第十六話
この日はもう俺たちの試合はなく、他チームの試合を観戦するだけだった。
そしてそれも先ほど終わり、今は帰っているところだ。
「ねえねえ。これからどこか食べに行きたいなの」
リアがおなかに手を当ててアピールしてくる。
「そういやもう昼時だよな」
今日のように午前から科目別授業があるときは大抵午前には終わる。いつもはこの後一人で部屋に帰って昼食を作っているのだが、まぁたまにはみんなで外食もいいか。
「それじゃ『ワック』はどう?」
「あ、いいですね。私も久しぶりに食べたいです」
「そうだな。リアもそれでいいか?」
「リアはお兄ちゃんといければどこでもいいなの」
「それじゃさっそく行きましょ。時間がもったいないわ」
自分の案が通ったからかご機嫌な凛華を先頭に、俺たちはさっそくワックへ向かった。
ワックとは『W』の看板が目印のファーストフード店だ。ポテトが上手いことでも有名でいつも人で賑わっている。
そしてワックに行くことになってからおよそ十分後、俺たちは人気店の休日の昼を舐めていたことを知る。
「なっ……!」
「こ、こんなに人が……」
さすがに空いているとは思っていなかったが……まさか三百席はある席が満席とは。ワック、恐るべし。
「こりゃ店内で食べるのは無理だな」
半分諦め気味で呟くと、リアが俺の服をつかみながらもう抗議してくる。
「え~! でもリアはワックが食べたいなの」
「そうね、私もここまできて食べられないのはごめんね」
どうやらこいつらにはワック以外を食べに行くという考えがないらしい。
だがそれは俺も同じだったので結局持ち帰りにすることになった。
幸いなことにレジはそれほど混んでなく、五分くらいで買うことができた。
そして多数決の結果、何故か俺の部屋で集まって食べることになり、今こうして四人で机を囲んでいる。
「それじゃいただきますなの~」
四人で食べるには少し小さいテーブルを囲むように座り、さっそくリアが袋から自分の分を出して嬉しそうに食べる。
凛華や香奈もリアに続けて挨拶をしてから各々食べ始める。
「ん~、やっぱワックはおいしいなの」
「そうね、久々に食べると結構いけるわね」
「あ、香奈ちゃんのナゲットいただき~!」
「ちょっとリアさん! 人のをとっちゃ駄目ですよ」
たまにはこういうみんなで喋りながら食べるのもいいな。
そんなことを思いながらポテトをつまんでいると右肩をちょいちょいっと引っ張られた。
「なんだリア……ってなんでポテトくわえてんだ?」
するとリアは指でくわえているポテトを指しながら、
「ふぃっしょにはへよ《いっしょにたべよ》なの」
あー、なんだ。ようするに恋人がよくやるポッキーゲーム(棒状の食べ物をお互い端っこをくわえて同時に食べていく食べ方)をしろということか。
くわえているからか、言葉がハ行発音になっているリアを見ながら自分なりに解析する。
「……ってなんでだよ?」
「ほほうびなの」
ご褒美? ……あぁ、そういえば試合が終わったときにそんなことを言ってたな。
頭の中で試合に勝った後のシーンを再生していた俺はしかし眉を顰める。
「でもさすがにこれは……」
これではリアへじゃなくて俺へのごほう……こほん。
「とにかくだめだ」と言うとリアは「むむむぅ」と唸ってから一旦くわえていたポテトを食べ、頬を膨らませる。
……くわえているのに疲れたんだな。
「お兄ちゃん、後でやってあげるって言ってくれたのに……」
「ちょっと日向ホントなの?」
リアの言葉に左から凛華が反応する。その目がどこか蔑んでいるように見えるのは気のせいだろうか。
しかし何かに気付いたような表情を見せた後、蔑んだ目をやめ、キョロキョロさせ始める。
「どうした?」
すると頬を赤らめながら一言。
「だって、それって最後に……キ、キス……するんでしょ」
「し、しねえよ!」
気付けば全力の突込みをしていた。
しかもなんで「キス」のところで一瞬黙り込んだんだよ。
