09 絶望、波状攻撃
「……リリス……どうやって来たの、こんな奥まで。第一どうして、ここを」
イオルムが明らかに狼狽えている。
その様子を観察しながら、腕で額の汗を拭った。
奇襲作戦としてはまずまずといったところか。
ユークリッド殿下に空中に放り出されたのも結果オーライってところかしら。
「メルグリス様に聞きました。ミドガルを使ってあなたの魔力を探知したの」
周囲でざわざわとした気配を感じる。
わたくしには視認できないけれど、おそらく精霊だろう。
以前にイオルムがお世話になったようだから、全部終わったらお礼がしたいわね。
無事に終われば、だけれど。
「イオルム、この先へ行ってどうするつもりだったの」
まっすぐにイオルムを射すくめる。イオルムは視線を合わせずにうつむいた。この意気地なしが。
「……僕は」
「逃げるの?」
「違う!」
売り言葉に買い言葉、反射的に出たのだろう。
顔を赤くしたイオルムが頭を上げ、バッチリと目が合った。逃がさなくてよ、イオルム。
真正面から向かい合って相対するのは、いつぶりだろうか。
「……逃げでないのなら、なんなの?」
わたくしから、逃げに来たのでしょう?
二度と捕まらない場所へ。
その美しい青髪も。
年幼く見えるとろけるように垂れた目も。
ドロドロのぐちゃぐちゃにして、わたくしから逃げ仰る気でいたのでしょう?
――獲物の分際で。反吐が出る。
おろおろとイオルムが視線を漂わせる。
「……この森の主は、僕が倒してしまったから。瘴気がもうこんなに溜まってて、それで」
「だから責任取って今度は自分がこの森の主になろうっていうの!? そんなことをしたらどうなるかわかってるの!?」
異形化してしまうのでしょう?討伐対象に、なってしまうのでしょう?
死んで、しまうのでしょう?
「……たぶんその時は、ユークリッドが僕を仕留めてくれるよ」
長い沈黙ののち、絞り出された一言に失望する。
よく、わかったわ。
あなたがわたくしを何もわかっていなかったことが。
「それが、あなたの望みなの、イオルム」
「……うん。僕もう、疲れちゃった」
イオルムが悲しそうな顔をする。
「疲れちゃったんだ」
疲れた?
それを、あなたが言うの?
二年間あなたの心を待ち続けた、わたくしに言うの?
「……それなら」
――それなら、もういい。
静かにミドガルを構え直す。
「イオルム。わたしが、あなたを仕留めてあげる」
ごめんなさいね皆様方。やはりこの甘ったれは、ここで葬り去った方が良さそうですわ。
「……だめだ……」
イオルムが明らかに絶望したような表情を見せた。
「ダメだダメだ!そんなの絶対ダメ!リリスはぼ……ミドガルに、護られなきゃ!」
ひんやりとしたミドガルの体温を感じる。
わたくしを護るために、イオルムがこの森で創った、わたくしのための『生きた』魔道具。
それなら。
「なぜ?」
「……え?」
「なぜ、わたしが護られなくちゃいけないの?」
なぜ、わたくしがミドガルで戦う術を身につけることを、あなたは許したの。
「なぜ、って、だって、リリスは」
「……ふふ、イオルム殿下、ご存じ?わたくし、強くなりましたのよ」
わたくしを遠くから見ていたというあなたなら知っているのでしょう。
毎朝素振りと走り込みをしていたことも。
護衛騎士の方々に稽古をつけていただいていたことも。
あなたを想って、庭の片隅でこっそりと涙を流したことも。
全部、何もかもを。
知っているのでしょう?イオルム。
でも、あなたは勘違いしている。
わたくしは『セスの女』。
護るのは攻めて狩るため。
美味しい美味しい、ご馳走のため、なのよ?
「もう、わたくしは毒に倒れた眠り姫ではない。ご心配いただかなくても結構」
じりっ、とイオルムが後ずさった。
「ですから殿下、今のへなちょこな貴方様なら、わたくし一人で充分ですのよ」
「……へなちょこ、って」
「へなちょこじゃない」
否定をしても説得力などまるでない。
「……そんなへなちょこの始末程度、ユークリッド殿下に手を汚していただく必要もございません」
ああ、感情が声に漏れてしまったわ。
あなたの最期は、他の誰にも譲らなくてよ?
