06 血の咎
魔方陣が強く白い光を放つ。眩しさに目を細めても、あまりに真っ白で何も見えない。
光が落ち着くと、そこにいたのは、年老いた老人と、二つの淡い光の玉だった。
「な、これは、どういう……」
「なるほどあんたがこれの父親ね?そして依頼主の息子、と。そしてあれらが元凶」
「あー、あれはめちゃくちゃいい素材っすねぇ!」
隣でデゼルがとびきり嬉しそうな声を出した。
「……あやつのあんな声、聞いたことがないぞ」
父上が小声で僕に囁く。
「先代のネルサ侯爵で良いかしら?あたしは、天香の魔女ヨランド」
ヨランド様の言葉を聞いて、老爺は顔を青ざめさせた。
「なんでここに喚ばれたか、わかってるわよね」
逃げ場を探すように爺が視線を巡らすと、すぐそばに転がっている自分の息子が見えたようだ。
「まっ、まさか、本当に使うとは思わなかったんだ……!」
「はぁー、第一声がそれ?」
「……終わったな」
そうデゼルがつぶやいた後、「ま、元々終わってましたけどね」と自ら付け足す。
「百年前の件、魔女魔法使い界隈でもかなりインパクトでかかったんすよ、ヨランドもかなりの罰を受けたって聞いてます」
「あんた、先代ならきっとその上から聞いてたわよね、てか知ってたんじゃない? この毒は当初の目的以外に使うな、廃棄しろ、ってあたしの通達。魂だけになってるそこのクソ野郎と見たでしょう」
ヨランド様が顎でしゃくった先、光の玉は、二人まるで恐怖に震えるように寄り添っている。
「……ねぇ、なんで言うこと聞かなかったの? あんたあたしに依頼した時、あたしが契約の証に一滴血をもらったの忘れた?」
左手の中指をくいくいと動かすと、光の玉が一つ、ヨランド様の手元に吸い寄せられる。
「ほら、言い訳があるなら言いなさい」
光の玉が一生懸命何かを主張するように動いている。
「なになに、二人で死のうと思ったが、毒が使用人に見つかって親に取り上げられた? それで? 婚約者だった女は別の男と真実の愛を見つけて逃げていったから? 自分が継ぐ時に毒を返してもらって『これは切り札にしろ』って言われたからそうしてきた?
……ねえそれ、理由になると思ってんの?」
どんどん部屋が寒くなってきている気がする。
「……この場合、あれの親も咎められるのか?」
父上がデゼルに尋ねる。
「どうでしょうねぇ……たとえばそれこそ、自分たちの尊厳が穢されそうになった時に自決するって使い方なら、たぶんセーフです。その想定で託してるなら親に咎は及ばない。
もしそうではなく、文字通り何かの切り札として使わせようとして言ったなら、アウトです」
「なるほど……」
「ただ、俺があの頃の魂が欲しいって言った理由がこの辺にあって。あの頃のウルフェルグ、大荒れだったんすよ。疫病も流行ったし侵攻もされてて、尊厳を守るための一家心中がゴロゴロあった。だからセーフのような気はしますねぇ」
そう言いながら部屋の中心を見つめ続けるデゼルの目は冷ややかだ。
……いや、糸目、開いてるのか?
「それじゃああなたの親もここに喚びましょうか?」
ヨランド様がそう言うと、光の玉は慌てたように忙しなく動き始めた。
「……あの反応、たぶんあいつの曲解っすね」
「……見ればわかる」
「あら、喚ばなくて良いの?そう。まあ喚ぶまでもないわよね。一番悪い子だけ喚んだんだもの。ここに来てないってことは、そういうこと」
「一番、が、同率」
思わず口にすると、デゼルが応えた。
「そうなりますねぇ」
「しかし三代か……重いな」
「ネルサ家って後継の嫡男がいましたよね。三代じゃ済みませんよ」
「……急に事務官らしいことを言うんだな」
父上が呆れたように言うと、デゼルはニヤリと口の端を上げた。
「こう見えてウルフェルグに勤めて長いんでね」
「みーんな言い訳!血は争えないわねぇ、ほんと、笑っちゃうくらい」
そう言うヨランド様は全く笑っていない。
「魔女や魔法使いはトンデモな力が使える何でも屋じゃないのよ?『魔女の理』ってあたしたちの戒律にはね、あたしたちなりのルールがあるの。そのひとつが政争に加担しないってこと。
え? 聞いてない? 言わないわよ、だって心中するために頼まれた毒だもの。可愛らしい恋する男女にそんな説明すると思う?