「別に食べるだけだから心配ないなの。……まぁもしかしたら最後にリアとお兄ちゃんの唇が――」
「お前は余計なこと言うな!」
リアのどこか期待のこもった目がこちらに向いているが俺は知らん振り。
「日向……あんた、やっぱ最初からそれが目的で……」
……まさかずっと一緒だった幼馴染にすらこんなことを言われるとは思ってもいませんでした。
女子二人に振り回され半泣きになる俺をよそに何を思ったか、リアはいきなり「くふふ」と笑う。
「もしかして凛華ちゃんはキスしたことないなの?」
「キ、キスくらいしたことあるわよ!」
リアのデリケートのない質問に、凛華は目を明後日の方向にうろうろさせながら反論する。
というかしたことあるんだ。
なんか複雑な気持ちになる。
「それじゃリアが誰とキスをしたって問題ないなの。さ、お兄ちゃん早くやろぉ?」
半分無理やり凛華を納得させたリアはまたポテトを一本くわえながらこちらに顔を近づけてくる。
ちなみに香奈はキスというセリフが出た瞬間からなぜか固まっている。
「あ、あぁ」
そりゃあもちろんできれば今すぐにでもやりた……くないのだが、恐らくリアは俺がするまで絶対あきらめないだろう。そうだろう。
(まぁ一本だけならご褒美として)
リアの根気に負けた俺は、チラチラとこちらを見てくる二人の視線を感じながらリアがくわえているほうとは反対の端っこをくわえる。
(うぉっ、顔が近い……!)
予想よりも断然顔の距離が近く、下手に動けば鼻と鼻がぶつかってしまいそうで……自分の顔が赤くなってくるのがわかる。
「ほぁひくよ《じゃあいくよ》」
リアの合図とともにお互い同時に少しずつ食べていく。いや、これはかじっていくという表現のほうが正しいだろうか。
開けた窓から吹いてくる風で、リアの綺麗な髪が俺を優しく撫でるように包んできて――この瞬間だけ俺の中の妹みたいな女の子というリアのイメージが、『可愛い女の子』だけを与えてくる。
そして当たり前のことだが、同じものを両端から同時に食べているのですぐさま距離は縮まっていき、リアの甘い吐息が顔にかかってきて――心臓の音がさらに加速したことは言うまでもない。
そしてさらに距離は縮まり、もう唇と唇の距離はほとんどない。
今までこんなに近くで見たことがなかったから気づかなかったが、どうやら女性の唇というのはいつも妹みたいに接してきた女の子ですら、異性を意識させるものらしい。
色っぽさを感じさせつつも、まだ幼い少女の健気さが残るその唇は見た目以上に弾力性がありそうで俺の中の好奇心をくすぐる。
(いっそこのまま勢いで……)
俺の中にドキドキしているとき特有の熱い不思議な感覚が広がる。
そしてリアの唇がどんどん俺の唇に近づき……ついに触れるか触れないかの限界ラインに到達したそのとき、
「「そ、それ以上は駄目ええぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」」
見るに耐えなくなったのか、今まで以上に顔を真っ赤にした凛華と香奈(いつのまにか起きてた)がまるで倒れこむように俺を押す。
いきなりの不意打ちにいきなり現実に戻された俺はその勢いのまま何かの角に頭をぶつけ(あれ、これなんか既視感)――
「む、後少しだったのに……」と言うリアの残念そうな声とともに意識は消えてった。
Ж
「まだ起きないのかしら」
いまだ寝ている日向のベッドに腰をかける。
いつもなら無理やり起こしたりもするのだが……なにぶん、こうなったのは自分の責任でもあるためさすがに起こせない。
「ひまだなぁ」
少し宙に浮いた足をぶらぶらさせながら凛華は呟く。
先ほどまでは日向をベッドに運んだり、ワックのごみの片付けをしたりと忙しかったのだが……今はもう何もない。
香奈やリアは雨が降りそうだから干してある洗濯物を取り込むために、ついさっき帰っていった。
ちなみに私は、今日は部屋の中に干しておいたので急いで帰る必要もない。
