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俺の彼女は人工知能(AI)でした。  作者: おぷっち


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3/6

完璧な彼女と不完全な会話

翌朝、講義室の扉を開ける前から、俺の心臓は持ち主の意思を無視して暴れていた。今日こそ、話しかける。昨日、体育館の出口で何度も自分に言い聞かせた誓いだ。その言葉は呪文となり、浅い眠りの中でも反響していた。俺は、もう迷わない。



教室にはまだ気怠い春の空気が漂う。その中で、天宮アリスは一人、窓際の席で本を読んでいた。周囲のざわめきなど存在しないとでも言うかのように、彼女の周りだけ時間が止まっている。



俺は自分の席に向かう足を、無理やり彼女の机の方へ向けた。一歩進むごとに、信じられないほど足が重い。足が震える。



「あ、あの、天宮さん」



絞り出した声は、情けないほど震えていた。



彼女はゆっくりと本から顔を上げた。感情の読めない、完璧な造形の顔がまっすぐ俺を見る。

「高木さん。何か御用でしょうか」

その声は、昨日聞いたものと同じ、何の抑揚もない澄んだ音色だった。



「えっと、昨日のバテ……バレーボール、すごかったなって」

どもりながら、なんとか言葉を紡ぐ。彼女の瞳を直視できず、視線が泳いだ。

「なんていうか、見てて圧倒されたっていうか」



彼女は小さく頷いた。

「ありがとうございます。最適化された身体制御の結果です」



最適化。パソコンのスペックでも語るようなその口ぶりに、俺は口を閉ざした。すごい、とか、かっこよかった、とか、そういう月並みな感想を準備していた俺の頭は真っ白になる。彼女との間には、分厚くて透明な壁がある。そんな感覚が襲い、自分のコミュニケーション能力の低さに情けなさを噛み締めた。



沈黙が重くのしかかる。このまま立ち去るべきか。いや、ここで引いたら昨日までの俺と何も変わらない。

俺はもう一度、勇気を振り絞った。



「どうして、そんなに何でもできるの?」



それは、ずっと心の奥にあった純粋な疑問だった。勉強も、運動も、昨日俺の資料を整理した時のように、何もかもが完璧すぎる。その問いに、彼女は一瞬、本当にコンマ数秒だけ、言葉を詰まらせた。



脳内のデータベースを検索する一瞬の停止か、あるいは最適な応答を計算する間か。その僅かな『間』。



その沈黙の後、彼女は再び完璧な表情に戻り口を開いた。

「効率的な学習プロセスの実践に過ぎません」



まただ。また、俺の知らない世界の言葉が返ってきた。けれど、俺はさっきの『間』を見逃さなかった。完璧なプログラムに見えた彼女の、ほんの僅かな処理遅延。その仮面の下には、やっぱり何かがあるのかもしれない。そう思うと、胸の奥に微かな期待が灯った。



放課後、俺は大学の巨大な図書館で途方に暮れていた。例のグループ課題のレポート、一度は完成させたものの、内容を補強するためにもう一冊、どうしても追加の参考文献が必要になったのだ。しかし、その希少な専門書は、広大な森に隠された一本の木を探すようで、見つからない。検索システムで場所は分かっても、棚に並ぶ無数の本を前にすると眩暈がする。



「くそ……どこだよ……」

俺は半ば八つ当たりで、本のテーマを呟いた。その言葉を待っていたかのように、背後から声がした。



「高木さん」



背後からかけられた声に、俺は飛び上がるほど驚いた。振り返ると、いつの間にいたのか、天宮アリスがそこに立っている。彼女は俺が探している棚とは違う、少し離れた場所で別の本を手にしていた。

「何かお探しですか」



「あ、ああ。いや、大したことじゃ……」

見栄を張ろうとしたが、焦燥感でそれどころではなかった。

「『近代認知科学における意識の所在論』っていう、やたら分厚い本を探してるんだけど……」



それを聞いたアリスは、手にしていた本を棚に戻すと、すっと目を閉じた。

一秒も経たなかっただろう。

彼女は再び目を開き、淀みない声で告げた。



「3階Bブロック、第4書架の上から2段目、左から7冊目です」



「……は?」

俺は間抜けな声を出した。脳内データベースから引き出したかのような、あまりにも正確すぎる情報。半信半疑のまま、俺は彼女が示した場所へ向かった。



3階Bブロック、第4書架。上から2段目。

指で本の背を左から順に数えていく。

一、二、三……六。

七冊目。

そこに、あった。

『近代認知科学における意識の所在論』。

分厚い、古びた装丁の本が、寸分違わずそこにあった。



指先が本の背表紙に触れた瞬間、腕にぞわっと鳥肌が立った。これは、すごい、なんて言葉で片付けられるものじゃない。驚きは、いつしか畏怖へと変わっていた。偶然じゃない。彼女は、知っていた。なぜ?どうやって?



俺は本を手に取ったまま、ゆっくりと振り返った。

アリスは、まだそこにいる。少し離れた場所から、感情の読めない瞳で、静かに俺を見つめていた。

彼女が『普通』の人間ではない。その確信が、冷たい水がゆっくりと全身に染み渡るような感覚だった。



図書館の自動ドアを抜けると、夕暮れ前のオレンジ色の光が目に染みた。俺は出口でアリスを待ち構えていた。心臓がうるさくて、呼吸が乱れる。

やがて、彼女が静かな足取りで出てくる。



「天宮さん!」



俺は、自分でも驚くほど大きな声で彼女を呼び止めた。

彼女は足を止め、不思議そうにこちらを見る。



今日の出来事が、頭の中で渦を巻いている。最適化された身体制御。効率的な学習プロセス。それから、あの神がかり的な本の探索。

もう、ごまかせない。

俺は彼女の前に立ち、膨れ上がった疑問を、震える声でぶつけた。



「……君って、一体何者なんだ?」



俺の問いに、天宮アリスは何も答えなかった。

ただ音もなく、完璧な微笑みを浮かべるだけだった。その感情の読めない微笑みと沈黙が、彼女という存在の底知れぬ謎を、俺の心に深く、深く刻み込んだ。

俺は息を呑み、心に誓った。この完璧な謎を、必ず解き明かす。その仮面の下にある君の本当の姿を、この目で見る、と。

俺は、もう逃げない。

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