03 extra track ただ、君に愛を乞う (3)
「……やめ、て」
声が掠れて、うまく出ない。
「やめて……リリス」
「なぜ?」
「なぜ、って」
「わたくしが見定めた共犯者たる運命がそうあることを放棄したのに?」
「……っ」
「ああ、わたくしが壊れてしまったと思っているの?」
ミドガルに微笑みかけると、絶対零度の眼差しが僕を刺した。
「わたくしを壊したのはどなたでしたか?イオルム殿下。わかりきっていたことでしょう。わたくしが差し出した心を踏みにじり続けたあなたが、何を、今さら」
「ぼ、くが?」
僕が、壊した?
「そう。わたくしの心はあなたにことごとく砕かれた。
一番そばにいて欲しい時に、あなたは隣にいてくれなかったではありませんか」
だって。
だってそれは。
「だっ……て、リリスは僕のせい、で」
「そうね、イオルム様がわたくしを捨てたせいで」
「ちがっ!僕がリリスと婚約、したから」
「婚約なんて破棄すればいいだけですわよね。実際、陛下が何度も継続して良いのかと確認してくださったのよ?」
「違う!!……っ」
ゲホゲホと激しくむせてしまう。
「ふふ。わたくしが公爵家を奪還したら、ミドガルはメルグリス様にお預けしようと思いますの。意思を持ち、かつ単体で動くヨルム合金はこの子だけだと教えていただきました。魔道具師の皆様がたくさん可愛がってくださると仰るので、お任せしようかと。わたくしには、過去の男の身代わりなど、不要になりますので」
「……え」
何を言っているのか、理解が一瞬できなかった。
君を護るためだけに。
僕が人間であることと引き換えにして創った、ミドガルを?
「……捨て、るの?」
そんなに君に懐いている、ミドガルを。
「捨てる?先にわたくしを捨てたのはあなたでしょう。わたくしは次の、わたくしだけを常に大切にしてくれる男を盾にする。……それだけですわ」
ねえ、リリス。
なんで、そんなに優雅に笑うの。
なんで、そんなに楽しそうなの。
なんで。
ああ、心を折られる側って、こういう感じなんだ。
今まで散々折ってきたけど、される側になるのは初めてだな。
僕が心を折られる日が来るなんて。
よりによってその相手がリリスだなんて。
考えもしなかった。
地面に膝をつく。
そのままぺたりと、力無く座り込んだ。
「……二年、二年よイオルム。心が離れるには十分な時間だと思わない?」
リリスが一歩こちらに足を進めた。
「に、ねん?」
「まあ、まさか気付いていなかったの!?」
リリスが目を見開いた。
「でもそうね。二年も婚約者をほったらかしにするなんて、よほどの人でなしくらいよね。ね?イオルム」
人でなし。
その言葉が僕を深くえぐる。
ひとでなしってなに?
ひとじゃないってことー
でもイオルムひとだよ?
違うよみんな、僕は、人じゃない。
人であることを捨てたんだ。
リリスを、護るために。
「……ねえイオルム様」
リリスを見ると、長剣になったミドガルの剣先を真っ直ぐ僕に向けていた。
「あなたがわたくしにミドガルをくださった時、イオルム様は仰いました。
『こんな僕は、嫌いになった?』
と。
わたくしはこう答えたと記憶しています。
『嫌いになるわけがない』
と」
「……」
こくり、とうなずく。
そうだ、リリスはこう言ってくれていた。
『嫌いになるわけ、ないじゃありませんか』
って。
なのに。
「それなのにあなたはわたくしを避けた。
あの時こうも言っていらっしゃいましたね、
『僕が選んだ』
と。
あなたはミドガルをわたくしに与えるために、人の理を外れて蛇眼を手に入れた。
……わたくしが、その目を気持ち悪いとでも言ったことがございましたか」
違う。
そんなことは一度もなかった。
「……」
黙って首を横に振る。
「わたくしが同情や哀憫の心を抱いているとでも思っていらしたの?だから婚約を破棄も解消もせず、城に留まっていたとでもと思いですか?」
違う。
リリスは、少なくとも僕には、絶対に感情を誤魔化さなかった。
いつも真っ直ぐに、思ったことを伝えてくれていた。
僕が君の『共犯者』だったから。
「わたくしがあなたを見定めたのは、たかだか七歳の、わがまま放題に育ってきた公爵家の令嬢の気まぐれだったのでしょうか」
違う。
忘れるわけがない。
僕たちが初めて出会った日を。
白黒だった世界に、急に色がついたあの瞬間を。
「……あなたが蛇眼を手に入れた時、自分が選んだと言ったわ。
ねえ、イオルム。わたくしもあなたと出会った時、自分で選んだのよ?
