第十九話
部屋に戻り、さっそく午前使ったかばんを置いてから一口水を飲み強化服に着替える。
腰ホルダーにブレイカーをセットし、外にでるともう凛華が待っていた。
「随分と早いな」
「着替えるだけだから。女は男と違ってやることが早いのよ」
「そういう……ものか?」
よく判らないがまぁいい。
「それよりも香奈はまだか?」
「香奈ならさっき『もう少し待ってて』って言ってたわよ」
「ん、そうか。なら香奈の部屋の前で待つとするか」
「あ、それなら私は先に工武科の友達にスタンモードを解除してもらいに行ってもいい?」
「それじゃ待機所で待ち合わせだな」
「うん」
凛華とは別行動になった俺は一人一つ上の階にある香奈の部屋の前に向かう。
部屋のカーテンの奥にまだ明かりが見えるあたり、まだ着替え終わってないみたいだな。
(とりあえず待つか)
それから壁に寄りかかって待つこと数分、後どれくらいかかるか聞こうか迷っていたとき中から「凛華さぁん」と呼ぶ香奈の声が聞こえた。
「凛華なら先に行ったぞ」
「えぇ!? ……ホントですか?」
中に聞こえるよう少し大きめの声量で答えると、中から何か焦っているような返事がきた。
「どうかしたのか?」
「い、いえ…………あの、その……」
どんどん聞こえなくなっていく声に心配になっていると、一泊おいてから「な、中に入ってくれませんか」という恥ずかしそうな声がした。
言われるがままにとりあえず中に入りリビングに行く。
女性の部屋らしく隅から隅まで整理が施されている。
「あの、ちょっとこっちに……」
綺麗な部屋だなぁと感心していると奥の個室から香奈の呼ぶ声がしたほうへ急ぎ歩きでそちらへ向かう。
そして個室のドアを開けた瞬間、俺は軍人の如くキレのあるすばやい回れ右をした。
その理由は至ってシンプル、部屋の真ん中にスタイル抜群の美女が下着姿でいたからである。
「いったいどうした……って! 何でそんな格好を!?」
「ふえっ!? み、見ないでくださいっ!! ――って私が呼んだんでしたよね。で、でもこれにはちょっと理由があってですね……」
「い、いいから服をきてくれ!」
「そ、それができたらしてますって!」
服が着れないということはどういうことか。俺は恐る恐る香奈のほうを向きながら聞く。もちろん顔だけを見るように意識して。
「な、なんでできないんだよ」
「それが……そのブ、ブラを替えて新しいのを取ったらホックタイプだったんで鏡を見ながらやろうとしたんですけど……その、買ったのが先週だったからかですかね、その……」
「その……なんだよ?」
涙声になりながら話す香奈が途中で黙り込んでしまったので聞き返す。
すると、香奈はさらに涙声になって、
「こ、ここまで言ってもわからないんですか? うぅ……だから、その……む、胸が大きくなってサイズが合わないんですぅ!!」
最後らへんは半ばやけくそ気味に言った香奈の言葉を理解するまで、俺はたっぷり五秒はかかった。
(えぇと、ようするに先週はサイズが合っていたブラが今はもう着れない……ということなのか?)
要するに一週間で約ワンサイズでかくなった……と?
その驚愕の事実に俺は足が痺れるような感覚を覚える。
もちろん、いつも凛華を見ている俺としては到底信じられない話だ。が、香奈がそんな嘘を言うような奴じゃないのは知っているし――何より今両腕によって隠されているあの立派な二つの富士山が、今の話が真であることを物語っている。
しかしそういうことなら簡単だ。
「そ、それじゃ他のやつにすればいいじゃないか」
思いついたことを言いつつ、ついつい胸元にいってしまう目線を無理やり部屋に泳がせる。
よく見てみると、寝室らしいこの部屋は鏡がついているクローゼットとベッドしかなく、他には少女部屋にありそうな可愛いぬいぐるみと部屋の電気のリモコンが転がっている。
「それが他のはこれより全部サイズが下で……さっきまで着てたのはもう洗濯機の中ですし」
「そ、それじゃどうするってんだよ」
「え、ええと……多少無理やりでもいいんでホックを留めてくれませんか?」
言っていることが頭はわかっているのだが心が、というか理性がついていかない。
「……あのさ、それやるのってやっぱり」
「……はい、お願いします」
予想外すぎる展開に俺は目の前のことを理解するのに精一杯になる。
「ええと、俺女性の下着なんて着けたことないんだけど」
「そ、そんなの当たり前です!」
「ですよねー」
とりあえず頭に浮かんだことをいったら怒られてしまった。
「早くお願いします!」
「い、いや、でもこれは……さ、さすがに」
自分の顔がどんどん赤くなっていくのにも気づかないほどテンパってきて上手く言葉が続かない。
「下着を着ないで行くわけにもいかないです。そしてなによりこの格好で日向さんの前にずっといるのは恥ずかしいんです! 死にそうなんです!」
「わ、わかった! わかったから泣かないでくれ!」
結局俺は声をあげて泣きそうな勢いの香奈に負け、顔を真横に向けながら香奈の背後に回る。
白くて綺麗な肌だった――って解説してる場合か!
