜んでいるのか、子供はマモルを両手で掴みあげると、きゃっきゃっと跳びはねた。
親だろう、男の大人が一人近づいてきて
「生き物は大切に」
と通りいっぺんの説教をしている。
「ん、ぐったりしているね。死んだんじゃないよ。たぬきはね、びっくりすると仮死状態、つまり死んだフリをするのさ」
死んだフリじゃないよ、腰が抜けたんだ。
そんな不名誉な訂正をしたくても、強く握られていて声も出ないほど苦しい。おまけに心臓がばくばくいっていてやっぱり苦しい。
皮をはがされるの?置物?首巻き?マモラート汁にされちゃうの?
塀の上では
「言わんこっちゃない」
とか
「マモル、助けが来るから頑張りな」
とか言っている。その中にナオ子の声を聞いて、少し元気を取り戻したような気がしたが、気がしただけで、実際もうなにがなんだかわからない。死への、というより今後マモルの身の上に起こるであろう残酷な仕打ちへの恐怖で、それこそぽっくり死んでしまいそうだ。子供があんまり振り回すから、なんだか気持ち悪くなってきた。
「来たよ、マモル、頑張るんだよ」
なにが来たっていうんだろう。
薄れかけた意識の中で、マモルは、最も聞きたくない声を聞いた。
カンドゥスの唸り声。それも、こいつは、凶悪な大型野良カンドゥス、悪名高い一匹狼のクロの声ではないか。
もしかして、人間とクロとでぼくを取り合うの?
最悪の想像だった。
人間に捕まったらマモラート汁。クロなら生のままぺろり。どっちに転んでも誰かの胃の中におさまってしまう。どっちの方が楽に死ねるだろう、とまで考えてしまう。
ぅわん、と盛大な咆哮が轟き、驚いたのか、子供が握っていた拳を離した。
クロは、子供の手から転がり落ちたマモルの体をくわえ、人間の親子に一瞥を与えて走り出していた。
クロのお腹の中か、と途切れるマモルの意識が最後に思った。
クロのうんちになるのか・・・・・・