第十七話
「んん……」
「やっと起きたのね」
目が覚めて肩を伸ばしながら声のするほうを見てみると――
「って凛華!?」
「な、なによ。私がそんなにおかしいの?」
「い、いや。そういうわけじゃないんだが……」
まさかいるとは思ってなかったのでびっくりした。
(いや、驚いた理由は夢の中で凛華が……)
しかし夢は夢。現実は現実。
これくらいは区別できないとトオルと同類になってしまう。
そう、現実の凛華があんなことするわけないのだから。
「それよりももう大丈夫なの?」
「あぁ。今はもうなんともないぜ」
「そう、よかった」
始業式の朝もそうだったが、いつもは俺に容赦なくぶったり殴ったりしてくるくせにこういうときはものすごく心配してくる。
まぁそれが凛華のいいところでもあるが。
凛華は俺に大怪我はないかを確認したかっただけのようで、帰る支度をしてバッグを手に取る。
「それじゃ私はもう帰るわね」
「おう。それじゃまた明日な」
「うん。また明日」
そういつもどおりの別れの挨拶をして部屋をでていく。
ドアが閉まる音がして、ふと先ほどの夢を思いだす。
「それにしても……夢の割には妙にリアル感あったなぁ」
起きたとき凛華が横にいて驚いた本当の理由。
それは凛華が俺にキスしてくる夢を見たからだ。
「まぁさすがにあれが現実のわけないけどな」
俺は夢にしては珍しく、まだ感覚が残っている『ほお』を名残惜しそうに撫でた。
Ж
「バ、バレてないわよね」
日向の部屋を出てドアを閉めたとたん、凛華は両手で顔を隠しながらその場にしゃがみこむ。
頬がすごく熱い。熱でもでているのかと思うほどだ。
日向の前では極力普通に振る舞ったつもりだが、胸のドキドキは止まらなかったし……日向におかしな目で見られなかっただろうか。
「キス……しちゃった……」
相手は寝ていたが。
「あうぅぅ……。こんなんで明日ちゃんと話せるかなぁ」
次から次へと不安が押し寄せてくる。
このままでは頭がオーバーヒートしそうだったのでほかの事を考える。
すると自然と人差し指が唇をなぞった。
あれは夢ではなくて現実なんだということを確認するかのように唇を何度も、何度もなぞる。
あの時、日向の唇に触れそうになったときなぜか急に、「これが日向にとってファーストキスだったら?」という罪悪感が浮かび……。
気づけば唇ではなく頬に触れていた。
確かに日向がまだキスしたことがないのなら唇にしなくて正解だったのだろうが……それでもただ単にあれは私が怖くなったからだろう。
何が? と聞かれてもわからないが……とにかく日向の唇にキスする度胸が私にはなかった。
それでも、あの頬にしていたほんの数秒。
誰にとっても時間は平等で止まってはくれないが、あの時だけはたった数秒が永遠にも感じられ、すごく恥ずかしくて、でもそれ以上に幸せで――
「ま、いっか」
凛華はだんだん自分でも恥ずかしくなってくる考えを半ば強引に切り上げて立ち上がる。
とにかく、今はこれでいいのだ。
日向の唇にキスする勇気がなくても。
まだまだ時間はある。
なにも急ぐことはないのだ。
たとえ今その勇気がなくてもいい。何年、何十年とどんなに長い時間をかけてでも……
「日向は絶対、わたしのものにするんだからっ!」
これは命令! と誰に言うでもなく空を見上げて言った凛華は神様にむかって宣言しているようにも見えた。
だから今はこの幸せをかみ締めていよう。
先ほどよりも一段と軽くなった足取りで凛華は自分の部屋へと帰る。
Ж
「日向、早く行くわよ」
「今行くからちょっと待ってくれ」
玄関からかかる声に教科書などを鞄に詰め込みながら答える。
初めての対抗戦の日からもう二週間もたった。
春の象徴である桜も今はもう散ってしまっている。
花は散ったときが一番きれいだ。なんて誰かが言っていたがこうしてみると、やはり咲いているときのほうがいいと思う。
その後も週末のたびに対抗戦はあったが俺たちの試合はなかった。なんせ上級一年だけでもおよそ百人はいるのだ。それを四、五人のチームで分けたのではまた自分のところに試合が回ってくるまでは相当長い。
狼火もさすがに一チームの人数を増やすことを検討しているらしい。
ちなみに観戦するだけではつまらないということで俺たちはその間ブレイカーの訓練をしていた。
「待たせたな」
「別に平気よ。それよりも早く行かないとみんな待ってるわ」
手前でスクールバッグをぶらぶらさせて待っていた凛華と一緒に急いで階段を下りる。
ちなみに凛華は二週間前からずっと機嫌がいい。
最近じゃいつも笑顔のような気がするし、あの日から今日まで、なんと一度も怒っていない。
しまいにはこうして待たせても文句一つ言わないときた。
(そんなに勝ったのが嬉しかったのか……?)