「じゃ、じゃあいくぞ」
「は、はい……あ、その前に電気暗くしてもいいですか?」
「あ、あぁ」
さすがにこんなに明るい電気じゃ恥ずかしいのだろう(俺も恥ずかしい)、香奈は目の前にあるリモコンを取ると電気の強さを最弱にした。
「えぇと、このホックを留めればいいんだな?」
「はい、そうです」
電気はほとんどなく、昼間なのにカーテンも締められているから部屋の中は自分の手元を見るだけでも精一杯の明るさだ。正直ありがたい。
もし明るかったらどうやっても香奈の体を見る羽目になり、正直すごく気まずい。
「よし、じゃあいくぞ……」
「は、はい」
一応ホックも確認したので早速留めようとする。が、初めてだからか暗いからか、これがなかなかできない。
「んぅ……んんっ! ――ぷはぁっ! ひゅ、日向さん。い、痛いです」
……しかも力づくでやろうとちょっと力を入れると、きつくて痛いのか香奈が変な声をあげるのでやりにくくてしょうがない。
いや、それ以前に自分の正気を保つだけで精一杯だ。
しかしこのままでは埒があかない。
そう思った俺は一度手を休めて香奈を見る。
「よし、このままじゃ終わらないから痛いかもしれないけど、今から一気に締めるぞ」
「えっ、は、はい」
疲れたのか少し息が乱れている香奈を心配しつつもまた手に力を込める。
「それじゃいくぞ……せーのっ!」
「ん……んひゃぁっ!」
パチン。
「で、できたぞ!」
「ほ、ほんとですか?」
一気にやったせいかさらに声をあげた香奈だったがすぐにちゃんと留まっているか確認してくれた。
「どうだ? 大丈夫そうか?」
「ちょっときつくて胸が痛いですけど……取れることはなさそうです」
なんとか成功できたことによって今まで体を支配していた緊張などの重みが一気に抜けていった。
だが、それがいけなかった。
「うわぁっ!」
「日向さんっ!」
体の力が抜けたことによって重心が大きく移動し、俺はいつの間にか踏んでいたらしいぬいぐるみで滑ってこけてしまう。
どんっ! という鈍い音とともに俺は床に腰をぶつけたが、香奈が咄嗟に手でカバーしてくれたおかげでなんとか頭はぶつけずにすんだ。しかし――
(む、胸が顔に――!!)
どうやら香奈は抱きつくように俺の頭に手を回して一緒に倒れたので、ものの見事に俺の顔は香奈の豊かな山の間の未知の世界にフィットしていた。
「ふ《こ》、ふもふふもふも《これはわざとじゃ》……!」
「ひゃわっ! く、くすぐったいです……! 喋らないでください……」
なんとか言い訳しようとすると、頭の上のほうからまた涙声が聞こえる。
「ぷはぁ」
泣きそうになりつつも香奈が上体を少し上げてくれたおかげで俺はようやく息が吸えた。
「ご、ごめんなさい。こんな目にあわせちゃって……」
「い、いや香奈のせいじゃねえよ」
ずりずりと這うように上のほうから下がってきた香奈はちょうど俺の胸の前辺りで顔を置き、謝る。
(しかしそれにしても……)
いくら下着を着ているといえ、純白の布に押さえつけられてもなおその大きさと形の良さをみせつけてくる二つの山に自然と目がいってしまう。
や、やばい……。
「か、香奈?」
このありえないシチュエーションに動揺して気づくのが遅れたが、しばらくたっても香奈が動く気配がない。
ちらりと香奈のほうをみるとなにやら考え事をしているような顔をしていた。
そして一言。
「……日向さんって今ドキドキしてます?」
「はいっ!?」
いきなりの質問に声が裏返る。
「なんでいきなり……」
「いいから答えてくださいっ!」
「こ、答えなきゃだめなのか?」
「はい」
「……ド、ドキドキしてるに決まってんだろ。俺だって男だし」
何の罰ゲームなんだと思いながら一応素直に言う。
正直恥ずかしさで死ねそうだ。
「そうです……よね」
まさか、たまたまだが俺が胸にダイブしたことになって怒っているのだろうか?
