02 思っていたより希少で物騒
翌日、リリスのお見舞いに行った後、城にいたデゼルを捕まえた。
「デゼル」
「おや殿下、どうしましたか」
「ねぇ、生ハム、食べる?」
「生ハム?」
デゼルが訝しげな顔をする。僕はきっと満面の笑みを浮かべているだろう。
「そう、生ハム。僕が精霊魔法で作った生ハム」
「はあ!?」
素っ頓狂な声が廊下に響いて、デゼルが周囲をキョロキョロと確認した。
「……冗談でしょう?」
「僕が冗談言うと思う?」
「……マジっすか」
「マジ。で、今の僕って回復期なわけ。……言いたいこと、わかる?」
にこにこしている僕の顔を数秒眺めて答えに行き着いたのか、普段なかなか見せないその目を薄く開くと、デゼルはため息をついた。
ちなみにデゼルは目が細すぎるから、視線が合っている実感はまるでない。
「マチルダのワインっすね」
「ふふふ。みんなのところで少しずつ分けてもらってるの。チルギ様から一番在庫があるのはデゼルだろうって聞いてるよ?」
「チルギめ余計なことを……」
あ、デゼルの舌打ち、珍しいな。
「まだ去年のがありますからそれ開けましょう。寝かせてるやつは開けませんよ。絶対に」
「……うまい」
王城の僕の部屋で。生ハムを食べたデゼルの第一声に、思わずほくそ笑む。
「精霊魔法で作ったって言いましたよね。期間は?」
「二年を十日に短縮した。熟成は結界魔法で時間の経過を早めた。塩の浸透とか塩抜き、あとは乾燥で精霊魔法を使ってる」
「しかし精霊魔法なんて、いつ使えるようになったんですか?」
「うん。ああそっか、デゼルには僕が何やってたか話してなかったね」
「ええ、全く」
魔道具師塔に行ってから、深淵の森で合金を錬成するまでの出来事を一通り話す。
話が終わると、デゼルは盛大なため息をついた。
「……はー、ホントに規格外だなあんた」
「へへへ」
「新月を待つ間に生ハム作ってみようなんて誰が思います!?」
「だって精霊たちが、チルギ様が生ハム自慢したってうるさかったから」
「あいつ余計なことしか言わないっすね……チルギはこの生ハム、なんて言ってました?」
瞬く間に一本が空になった。
「ミツノイノシシが最高だと思ってたけど、フタツノも意外といける、だったかな?たくさん食べてるから気に入ってはくれたと思う」
「ええ、ええ、そうでしょうね、これは間違いなく美味い……くそ、特別ですよ?三年前の、持ってきます」
「やったー」
「……うわぁ、寝かせると美味しいねえ」
グラスを新しく出して飲み比べる。全然違う。これ、寝かせたやつの美味しさを知らないってめちゃくちゃ損してない!?
「みんなガバガバ飲むから、魔女界隈で寝かせてるのはたぶん俺くらいでしょうね」
「へえ。じゃあビンテージものってほとんどないってこと?」
「人間はワイン寝かせるの好きっすね。コレクターはいると思いますよ。そもそもマチルダのワインが人間の手に渡ることは本当に稀っす」
「そうなの?」
「人間は購入資格を得るための課題みたいなのが毎年違うんすよ。簡単な年でも五人は死にますね」
デゼルの言葉を頭がすぐに処理できず硬直する。
「……は?死ぬ?」
「課題内容が発表された時点で大体の人間は諦めるんすけどね。諦めきれない奴とか腕試ししたい奴が無茶するんすよ。だいたいが素材採集なんですけど、Sランクの冒険者でも成功率五割、みたいな難易度で。
まあ冒険者雇うのもオッケーなんですけどねぇ……よっぽど魔女や魔法使いのコネを見つけた方が安全に手に入る」
「横流しとか転売ってこと?」
「一緒に飲むんすよ。外部には流さない。たまに社交好きな称号持ちがパーティー開きますね。その招待状の争奪でも、たまに血の雨が降りますよ」
「……えっぐ……そんなものを回復期だからって僕は水みたいに飲んでるの?」