わたくしがあなたと出会った時、わたくしにはわかった。
この男がわたくしの、『運命』だ、と。
ねえイオ、セス家における『運命』は、なんだって説明したかしら」
――獲物。
遺伝的な『執着持ち』と言われるセス家が色濃く持った、狩猟本能と嗜虐本能を徹底的に刺激する相手。
そう見定めるのはセスの人間であり、獲物として狙われたものの意思は、一切関係が、ない。
僕は、リリスに見定められた、獲物。
「……はあ。わたくしをもっと楽しませてくれると思っていたのだけれど、残念だわ」
チャキッ。
ミドガルが僕の鼻先に突きつけられる。
ミドガルの先、リリスを見ると、その目には失望がはっきりと見て取れた。
「わたくしの見る目がなかったのかもしれないわね。次は叔母様が見繕ってくださるお話だし、よりわたくしを満足させてくれる上質な獲物が見つかることを願いましょう」
「……まっ」
「なぁに?役立たず」
満面の笑みと共に突き刺される言葉に、頭が理解を放棄する。
「まっ、待って、リリス」
「二年も待ったのに、まだ待たせるの?イオルム」
「……っ」
「……もうこれ以上、わたしは待てない」
……どうして。
どうしてそんなに愉しそうなのに。
どうしてそんなに哀しそうな顔で言うの、リリ。
にねんってどれくらーい?
いおるむがかえってからいままでみたいだよー
そんなにながいかなあ?
にんげんにはながいんじゃなーい?
そっか、二年か。
僕はそんなに長い間、リリスから逃げていたのか。
そりゃ、リリスもこんなに綺麗になるわけだ。
ミドガルを、自分の手足のように扱えるわけだ。
……はは、それは、嫌われて仕方な
「ですから今ここで。
あなたと道連れにわたくしの心も殺してゆきます」
「……は」
月を雲が覆い隠し、リリスの顔に影がさす。
「イオルム殿下を今でもお慕いしてやまないあの日のリリスを、あなたの亡骸と一緒に埋めて行こうと思いますのよ」
待って。
リリス、今。
「なん、て」
どんな顔をしてるの、リリス。
「セス家の男たちのように、受け容れてもらえない自分本位な愛を獲物に与え続けるなんて、今のわたくしにとっては屈辱以外の何物でもございませんの」
「リ、リ」
「ですがそれももうこれでおしまい。あの時、貴方様に勝手に運命を感じてしまい申し訳ありませんでした、殿下。せめて最期は、苦しまずに逝かせて差し上げましょう」
違う、違う。そうじゃない。
君の愛は自分本位なんかじゃない。
僕が逃げ回っていた間も、ずっとまっすぐで。
痛いくらいに届いていた。
毎日のように書いてくれていた手紙は、自分の部屋から回収して魔道具師塔で箱に全部しまってある。
王族行事で会う君はいつもとても可愛くて、眩しくて、直視なんてできなかった。
手袋越しに伝わる手の熱、眼差し、全部が僕だけにまっすぐ向けられていて、嬉しくて苦しかった。
誰の手も届かない場所にさらって、閉じ込めて、ドロドロのでろでろになるまで僕の愛を伝えたかった。
君は僕の運命だから。
運命だったから。
だけど、僕が逃げたんだ。
僕が、手放した。
――ああ、馬鹿だなあ、僕。
剣が振り上げられる。
キラリと光るその切先を、呆然と眺める。
雲の切れ間から伸びた月の光が、リリスの鼻から下を照らした。
呟くように小さく動いた口と、その脇を流れた、ひと雫。
「――!!」
振り下ろされたミドガルを、強い結界で弾く。
「っ!!」
怯んだリリスに飛びかかり、地面に押し倒すとほぼ同時に、僕の首筋にミドガルの刃が触れた。