無論、凛華が上機嫌でいるぶんには俺としても大助かりなのだが、ここまで優しい凛華は違和感があるというか……正直気味が悪い。
まるで何か企んでいるようで怖いとも思ってしまう。
「あ、日向さんおはようございます」
「お兄ちゃんおはようなの!」
俺の脳の数少ない精鋭部隊が、『では杉原凛華はいったい何を企んでいるか』という新たな疑問にぶつかっているとホールのほうから香奈とリアの声が聞こえた。
「おう。待たせて悪いな」
俺たちが住んでいる寮の玄関の前に作られたこのホールは意外と広く、こうして他の奴らと待ち合わせするのに適しているのだ。
「成宮君も杉原さんもおはよう」
「お、日向おはよっす!」
「カルラおはよう」
「ちょ、俺は無視ですか日向さん!」
爽やかな笑顔を浮かべながら丁寧に挨拶してきたカルラといつもどおり挨拶を交わす。
ちなみにいつも調子乗っているアホもこれまたいつもどおり無視する。
上級生徒となってから俺たちは各科で用事がない限り、毎朝こうしてホールで待ち合わせてから学園に向かうのが日課となっている。
「そういえば日向、今日の一時間目の数学って宿題あったわよね。ちゃんとやった?」
「げっ、まじかよ。俺なんにも聞いてなかったからな……」
「もう、しょうがないわね。教室着いたら私のノート見せてあげるわ」
「ホントか凛華。恩にきるぜ!」
「し、仕方なくよ! 勘違いしないこと! これ命令!」
「? おう」
なにをどう勘違いするのだろうかわからないけど返事はしておく。
すると俺の横を歩いていたトオルも焦った顔になる。
「やべえ、俺もやってないや。杉原さん、もしよかったら俺にも……」
「無理」
「即答ですか!? てかなんで日向はよくて俺はだめなんだよ!」
「だってあんた、どうせ知ってたけどめんどくさくてやってこなかっただけでしょ」
断られた憂さ晴らしにか反撃にでようとしたトオルにすかさず凛華が釘を刺す。
「くっ……ちなみにカルラは……」
「やってないトオルくんが悪いと思うよ」
「ぬぐっ!」
頼みの綱であるカルラにも断られ、今度は本気で焦った顔になる。
まぁこいつが宿題をやってこないのは毎度のことで毎回誰かに写さしてもらっていたのだ。
だからいくら優しいカルラといえど断るのも無理はないだろう。
「お、俺先行くわ!」
「おう。写すんじゃなくてちゃんと自分でやれよ」
さすがにまずいと思ったのか、トオルは額に冷や汗をかきながら一足先に学園へと走っていった。
とはいえあいつの学力じゃいまから授業までに自分でやるには時間が足りないことは明白で、走るだけ無駄なのだが……あえてそこは言わない。
そもそも自業自得なわけだし、ざまあみろってもんだ。
「……あんたも私に見せてもらうんだから人のこと言ってられないわよ」
「わ、わかってるって」
俺の心を読んだらしい凛華からあきれたため息と共に冷静な突っ込みがきて、乾いた笑いがでる。
「そんなお兄ちゃんにリアが元気パワーあげるなの~」
するとリアは俺が落ち込んだと思ったのか(いや、たぶん抱きつく口実がほしいだけだろう)ここぞとばかりに、いつものように中学生の年にしては成長しているその胸を押し付けるかのように腕に抱きついてきた。
あぁ、気もちいなぁ――じゃなくて俺はなんとかリアを引き剥がそうとする。
「ちょっと、リア! 日向に抱きつくなって何回言えばわかるの!」
「違うなの。これは抱きついているんじゃなくてお兄ちゃんに元気を分けてるだけなの」
「どうみても抱きついてると思います……」
「成宮君って人気者だよね」
そんなリアにこれまたいつものように凛華や香奈が反応する。
しかしリアが抱きつくのは今までも数えるのも嫌になるくらいしてきてるので、俺含め他の奴らもやめさせることは半分諦めている感がある。
……てか妹が自分の友達に抱きついているってのに「人気者だね」って。カルラってしっかり者に見えて案外抜けているのか。
ジャスティスとの一件から約一ヶ月。
良か悪か時の流れは思っているより早いもので、始めは遠慮気味というか気を遣っている部分があった香奈も、最近じゃ素の自分を出していられるようで俺たちも一段と賑やかになった。
こうしていつものように過ごすだけでも一緒にいて楽しい仲間というのは生涯を通してでもそうはいないと思う。
(なんだかんだ言っていつもどおりが一番だよな)
最近たまにそんなことを思うようになった。
これを凛華とかに話したら「年寄りみたいね」って笑われるだろうな。
「なにぼさっとしてるのよ。学園着いたわよ」
考えに浸っていたせいか、俺は凛華の声でようやく自分が校門の前で突っ立ってしまっていたのに気づく。
「わりいわりぃ、まだ寝ぼけてたわ」
「もうだらしないわね」
「日向さんってたまに抜けてるところありますよね」
