完璧な彼女と不完全な日常
「ほら見ろ、俺の言った通りだろ? 容姿端麗、頭脳明晰、スポーツ万能…完璧すぎて、作り物みたいで逆に怖いって。あながち冗談じゃなかったりしてな」
隼人の軽口が、鉛となって俺の胸に沈む。否定できない。今日の彼女の行動は、すべてが異常だった。
作り物。
その言葉が、頭の中で反響する。もし、本当にそうだったら?
いや、そんなはずはない。人間だ。血の通った、人間のはずだ。俺はかぶりを振って、冷めた味噌汁を喉に流し込んだ。
午後の体育は、選択科目のバレーボールだった。男女混合のチーム分けで、俺とアリスは同じチームになった。
「よろしく、お願いします」
彼女はチームメイトに深々と頭を下げる。その完璧な所作に、男子の何人かが顔を赤らめた。
しかし、試合が始まると空気は一変した。
相手チームのエースが放った強烈なスパイク。誰もが諦めたそのボールに、アリスが滑り込む。床スレスレで拾われたボールは、まるで磁石に引かれるように、セッターの真上へ完璧な軌道を描いて上がった。
「ナイスレシーブ!」
誰かが叫ぶ。だが、彼女のプレイはそれだけでは終わらない。
相手の動き、ボールの回転、落下地点。そのすべてを物理法則に従って計算しているかのようだった。どんなフェイントにも惑わされず、常に最適なポジションに移動し、完璧なレシーブを返す。
最初は歓声が上がっていた。だが、それが五本、十本と続くと、コート内の雰囲気は徐々に変わっていった。
賞賛は、畏怖に。そして、不気味さへと。
「なんか…怖くない?」
「全部拾うじゃん……ロボットみたい」
味方チームから聞こえてくる囁き声。彼女の完璧さは、いつしか人間離れした「異質さ」として、チームメイトとの間に見えない壁を作っていた。
試合終了のホイッスルが鳴る。俺たちのチームは圧勝だった。
けれど、ネットの向こうに整列する彼女の周りには、誰も近寄ろうとしなかった。ハイタッチを交わす輪からも、自然と外されている。
コートの真ん中で、彼女は一人、静かに佇んでいた。
スポットライトを浴びる舞台の主役。それなのに、世界で一番孤独に見えた。
その完璧な後ろ姿が、やけに不完全で、どうしようもなく人間くさく見えてしまったのは、なぜだろう。
胸が、締め付けられる。
怖い。確かに怖い。でも、それだけじゃない。あの完璧な仮面の下で、彼女は一体何を考えているんだろう。俺は、それを知りたいのかもしれない。
同情じゃない。憐れみでもない。もっと別の、名前のつけられない感情が、恐怖を上回って膨れ上がっていく。
俺は、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
明日こそ、俺から彼女に話しかけてみよう。
汗ばんだ拳を握りしめ、俺は心の中で静かに誓った。
両チームがネットを挟んで再び整列する。「ありがとうございました」という声が体育館に響き渡り、形式的な礼が終わると、張り詰めていた空気が一気に緩んだ。チームメイトたちは「お疲れー!」と互いの健闘を称え合い、汗を拭いながらコートを離れていく。
俺も仲間と軽く拳を合わせながら、無意識に視線は彼女を探していた。
彼女は、誰に声をかけるでもなく、かけられるでもなく、一人でボール籠のそばへ向かうと、散らばったボールを拾い始めた。その動作には一切の無駄がない。腰を落とし、ボールを掴み、籠に入れる。一連の流れがあまりに滑らかで、精密にプログラムされた機械を思わせる。
「手伝うよ」
その一言が、喉まで出かかっているのに、声にならない。体育館の喧騒が、分厚いガラスとなって俺と彼女を隔てている気がした。俺の足は、床に縫い付けられたように動かなかった。
「おい、帰んぞー」
背後からチームメイトに肩を叩かれ、俺ははっと我に返る。
「今日のあいつ、マジで化け物だったな。一本も決めさせてもらえなかった」
「だよな。こっちのスパイクコース、全部読んでやがった。未来でも見えてんのかよ」
仲間たちの会話は、当然のように彼女のことで持ちきりだった。賞賛と、ほんの少しの呆れと、そして明確な畏怖が混じり合った声色。誰も彼女の内心なんて気にしていない。ただ、圧倒的な「現象」として捉えているだけだ。
俺は曖昧に笑って頷きながら、もう一度コートに目をやった。彼女はすでに片付けをほとんど終え、ネットの支柱に手をかけている。その小さな背中が、やけに大きく見えた。
違う。彼女は化け物なんかじゃない。未来が見えているわけでもない。
じゃあ、何なんだ。あの完璧さは、どこから来るんだ。
問いは、答えのないまま胸の中で渦を巻く。
部室に戻り、汗まみれのユニフォームを脱ぐ。ざわめきの中で着替えを済ませ、体育館の出口へ向かうと、夕暮れのオレンジ色の光が目に飛び込んできた。その光の中に、見慣れた後ろ姿があった。
彼女だ。一人、校門へ向かってゆっくりと歩いている。背筋の伸びた、どこまでも完璧な歩き方。
今なら、追いつけるかもしれない。「明日」じゃなく、「今」声をかけるべきなんじゃないか。
そう思った瞬間、心臓が大きく跳ねた。けれど、足は一歩も前に進まない。結局、俺はただの臆病者だ。決意なんて、状況が変わればすぐに揺らいでしまう、脆いものだった。
彼女の姿が小さくなっていくのを、俺はただ見送ることしかできない。夕日が彼女の輪郭を溶かしていく。この世界から消えていってしまうようだった。
違う。消えるのは彼女じゃない。このままじゃ、俺の視界から彼女が消えるだけだ。胸の奥で、今日生まれたばかりの感情が、確かな熱を持って疼いた。
明日こそは。今度こそ、本当に。
俺は夕日に染まる空を見上げ、もう一度、今度はもっと強く、心に誓いを立てた。