そもそも用途外に使ってる上に、それが政争に使われただなんて……ほんと、純粋にあんたたちを信じた自分が情けなさすぎて涙も出ないわ」
はあ、と短くヨランド様がため息をついた。
「そういうわけで、残念だけどここにいるあんたたちはあたしが責任を持って裁きます。
……ん?自分は関係ない?番っておいて何を甘ったれたこと言ってるの。あんたが止めればこんなことにはなってないし、第一、契約の時にあんたもいたでしょう」
どうやら先先代の夫人が抗議したらしい。一緒になって喚ばれている時点で、有罪確定だということをわかっているのか、いないのか。
「あんたたち心中し損ないは、あいつに……あ、デゼル、女の方もいる?」
「え? もらって良いんすか? あの時代のメスの魂ってなかなか手に入んないんで助かります。ほんと、恋は上書き保存なんて良く言いますよねー、すぐ転生して次の恋しやがる」
デゼルが手を伸ばして掴むような仕草をすると、床に落ちていたデゼルの手の影が意思を持ったように動き、二つの光の玉を捕らえた。
檻のような形状で、ガッチリと逃がさないようになっている。
「はー、中を覗くのが楽しみだなぁ、ヨランド、ありがとうございます」
「いいえー」
こちらを見ないまま、ヒラヒラとヨランド様が手を振った。
「じゃ、次はどっちが良いかしら……」
残った二人の人間たちにヨランド様が目を向ける。侯爵はまだ声にならない声を出しながらのたうちまわり、先代の侯爵は腰を抜かしてヨランド様を見上げている。
「あー、ジジイの方があっちの欲がありそうだから、これをあの子にあげましょう」
ギャラリーである男三人の動きが止まる。
「……どう見てもよぼよぼなのに……」
「老いと欲は関係ない」
「生涯現役っすからねえ」
「それじゃあごきげんよう。自分の親と息子を恨んでるかも知れないけど、あんたも同罪だからね」
キセルの先でコン、と軽く先代侯爵の頭を叩くと、音もなく老爺の姿が消えた。
「たくさん搾り取ってもらいなさいねぇ」
ニタリとヨランド様が笑う。あの爺さんがどうなるのか、想像するのが怖い。
「……で、最後はあんた。どう?あんたのせいで父親やその親がひどい仕打ちを受けるのよ」
ネルサ侯爵はぜえぜえと喘ぎながら、僕を音がしそうな眼差しでにらんだ。
「お、おまえが……」
「……」
「お前がとっ……とと死ねば……っ、国王陛下だっ、て目を覚まされた……っがっ」
「悪いがそれは私が否定させてもらおう」
父上がネルサ侯爵のそばに歩み寄った。
「確かにこれは問題児ではあるが、だいぶまともに振る舞えるようになったのだ。第一、どんなに性格に難があろうと、使いこなしてこそ統治者よ。いざとなれば切り捨てる覚悟は、今この瞬間にもある」
「……かっ」
ネルサ侯爵が血走った目を見開く。見開きすぎて、目から血が溢れ出したのが見えた。
くるりと踵を返すと、父上は僕の隣に戻ってきた。
「ヨランド殿。もうこちらは十分だ。あとは如何様にもしてくれ」
「はぁい」
「へ、陛下……陛下アアアッ!」
「はい、じゃあおしまい。恨むんならイオルムじゃなくて、毒をちゃんと処分しなかったあんたのじいさんばあさんを恨むのね」
キセルをくるくると回すと、ヨランド様は小さな声で呟くように呪文を唱えた。
『暴れなさい』
次の瞬間、ネルサ侯爵がひときわ大きく叫び声をあげた。
足をばたつかせ、喉を両手でかきむしるように押さえながら、血の涙を流して怨嗟の声を上げている。
その目はまっすぐに、僕だけを見ていた。
しばらく経つと、ネルサ侯爵は動かなくなった。
「……死んだのか」
父上の問いに、間髪入れずにヨランド様が答える。
「いいえ、まだよ」
「まだ? どう見ても死んだように見えるが」
「これの体内に入れた毒が満足したから休んでいるだけ。この男が体力を取り戻せば、また暴れるわ。……繰り返すとね、この男が力尽きた時に猛毒ができるの。まあ三年くらいかかりそうねえ。大事に育てるわ」
右手に持っていたキセルの先をポンと左手で受け止めると同時に、ネルサ侯爵がずぶずぶと魔方陣の下に沈んでいく。
「というわけで処理はおーしまい! デゼル、本当に記憶操作お願いして良いのかしら」
「いいっすよー、俺の得意分野ですし、良いモノを二つももらいましたからね。しっかりバッチリやっときまーす」
デゼルがおどけて敬礼をする。
「よろしくね。じゃあイオルム、あなたのお姫様の容態を見たら、あたしは帰るわ」