言い訳をしながら俺は後ろを向いて待ってくれている凛華たちのところへ軽く小走りで向かった。
この後もまた今までと同じ、いつもどおりのことをしていく――はずだった。
「あぁ……やっと飯だ」
授業も一段落終わり昼休みの弁当を食べる準備をしているとトオルが疲れた右手をさすりながらやってきた。
「まさか宿題忘れただけであんな目に遭うとは……予想外もいいとこだぜ」
「さすがにあれは災難だったな」
数学の時間、結局宿題が終わらなかったトオルは罰として山のようなプリントを渡され、それをこの時間中にやっておけ、と言われたのだ。
「あのときのお前の絶望した顔ったらもう爆笑もんだったな」
「うるせえ。杉原さんに写させてもらったくせに。つーかあのプリントやったせいで右腕攣りそうだしマジ最悪だわ」
「俺はお前みたいに毎回やってこないわけじゃないから見せてもらえたんだよ」
憎たらしげにこちらを見てくるトオルを軽く受け流す。
それでも先生に俺のことをチクらないところはやっぱいい奴だと思う。今度ジュースでも奢ってやろうか。
「それにしてもチャイム鳴るの遅いな」
「そういえばそうだな」
時計のほうを見ると長針はすでに『12』を回っている。
いつもなら長針が12を指すのと同時に昼休みの始まりのチャイムが鳴る。
しかしいまだにチャイムがならない。
「早く弁当食べたいんだから早くしろよな」
隣でトオルがぶつくさぼやいている。
それもそのはずで、この学園は昼食を摂る場所は指定されてない代わりに、平等にするためにチャイムがなるまでは食べ始めてはいけないことになっている。
しかし長針が1を指してもスピーカーからはチャイムどころか物音一つ聞こえない。
変だな。
そう感じたときだった。
ビー! ビー! ビー! ビー!
「な、なんだ!?」
「け、警報?」
いきなりスピーカーからでかい音がでたかと思ったら、廊下にある警報機が作動していた。
「おいおい、今日は警報で食べ始めろってか。面白いことするなぁ」
「こんなときにまでよくそんなこと言えるな」
学園に入学してから初めての音に驚いていた俺はトオルのジョークとも思える呟きに呆れる。
しかしそうこうしている間も耳をかき鳴らしている警報はやまない。
この事態に教室もざわつき始めている。
何で警報がなっている?
誤作動か? いや、それにしては全く止む気配がない。
訓練、というのも考えられなくもないが前述したように今まで警報がなったことは一度もない。
ではなぜ――?
しかしその疑問はトオルに聞くまでもなく、スピーカーから聞こえた声によって明かされる。
「緊急避難警報発令、緊急避難警報発令。一般市民の方々は速やかにお近くのシェルターに避難してください。緊急避難警報発令、緊急……」
「緊急避難警報……?」
全くもって聞きなれない言葉に少なからず違和感を覚える。
するとスピーカーから機械音声ではない、聞きなれた声が聞こえてきた。
「迎撃科の狼火だ。警報のとおり、非戦闘員である下級生徒の諸君は全員速やかに学園の地下シェルターに避難しろ。これは訓練ではない。繰り返す非戦闘員である……」
「おいおい、いったいどうなってるんだよ!」
スピーカーからの指示にトオルが、いや、クラス全員がざわつき始める。
「ちょっと日向どうなってんのよ」
この予想外の事態に凛華や香奈もすぐに俺たちのところに駆け寄ってきた。
「いや、俺に言われてもなんとも何もわからな……」
「ちょっと何いきなり黙り込んでいるのよ」
わからない、のところでいきなり黙り込んだ俺を凛華が少しイライラしながら聞き返す。
(ちょっと待てよ……)
そんな凛華を、しかし俺は相手にせず考えに潜り込む。
今スピーカーから流れていた警報は恐らく島全体にも流れているだろう。
ということは一般市民を地下シェルターに避難させなくてはいけないほどの事態が起きた、あるいは起きるということである。
そして地下シェルターとは試験段階のために不足の事故が起きたときに一時避難するために作られた。が、この地下シェルターには確か本当の理由があったはずだ。
(そう、確か……一般市民も安全の確保ともう一つ、市民に……世間にアグレッシンの恐ろしさを知らせないため――)
「いや、まさかな……」
頭にでてきた一つの単語を、その可能性を否定する。
いや、否定したかった。
しかしそんな俺の願いも虚しく、狼火から衝撃の事実が明かされる。
「そして全上級生徒に告ぐ。本部の命令により、学園はこれより第一種迎撃態勢にはいる。各自各科ごとの棟に速やかに集まれ」
「そんなっ!」「まさか!」「第一種……!」
香奈、凛華、トオルが同時に声をあげる。
第一種迎撃態勢。
それが意味することはただひとつ。
「アグレッシン迎撃戦……!!」