ふと頭に浮かび、俺の頭は哀れにも次の瞬間には言い訳を必死に考えようとしていた。
しかしその予想は外れていた。
「あ、あのもし日向さんが……したいっていうのなら私は……」
「……? したい?」
「だ、だからっ! そ、その……『あれ』です」
「なっ!?」
この状況での『あれ』というのはいくら俺でもなんとなく察せたが、いつもと雰囲気が違う香奈にさらに戸惑う。
「私ずっと思ってたんですけど……日向さんがいなかったら私はジャスティスに連れ去られたときに死んでいたんですよね」
しかしそんな俺を知ってか知らずか、どこか覚悟を決めたような顔をした香奈がゆっくりと言葉を紡いでいく。
「でも私は生きて帰れた……それもこれも全部日向さんのおかげなんです。だからお礼がしたいんです」
「……」
さすがにだいたいなにが言うのか予想がつく。
しかしあえて俺は黙って聞く。
「命を助けてくれたんです。だから私は一度死んでいるはずだった私を助けてくれた日向さんのためなら……なんでもします」
「……」
「だから……したいのであれば、いえどんなことでもしたいことがあったら命令してください。日向さんが……あなたが喜ぶことなら、幸せになることなら、なんでも…………だから……」
「……」
あの日からずっと抱えてきたのだろうその思い、覚悟に俺は何も言わない。
考えているのではない。
言うことは決まっている。
ずっと抱えてきた思いに返す言葉はたった一つ。
「じゃあなんで震えているんだよ」
「……っえ?」
香奈は自分でも気づかないうちに震えていた。自然と、震えていた。
「本当はおびえているんじゃないのか?」
「そ、そんなことは……」
「誰がお礼が欲しいって言ったんだよ」
「っ!」
なんとか言い返そうとしてきた香奈に俺は追いうちをする。
その声には確かな怒りがこもっていた。
その怒りは、こんなことを言い出した香奈にでもあるがそれだけではない。そこまで追い詰められるまで香奈の気持ちに気づけなかった自分に、だ。
「仮に俺が命令したとしよう。けどそれじゃお前はまるで主人の言うことを聞く奴隷じゃねえか」
「で、でも」
「俺はお前を奴隷にするために助けたんじゃない」
これ以上言うと香奈のことを傷つけるかもしれない。そうわかっていながらも俺の口が止まることはなかった。
「いいか、よく聞け。俺はお前に生きて欲しかったから助けたんだ。それなのに他人の命令を聞くなんて……そんな奴隷のような生き方を俺は認めない。そんなのは死んでいるも同然だ」
そこまで言ってふと気付く。
もしかしたら香奈を助けた理由は他にあるんじゃないかと。
「……正直に言えば俺がお前を助けたかった理由はもしかしたらただの自己満足かもしれない。か弱いヒロインを助ける、かっこいい主人公になりたかっただけという、ただの自己満足」
「そんなことありません! 少なくとも日向さんはそんな人じゃないです!」
「……そうか」
自分がどれほど恥ずかしいセリフを言っていることか。
そんなことは百も承知だ。
けどやめる気はない。
今さらやめられない。
たとえ相手を傷つけることになっても。
だからこれだけは、あの日の後から少しながらも感じていたこれだけは、言わなくてはいけない。
香奈とこれからも一緒にいられるために――。
「いいか、もし仮にお前が俺に好意を抱いているのならそれはにせものだ」
「っ!」
今にも泣き出しそうな香奈の目を見て、はっきりという。
「なんで! 私は!」
「いや、違う。少し言い方を間違えた」
泣くのも恥じずになにかを必死に伝えようとしてくる香奈にストップをかける。
「今お前がここでにせものじゃなくて本物だと言っても、俺は信じられない」
「なんで……」
「じゃあお前はなんでも命令を聞くなんて奴隷みたいなことを、生きるのを自分から諦めた言ったやつの言葉が信じられるかよ」
「あっ……」
さっきからキザのようなセリフを言っている気がする……頭の中で客観的な俺が引いているのがわかるが今はそれにかまってられない。
「とにかくだ。もうさっきみたいなことは言うなよ。……ってかそろそろ時間がないな」
恥ずかしさに耐えられなくなり無理やり話を切り上げようとすると、俺の胸の前で涙を拭いた香奈はクスッと笑った。
「そうですよね……少し考えてみます」
「……おう」
暗闇の中香奈が見せた表情は、泣いたせいで目が少し赤く腫れていたがそれをも感じさせない、最高の笑顔だった。
ちなみにこの会話が俺にとって『思い出したくない恥ずかしエピソードベスト三位』に入ることになるのだがそれはもう少し後でのお話だ。