「そういうことです。とっくに身体は落ち着いてる連中は、飲まなくても生きることはできますけど、いざという時のためにたまに飲んどくのが大事なんすよ。
ヨランドもここに来る前に飲んどけば、血を吐くなんてなかったんじゃないすかね。
殿下、少し気にしてたでしょ。あれはヨランドの怠慢なんで殿下が気に病むことじゃないっすよ」
「……そっか。ありがとデゼル」
僕の言葉にうなずくと、デゼルが楽しそうに生ハムを口に運ぶ。
「殿下の生ハムもたぶん近い効果ありますよ。マチルダの赤醸が血なら、この生ハムは肉って感じっすかね」
「ああ、血と肉。それでチルギ様は持ち込んでセット売りを提案してみろって言ったのか」
「セット売り?」
デゼルがまた怪訝そうに僕を見る。
「そう。僕って師匠がいないから普通のルートで得意先に入れてもらえないでしょ?紹介状と生ハム持ってマチルダ様のところに乗り込めって言われてるの」
そう言うと、デゼルはぽんと手を打った。
「それ名案っすね。チルギたまには良いこと言えるじゃないすか」
「うん。紹介状はグリス翁やチルギ様に書いてもらう」
「ああ、何なら俺も書きますよ?たぶん俺の紹介状が一番価値あるんじゃないっすかね」
「コレクターだから?」
「いや、面倒なことは何もしない堕楽のデゼルの紹介状ですからね、それだけで価値爆上がりっすよ」
「なるほどねぇ。じゃあお願いしようかな」
「わかりました。明日には用意しておきます」
ぐいっとカップのワインを飲み干すと、デゼルが開いているかわからない目をこちらに向けた。
「んで、リリス様はどうだったんですか」
「……ちょっと驚かれちゃった」
「そうですか。でも引いたりはしなかったでしょう、セスの女ですもんね」
「ああうん、ていうかセスの女だから、って理由になるの?」
「動じないですからね」
「ああ……そうだね、確かにそうだ」
「今日お見舞いは?」
「行ってきた。置いてきた合金は指輪になってぴったりリリスに寄り添ってた。ふふ、リリスが眠る前の僕みたいに」
「殿下」
「ん?なぁに」
「リリス様と、しっかり話をしてくださいね」
「話?」
「ちゃんと、そばにいてあげてくださいね」
「……珍しいじゃんデゼル。どうしたの」
「逃げるなよ、って意味です」
「ふふ、デゼルったらおじいちゃんみたい」
「実年齢で言ったらジジイですからね。長年人を見てるからこそ言うんです。
昔から一番めんどくさいのは男と女って相場が決まってるんすから、ちゃんと話しとかないと、後で痛い目に遭いますよ」
「……ありがと。気をつけるよ」
***
魔道具師塔に帰る前に、リリスの部屋にもう一度寄る。リリスは眠っていた。まだまだ、回復途中なのだ。
「……リリ……」
話をする?
何を話すの?
僕はもう人じゃない。
君の手を握って気がついてしまった。
自分の手が、とても冷たいことに。
目や舌だけじゃない。
体温も、変わってしまった。
君は受け容れてくれる。君はそういう人だ。
でも、ほんのわずかでも、拒まれてしまうことが頭をよぎって。
君に触れることが怖い。
僕の身体に起きたことを、君に伝えることが怖い。
心の整理は、まだまだつきそうにない。
――大好きなのに。
「……リリス」
僕の冷たい手が触れたら起こしてしまうかもしれない。
「うう……」
ちょっとだけ、ちょびっとだけ。
「大切なリリスに、幸せがありますように」
そう願って。
リリスの頬に短いキスをする。
そして、リリスの目が覚める前に、その場から魔道具師塔へ転移した。
臆病すぎるだろ、と自嘲しながら。
イオルムの年齢的に飲酒どうなの?というお話が出そうなのですが、ウルフェルグ王国は16歳から飲酒オッケーな設定です(ドイツ・フランスに近い)。なので無問題。それ以前に身体が変わってしまっているので年齢関係ないね?とは思っています。




