◆夭折した姫の記憶を持つ元姫の独白
わたしには前世の記憶がある。
中世ヨーロッパのようなドレスを纏い、大勢の侍女に傅かれ、蝶よ花よと歳の離れた兄に大切に保護されていた記憶が。
兄にとってわたしは唯一の血族で、庇護する対象だった。
何よりも兄の地位を脅かす心配がないから、無条件で愛を与えることが出来る存在だった。
兄は、その地位を得るために他の異母兄弟たちを殺し、叔父やいとこたちを殺した。
後世の憂いを断つためにはわたしも殺したほうがいいと進言する者たちの言葉に反対してまで、わたしを生かした。
だから前世のわたしは、兄が望むように無垢で無邪気であるように振る舞いながらも、決して兄の邪魔にはならぬように振る舞った。
それはわたしのためでなく、国のために自分を殺して〝国王〟という存在に徹しようとした兄に、ひと時でも〝兄〟であってもらうために。
だから一生、命が尽きるまでそうやって兄の傍にいようと思った。
だけどわたしは恋をしてしまった、あの方を愛してしまった。
その人は、元は一介の剣士だった人だった。
一応は下級貴族の三男であったけれど、父親が平民の侍女に手をつけたために生まれた子だったとかで、早々に家を出て軍に入ったのだと聞いた。
西に山脈を抱え、そこから流れ出る大河を有した豊穣の国。
それが兄が必死に守った国だった。
地形ゆえに気候も穏やかで例年のように豊作、国土は広くはなかったけれどとても優しい国だった。
それがおかしくなったのは、わたしが五歳の時。大陸全土が異常気象に見舞われたことから始まる大飢饉。
わたしの国はそこまで酷くはなかった。けれど他国はそうはいかなった。
それゆえに起こった戦争。
北の国も、南の国も、食べるものに困って起こした戦争なのだということはわかっていた。
最初は援助物資を送ったりはしたと聞く。
けれど倍以上の国土を有するかの国々には焼け石に水で、援助物資を送るほどの余裕がある国を侵略してその全てを得てしまえと……一方的な開戦理由だったという。
その戦の中で頭角を現したのが、わたしが愛した人。
剣聖。鬼神。
いくつものふたつ名をその戦で得ることになったその人は、北の国との戦を終えて兄と一緒に凱旋した。
名声は王都まで届いていて、英雄として迎えられた。
出迎えたわたしは兄の隣に立つ、生気に溢れたその人に――一目惚れした。
だから兄が報奨をどうするかと宰相と話し合っている時に、つい、口に出してしまった。
わたしをあの方に下賜してくださいませ。と。
最初兄は驚いた様子で、何も言葉を返す事はなかった。
けれどあの方と会うたびに募るわたしの想いに兄は気付いたのか、兄はわたくしをあの方に下賜すると決断してくれた。
その時、兄は言った。
――お前はあやつと同じ時を見ることは叶わない。お前はそう遠くないうちに死に、あやつを残して逝くことになるだろう。お前はあやつの枷となるだろう。それでもあやつと共になりたいと願うか。
言われるまでもなく、わかっていた。
あの方を兄は己の命を預けることが出来るほど信頼していて、わたしがあの方の生きる枷となるだろうことを憂えていたことを。
妹のわたしと夫婦にすることで彼の地位を確固たるものに出来るとしても、間違いなく先に逝くわたしの存在が彼の重荷となるだろうことも。
それでもわたしは、頷いていた。
例えあの方に好いてもらえなくとも、わたしという存在をあの方と共に遺して欲しかったから。
暫くは平穏な日々が続いた。
あの方とわたしの婚約が発表され、国を挙げてのお祝いとなった。
パレードの最中、あの方は照れたようにわたしの顔を見ようとはしなかったけれど、それでもエスコートする手はとても優しいものだった。
逢瀬と呼ぶにはとても拙い日々。
手を握ることも、触れ合うような口吻を交わすことも、見詰め合うことも、愛を囁くことも。それすらもない、だけどとても穏やかな日々。
ままごとのようだと陰口を叩く者がいるのは知ってはいたけれど、それでも良かった。
わたしはそれで満足だった。
あの方と一緒にいるということ自体が、わたしにとっては重要だったのだから。
北の国との幾度目かの交渉の席にあの方が同席する為に王都を離れていた時のこと。
わたしの身体はついに限界を迎えた。
はじめは季節の変わり目の、よくあるだるさからだった。
けれどそのだるさが抜けることはなく、微熱が続き日中も寝て過ごすことが多くなった。
起きている時間は、あの方に手紙を書くことに使った。
返ってくるのは素っ気ない短い文章だけだったけれど、それでも返事がくるのが嬉しかった。この手紙の返事がくるまでは。そう自分に言い聞かせて手紙を書いた。
本格的な冬となる前に、北の国との交渉を終えてあの方は戻ってこられた。
この時のわたしは既に立って出迎えることも出来ず、それでも心配させまいと応接室で出迎えた。
道中買ったという赤い石のついた指輪をわたしに差し出し、あの方は照れた様子で言われた。
――けじめとして、求婚の印として私から姫に指輪を送りたい。