「……やっぱ謝らなきゃだめよね」
いくら日向とリアがキスしそうになったといえど、あそこまで強く押す必要がなかったのは分かっている。
でもあのとき、日向がドキドキしているのがなんとなくだが分かってしまったとき、なぜか胸がいきなり痛くなって……気づけばこんなことになっていた。
「いや、そもそもリアがご褒美とかいいだすのがいけないのよ」
無論、それを承諾日向も日向だ。
いつもは真面目なのに、たまに変態の部分がでてくるのだからだらしない。
そもそもたかがご褒美でなんであんな――
「あれ、そういえば私にもご褒美あげるとかいってなかったっけ」
そのときのことを思い出していたらふと気付いた。
確かあの時、リアに続いて私もと言ったら「いいよ」と言っていた。
「……けどこんなことしておいてご褒美くれ、はないわね」
夢でも見ているのか、うんうん唸っている日向の顔を見ながら苦笑いする。
もしそんなことを言ったら図々しい奴だと思われるだろう。
少なくとも私だったらそう思う。
そのときふと、凛華の頭に先ほどのリアの言葉が思い浮ぶ。
「キスしたことあるか――ね」
そんなこと、したことあるわけない。
あのときは勢いであるといってしまったが。
日向に男たらしだとでも思われただろうか。
解けるはずもない心配をしていると、またふと頭に名案が浮かぶ。
「そうだ! 日向に今回のことも含めてお礼を込めて……そ、そう、お礼のためにキ、キス……すれば……」
自分へのご褒美にもなる。
そこまで言おうとしたらなんだか恥ずかしくて、語尾が自然にフェードアウトしていく。
(けどやっぱこれしかないわよね)
どこから現れたか、変な使命感を感じた凛華は拳をぎゅっと握り、チラッと日向をみる。
どうやらまだ寝ているらしい。
「寝ている隙にするなんて卑怯な気もするけど……ファ、ファーストキスあげるんだからこのくらいは当然よね」
ぶつぶつと呟きながら腰掛けていたベッドから一旦立ち、日向に覆いかぶさるように乗る。
一人用なのか、体重を移動させるだけでベッドがキシキシ鳴る。
そのたびに日向が起きないか心臓がバクバクしてくる。
こんなに心臓が張り切れそうになるのは初めてだ。
この前のジャスティス戦のときだってこんなには緊張しなかった。
一歩が重い。
息がしにくい。
心臓がのどから出てきてしまいそうだ。
自分でも顔が熱をもっているのがわかる。
日向に近づくたびに胸がギュゥーッと締め付けられる。
最近よく感じるこの不思議な感じはなんだろう。
このままだと生きている心地がなかったので日向のおなかにゆっくり手を置いて少し休憩する。
そういえばこの体勢のことを日向に取り付く変態工武科が、「これはマウントポジションと言って格闘技の技名であるのだが、それ以外にもう一つ意味が隠されており~(以下聞く気も失せた)」と熱く語っていたが……どういう意味なのだろう。
ふと頭に浮かんだどうでもいい疑問を振り払い、心臓が落ち着くのを待つ。
だいぶ落ち着いてくると、なぜか今まで日向にやったこと(ぶった記憶がほとんどだが)を思い出していく。
(私……今までずっと日向に迷惑かけてたんだよね)
おなかにおいていた手を日向の頭の横に置く。
そしていまだに寝ている日向の顔を優しく撫でながら、顔だけでなく体ごと日向に近づいていく。
(でもずっと怒らないで、笑っていてくれてたのよね)
二人の距離はもう鼻と鼻が触れるほどになり、凛華の吐息が日向にかかる。
(たぶんこれからもそんなあなたに甘えていくと思うけど)
今までにないくらい気分が高揚してきて目がうっとりしてくるのが自分でも分かる。
「ありがとう日向。これからも迷惑かけるけどよろしくね……」
今感じている、ずっと前から日向に対して生まれたこの不思議な気持ちにはいまだによくわからないが、今はお礼を言えただけでもよしとしよう。
自分で納得した凛華はそのまま自分の唇をもう一つの唇へ――