きつね?
巣は大きなくぬぎの根元にあるうろで、中は大きく出入り口は小さい。巣穴は居住性とともに隠密性ももとめられるから、この点、隣の巣より上等だ。凄いぞ、お父さん、とこの点に関しては父親を褒めたたえるマモルだ。
夕方になって目覚めたマモルは、スグルくんに会いに行こう、として、今朝の言い争いを思い出した。
スグルは言うのだ。人間に近づこうなんて馬鹿げてる。
マモルは言った。そんなの臆病者の理屈だよ。
なんだか素直にスグルに会いにいけない。気まずいって、こういうことを言うんだな、と実感してしまう。
そうだ。
マモルは思い立った。
コン吉おじさんに会いに行こう。
理由は、ええと、そう、たぬきという言葉について。
マモルは山を駆け下りていった。
山肌には、山自体を幾重にも縛り上げたみたいに、何本も道路がへばりついている。人間の住む家もところどころあり、それらを避けて降りていくと、狭い盆地に出る。
まるで、山肌と盆地とにべったり張り付いたような人間の集落があって、そのはずれにコン吉は住まっている。
フォトスターのコン吉はみんなから嫌われていた。
正確には大人から。
よそ者で、嘘つきで、自分より頭のいいやつはいないんだと言ってはばからず、動物を動物として見ていないところがある。
とは、マモルのお父さんの談だ。
だけど、マモルはコン吉が嫌いになれない。
そんな子供はたくさんいた。
コン吉は自分の波乱万丈な思い出話を聞かせてくれる。子供たちは、その冒険譚を聞くために、親に怒られても彼の元へと出向くのだ。
コン吉の長く突き出た鼻には一筋の傷跡があって、昔、人間と大立ち回りをしたときにつけられたものらしい。大きくとんがった耳も片方欠けていて、そっちは野良カンドゥス退治のときのものだ。
だいだい色のシャープな体、足は長く尻尾も立派で、ニヒルな笑みを浮かべたら、きっとアカリちゃんもいちころだよ、とマモルはちょっと妬いていた。
集落から少し離れた家屋の近くに、コン吉が腰を据えているのは知っていたから、探すのに苦労はなかった。
「ぃよう、マモル」
茂みに身を低くしていたコン吉が、いつものようににやりと笑った。
「こんなとこに来て、母ちゃんにケツかじられても知らないぞぉ」
「知らないよ、お母さんなんか。ぼくはもう子供じゃないんだ」
「自分のことをボクって呼んでる間はネンネさ。どうした、スグルと喧嘩でもしたのかよ」
図星を突かれて押し黙ると、コン吉はけけけと笑って、彼の伏せる丘から見下ろせる人家へ目をやった。
老婆が縁側に腰かけて、膝の上の小さな動物を撫でいてた。
あれはミーアフーナだろうか。
「喧嘩しろ、喧嘩しろ」
コン吉ははやし立てる。
「仲直りするたんびに、人間で言うところのレベルアップが待ってるぞ」
れべなんたらが何なのか、マモルにはわからないが、コン吉おじさんの言うことだから、きっと喧嘩はいいことなのだろう。
「今日はどんな話が聞きたい?」
コン吉は鼻をひくつかせながら訊いた。
「海の話は前にしたっけ。うむ。グラマーな野良カンドゥスと組んで、悪徳ペットショップのからくりを暴いた話なんて、どうだ」
「おじさん、たぬき、って言葉、知ってる?」
コン吉の鼻面がこっちを向いた。
「ええと、なんだそりゃ」
「おじさん、ええと、なんて言ったら、わかっちゃうよ、嘘」
コン吉の鼻面がバツが悪そうに明後日の方を向いた。
「ねぇ、おじさん」
「きつねだ」
「え?」
マモルは耳を立てて文字通り聞き耳を立てた。
「きつねだ?」
「きつね。俺は人間にそう呼ばれてる」
とつとつと、コン吉は仕方なさそうに話し出した。
「きつね。ずるがしこくて小心で、いかにも悪どい真似してそうな、いやな名前だぜ。俺はとらの皮かぶったことは一度もねぇ」
「とらって?」
「そういう動物がいるらしい。俺も会ったことがねぇんだ、もしかしたら人間の妄想の産物かもな。ほら、言うだろ、一匹狼、の、おおかみの部分。見たことあるか?」
「ううん」
だろ、というふうにうなずいて、コン吉は鼻面でマモルの背を撫でた。
「くすぐったいよ」
「でもな、きつねなんて、まだマシだ。マモル、お前は人間に、たぬき、なんて呼ばれてるんだぜ。
たぬき。
ひどいもんだ。なんてぶさいくな名前だ。間抜けな響き、面白おかしいぜ。そんな格好悪い名前つけられたら、俺なら自殺するかもしれねぇ」
なんだかひどい言われようだ。背中を撫でられて気持ちいいけど、誤魔化されちゃいけないぞ、とマモルは思った。
「でもなんで、二つも名前があるの?」
コン吉はふと動きを止め、あらぬ方を眺めた。
「俺たちをおとしめるためさ」
言葉が難しくてマモルは「なに?」と訊いた。
「いわゆる蔑称ってやつさ」
「蔑称?」
「やつらは自分が一番上だと思ってやがるのさ。
俺たちを見下ろして、お前たちは『きつね』だ。フォトスターじゃない、『きつね』程度の存在なんだ、そう決め付けてるんだ。
いいか、俺たちのフォトスターの誇りや名誉を傷つけ、屈服させようってしてるのさ」
ますますわからない。
呼び名が変るだけでそんなに問題なんだろうか。おじさんはおじさんなのに。
「勝手に名前をつけ変えるってのは、支配者にしか許されないことなんだ。
名前を変えて、『はい、あたしゃ今日からきつねです』っていうのは、屈服したあかしなんだ。
だから、絶対に、自分がきつねだなんて認めちゃいけない。
俺はフォトスターのコン吉なんだ」
おまけによう、とコン吉はまたマモルの背中を撫でる。
「たぬき、なんて、ああ、ひでぇネーミングセンス、悪意を感じるぜ」
そうかなあ、とマモルは考える。
たぬき。かっこいい名前とは、マモルも思わない。しかし、それほど悪いものだろうか?・・・わからない。
試しに分解してみる。
た・ぬ・き。
ダメだ、やっぱりわからない。
「むう」
コン吉が動いた。