兄が国一番の細工師に作らせた指輪を、婚約を交わした時に交換した。
この時には痩せてサイズが合わなくなってしまったから身に付けることは叶わなかったけれど、鎖に通して肌身離さず持っていた。
自然と流れ落ちる涙に驚いたようだったけれど、この涙が嬉し涙だと知ると彼は笑ってわたしの指にその指輪をはめてくれた。
ぶかぶかで、わたしが痩せてしまったせいだというのに、やっぱり武骨な自分が指輪を買うのは荷が重かったと、笑って言った。
冬の間は戦はないのだと、兄もあの人も言って、可能な限りわたしの傍にいてくれていた。
昼間は、長い距離を自分の足で歩くことが出来なくなったわたしを抱いて、温室までつれていってもらった。熱が高くて寝台から出ることが出来ないことも、徐々に多くなっていった。
一瞬一瞬がもったいないとでもいうようにあの方はわたしの傍から離れることをせず、副官が書類を持って訪ねて来ることも少なくなかった。
じっとしているのは辛いでしょう。と、暗にわたしよりも仕事を優先してくださいと伝えると、いつもの笑顔を浮かべて言われた。
――たまにはゆっくりするのも良いものですね、姫。正直言うと、俺は執務が苦手でして。姫を口実に逃げることが出来て助かっているのです。
嘘つき。
喉まで出掛かったその言葉は、言葉にならなかった。
兄や宰相が、戦が落ち着いたら本格的に執務を覚えてもらうのだと言っていたのを知っていた。剣だけでなく頭も良い彼に軍部を纏めてもらうのだと、嬉しそうに言っていたのを覚えている。
言えなかったのは、それが嘘でも一緒に居てくれるのが嬉しかったから。
夜になると、あの方はわたしの寝室に持ち込んだ長椅子で仮眠を取った。正確には仮眠を取っているのだと、侍女に聞いた。
わたしが眠りにつくまでは、寝台の縁に腰掛け、色々な話をしてくれていたから。
一番多かったのは、異国の話。
北の国でも南の国でもない、もっともっと遠くの国の話。護衛として出向いた先で見聞きしたことを、面白おかしく話してくれた。
話をするのがとても上手で、異国の話を聞いた夜はうなされることもなく眠ることが出来た。
夢の中では、その異国をあの人と散策することも多かった。
それは決して叶うことのない、夢。
春になったら南の国との戦が始まるだろうという噂は、寝台から出ることが叶わなくなったわたしの耳にも届いていた。
兄が顔を見せることが少なく短くなり、あの方を訪ねに副官が訪れることが多くなった。
それから、往診に訪れる医師の顔は徐々に芳しくないものに変わっていくことも。
寝ている時間が多くなった。
起きていてもどこかまどろんでいるようで、ふわふわとした意識の中であの方の名前を呼ぶと、わたしの名前を呼ぶ声と手を握る感覚が返ってきた。
あの方が傍にいる。
その事実が嬉しくて、つい、笑みがこぼれた。こんな状況なのにわたしの傍にいてくれるという、独占欲と一緒に。
起きているのも辛くなったその日、わたしはこれがわたしの最期なのだと理解しながら、あの方の名前を呼んだ。
返ってくる声と、手を握る感覚。
それに笑みを浮かべながら、あの方に言う。
次に生まれる時は、丈夫な身体で生まれてくるから。だから再び、わたしと恋に落ちて欲しいと。
醜いと、思った。
今世だけでなく、来世でもあの人をわたしに縛ろうとするなんて。
――もちろんです、姫。いえ……ミューリリア。必ず貴女を見つけて見せます。ですからこの約束を忘れないでください。
幾度も繰り返されるその言葉に、せめて死に顔だけは美しくありたいと、笑みをつくり目を閉ざした。
ミューリリア・ノーセ・ファルティシオの生涯はここで終わった。
兄のために行きたいと願いながらも、愛する人を見つけた途端兄を棄てた薄情者の。愛する人の一生を今世だけでなく来世までも得たいという、強欲な醜い女の。
十七年という歳月が長いのか短いのかはわからない。
だけれど、十五歳まで持たないと言われた身としては十分満足に生きたと言えるだろう。
だけど、実はミューリリアの生はもう少しだけ続く。
軽くなった身体で、薄明るい世界に気付けばいて。
そこで若いかも年老いたかも男かも女かもわからない、白い人がわたしを出迎えた。
そして白い人が、言う。
あなたは何を望みますか?と。
その時の自分は即答した。
今度は丈夫な身体であの方と再び巡り会いたいです、と。
兄のことと悩みもしなかった自分に、なんとも薄情な妹だと思わず恥じてしまうほどに。
白い人はわたしの答えに苦笑し、それからその願いを叶えると約束してくれた。
今のわたしが思うに、その人は神で転生を管轄していたのではないか。それは推測の域を出ない。
でも間違いなくわたしはミューリリアの記憶を持ち、いまここに居る。
ミューリリア、貴女は本当に次の世でもあの方を――クルーヴ様を欲した?
問いかけたところで返ってくるはずのないそれの答えは、きっと再会した時にわかるだろうと、わたしは思っている。
あとがきのようなものは活動報告に。