――あなたが大切に思う、あの男にもね。
「……あ」
無意識の威嚇に、イオルムがたじろぐ。
その隙は逃さない。 一気に間を詰めミドガルを振り下ろした。
イオルムはそれを間一髪で避ける。
逃がさない。絶対に。
「あなたはわたくしから逃げ続けた!」
次々に攻撃を繰り出すと、イオルムは魔法障壁で防いでいく。
「何を悲劇の主人公ぶっているの!?」
かつてはわたくしもそうだったのかもしれない。
「物わかりのいい顔して、勝手にいじけて引きこもって!」
ここまで拗れさせてしまうことも、やり方次第では避けられたのかもしれない。
けれど。
わたくしは何度も手を差し伸べてきた。
あなたがこの手を取る日を待っていた。
なのに。あなたは、逃げて逃げて逃げて逃げて!!
このわたくしを拒んだ!!
だから、悲しみも、怒りも憎しみも全部。
あなたがわたくしを護るために創ったこの子で。
あなたに叩きつけてあげましょう?
ね?ミドガル。
――わたくしの問いかけにミドガルが応えた。
一段階、速度が上がる。
「はああっ!!」
「!!?」
死角を突いて飛び掛かると反射的にイオルムが氷の礫を放ってくる。
ひとつ、頬を掠めた。
「リリス!」
あら? 絶望するの。イオルム。
わたくしの心を散々踏みにじり傷つけ切り裂いてきたあなたが。
頬の切り傷一つで何をそんなに悲痛な表情を浮かべているの。
「ふふっ、お馬鹿さん」
こんな傷、今までつけられたものに比べたら。大したことはないわ。
そのままイオルムに向かってまっすぐとミドガルを振り下ろす。
イオルムのコートの裾がはらりと切れた。
わたくしを攻撃してしまったこと、そして傷をつけたことに、明らかに動揺している。
本当に、甘い人。表面的な傷だけ見て、わたくしが今まで心に負ってきた傷になど気付きもしない。
「……どうなさったの、イオルム殿下。天才魔導士と言われるあなたなら、わたくしの剣なんてあっという間にへし折れますでしょう?」
傷がついたわたくしの頬を凝視したまま、表情がこわばっている。
これくらい、どうってことはないのよ?ハンター……捕食者ですからね。
ぐっと手の甲で拭って見せた。
――ああ、わたくしがミドガルを振るう目的が、気に入らないのかしら。
「ミドガル……ミドは、あなたよりずっと、今のわたくしを知っていましてよ。いつも一緒でしたもの」
「……!」
そう、あなたからこの子を受け取った日から。
片時も離したことはない。わたくしの何より大切なもの。
「わたくしの全てを、一番近くで見てきた」
ミドガルの剣身に、そっと頬を寄せる。
あら、そんなに苦しそうな顔をするのね。貴方が作った物なのに、嫉妬しているの?
わたくしに触れないと決めたのは、あなたのくせに。
「回復して最初に開いたお茶会の時も、殿下がすっぽかした王族行事も、剣の稽古も、不安な夜も、全部、全部全部! この子がそばにいてくれた……っ!!」
思った以上に感情が昂ってしまったようだ。イオルムを睨みつけるとたじろいでいる。
「リリス……」
「あなたはわたくしを捨てたんだわ。あの人たちと同じように」
そう、わたくしを産むだけ産んで、何もしない両親と同じ。
「違う!」
「何が違うの!!」
反射的に叫んだら、蛇になったミドガルがわたくしの腕に絡みついてきた。
大丈夫? と尋ねるように、顔を覗き込んでくる。
「ふふ、ごめんねミドガル。あなたを創った人はとっても無責任よね。創るだけ創って、あとは放ったらかし」
ミドガルに頬を寄せると、頬にそっと口付けてくれた。
本当に、誰かさんとは大違い。
「そんな、つもりじゃ……」
「産んで産みっぱなし。創って創りっぱなし。何が違うの」
そんなつもりじゃない?冗談じゃないわ。
そんなつもりじゃないのなら。
どうしてわたくしはこんなに傷つかなければならなかったの。
「わたくしはセス家を取り戻す。わたくしを産んだだけの肉塊も、腐った運命に憧れる兄も全て殺して。
……だから今からするこれは、その予行練習。わたくしを捨てた男が創ったミドガルでそのろくでなしを殺すの。ふふふ、素敵でしょう?」
良い顔ね、イオルム。でも、まだまだ。
ーー何度でも絶望させてあげる。
わたくしがあなたに絶望したように。
「殿下を殺せば婚約者ではなくなるけれど、陛下はお荷物を始末した褒章と慰謝料がわりに、わたくしがセス家の当主になるための助力は惜しまないと約束してくださったわ。
そうしたら近いうちにユジヌにいる叔母を秘密裏に訪ねることが決まってるの。そこでわたくしと未来のセス家を築くパートナーを紹介してもらう予定よ」




