死神よ、夜は続く
古く錆付いた車両に揺られて私はS本線を北へ上っていた。切符の値段は1320円、帰りの切符は買っていない。
夜遅くということもあって乗客は私一人のようだ。私は箱席に腰掛け真黒い硝子窓に映る自分の顔を何の感慨も無く眺めていた。
その鏡映しの私の首には何の飾りも見えないが、こちら側の首には死神の鎌のようなものがチラチラとしている。
「『鎌のようなもの』なんてのは随分懐疑的な言い方じゃないですか」
そう私の耳元で囁くのは死神のようなものだった。
「ほらまた『死神のようなもの』なんて回りくどいことを言いなさる。正直に言ったらどうです? 『死神が今にも私の首を狙っている』ってね」
黒い服を纏ったそれはケタケタと渇いた笑い声を響かせる。その身体は笑い声とともにカタカタと大きく震えるのだけれども、肝心の鎌の刃先はピクリとも動かない。
「ならばどうして今すぐ私の首を掻き斬らないんだ。お前は私の命を狙っている
んだろう」
私は依然として硝子窓を見つめながら呟く。勿論そこには黒い服など映っていないのだが。
「そいつは俺の勝手ですよ。俺は、俺の好きな時にこの鎌を曳くんでさ」
片手の指をクイクイと引いて鎌を曳く真似事をすると死神はまたケタケタと笑い出した。
私はその音を聞いて憤りにも似た溜息を吐く。
「どうして私なんかに憑き纏うんだ。私は病気も無いし身体も丈夫だ。死神に殺される筋合いなどないはずだ」
私の問い掛けに死神は酷く詰まらなそうな顔をしてみせた。
「そんなにいつもいつも病人の首なんかを狙っていたら俺の気が触れてしまいますわい。偶には全く死にそうに無い人間を死に誘おうってのも中々に良い酔狂じゃありませんかね」
「悪趣味な」
私がフンッと鼻を鳴らすと列車はトンネル内に入り込んだ。耳鳴りが走り痛みの無い痛みが鼓膜を駆け巡る。
トンネルに居る間中ずっとキーンと云う音が頭蓋骨の中を響いているのに、不思議と死神の声だけは私の耳にはっきりと聞こえていた。
「まあ、俺がこの鎌をいつ曳くのかなんて今の俺には分からないのですから。そうカリカリ為さらずに普通に生活なされば宜しいと思いますがね。だって今日死ぬか明日死ぬか、それとも随分と後に死ぬかなんて誰にも分からないのですからねぇ」
ニヤニヤと笑う死神を無視して私はポケットの中の小壜を確かめた。その小壜の中には真白い錠剤が二十ほど入っていた。
「おや、まだそんなものを持っていたんですか。もう懲りたでしょうに、いい加減お止めなさいよ」
ポケットに突っ込んだ右腕を外に出して五月蝿く憑き纏う死神の顔を煙でも払うようにしてハタハタと掻き回す。だが手は空を切るだけで、死神はそれを見てハタハタと笑っていた。
「私はお前に首斬られるくらいなら、自ら手を下すさ。私の名誉のためにな。邪魔をしたいなら邪魔すれば良い、さあ殺せ!」
人の居ない客車は思ったよりも声が響いた。怒声が反響する間、死神は何も言わずに黙っていて、怒声の残響が消えたとき一言こう呟いた。
「今回は巧く行けば良いのですけどね」
その口元は笑っていた。きっと私が財布の中に1320円だけは残していることなど丸きりお見通しに違いない。
死神の笑い声は止むことを知らない。手首に残る傷跡も私を嘲笑っているようだった。
また、死ねぬ夜が訪れるのか。
それでも列車は闇の中をタンタンと進み続ける。




