12 純粋という毒
毒を入れても、釜の中は何も反応する様子がない。
「……温度が低い? いや、高くすると銀だけじゃなくて毒も変質するかもしれない……」
イオルムどうするー?
ぬしさましずかだねー
なにもいわないねー?
「……うん、ちょっと僕の魔力を足してみるね」
釜の外、熱を感じるギリギリの場所で手をかざし、自分の魔力を注ぎ込む。
リリスを護るために。
森の主や、みんなの思いを無駄にしないために。
僕はこれを完成させたい。
ヨランド様の薬入りのカップにやった時と違って、どれだけ魔力を注いでも、釜が満足する気配がない。
「……魔力じゃないな」
魔力を注ぐのを止めると、カバンの中から触媒として使えるものを探す。
この毒を蒸留した時、最初に黒いモヤからとれた液体。
毒の前に蒸留したいかにもヤバそうな黄色い液体。
毒を精製した時の残留物。
毒を固体化した時に出た水。
主から採れた大きな魔石。
主の遺灰ともいえる砂。
液体は入れたくないし、何より精製の時にとれたものは今入れている毒の成分と大きく違わないだろうから大きな効果は期待できない。
遺灰は違う、使うのは今じゃない。
魔石はでかすぎる。チルギ様が泣く。
あとは……
「これかな」
主の涙が結晶化したもの。おそらくこれも魔石だろう。
これも森の主の想いだ。これを使えば、反応を促進できるかも。
試験管の栓を抜く。
「当たれ……っ!」
小さな小さな黒い結晶を、釜の中にポトリと落とした。
次の瞬間。
釜の中身が急激に反応して、光を放ち始めた。
イオルムたいへん
かってにあつくなってる
とめられないよー!
「ありがとう! みんな離れて!」
僕の言葉を聞いて精霊たちが僕の背後に回る。
すごいねー
ぬしさまのきもちだねー
がまんしてたんだねー
「……そうだね」
釜の中の反応は進んでいく。このままだと変質してしまう。
――錬成が、失敗する。
足りない。何が足りない!?
このままでは爆発するかもしれない。そうしたら、クソ悪魔の狙い通り、この怨嗟を煮詰めた毒が拡散して、スタンピードを起こしてしまうかも、いや、もっとひどいことになるかもしれない。
くそっ、落ち着け、落ち着けイオルム!
気持ちを立て直すために目を閉じて深呼吸をする。
――ふと、メルグリス様の言葉が頭をよぎった。
『弟子入りのためには、魔力量や魔法のスキルだけじゃない、毒気が必要じゃ。お前さんは純粋すぎる上に潔癖すぎる』
森の主の言葉が、その後に続く。
〈私の毒はきっとその無謀な願いに足る毒だろう。ただ、君に今以上の苦しみや絶望をもたらすことになる。君を根本から変えてしまうものになる〉
僕はなんて答えた?
『リリスが元気になるなら、笑ってくれるなら。もう毒に怯えることがなくなるのなら、僕は、どうなっても良い』
そうだ。
僕は、リリスがいたから許されてきた。
たくさんの人や、人じゃないものたちに助けてもらって支えてもらってきたけれど、僕を動かすものはリリスだけだ。
薄情かもしれない。それでも良い。だって僕は散々化け物だと言われてきたんだ。
――毒がないことが罪なら、僕は毒のなさを毒にする。
目を開くと、足元に転がった毒を入れていた試験管が目に飛び込んできた。
「……!!」
毒を固体化した時に分離した水の試験管をつかむと、その中身を底に微量の毒が残った試験管に注ぎ込む。
精霊たちが悲鳴をあげた。
イオルム!
だめだよ!
くるしいよ!!
「……死んでも良い。リリスが生きていてくれるなら、笑い合えなくても良い……っ!」
そして、溶かした毒を、僕は一気に飲み干した。
イオルム!!
「うぐっ……!!」
……身体がまるごと焼けるみたいだ。
リリスは毒を服まされた時、こんなに苦しい思いをしたのかな。
『暴れなさい』
あの時、ヨランド様がネルサ侯爵に服ませた毒は、こんな風に身体を蝕んだのだろうか。
「ぐ、ううっ」
ごぷっ……みんなが織ってくれた麻が、吐き出された血で赤黒く染まる。
イオルムー!!
僕は、僕はどうなっても良い。死んでもしまっても構わない。
だけど、今ここでは終わらない。
ぐっと手の甲で口元を拭うと、制御下にある魔力を全て解き放った。
『我が名はイオルム=ウルフェルグ!あらゆる理を蹂躙せし者!』
錬成釜が僕の魔力に呼応する。
僕自身を媒体にして、魔法合金を作り上げてやる。
「……ふふ、見てなよ。今から僕が、人間も、魔女も、全部ぶっ飛ばしてあげる」
身体がきしむ。頭が割れるように痛い。服みこんだ毒が容赦なく僕を壊そうとする。
ここでやられてなどやらない。知ってる? 僕は壊して直すのが得意なんだよ。
錬成釜はまだ強く反応し続けている。
「あなたの言葉は……現実になりそうだねえ……」
釜の中と、僕の中にある怨嗟の猛毒に語りかける。
今以上の苦しみ、絶望。まだそれが何かはわからないけれど。
理の向こうへ向かおうとする僕は、それすらも飲み込むしかない。
釜に向けて広げている両手に、ビリビリと痺れが走る。
流れ込んでくるのは、圧倒的な哀しみ、触れられない傷み。
元々小さな蛇だったという森の主の、『こんなはずではなかった』という嘆き。
それを押し殺し、精霊たちに隠し通し、最後まで森を護り抜いたその矜持。
「……シビれるね」
その気持ち、僕がしっかり受け取るよ。受け取って、使わせてもらう。
「……くうっ……!」
左手をひねって、過剰なエネルギーの吸収を試みる。
ギリギリと骨が鳴る。立っているのもやっとだ。とにかく、痛い、苦しい。
なぜ、どうして、自分が。
膨大なエネルギーの海の中。大きな哀しみ、やり場のない怒りの波に何度も飲み込まれながら、必死に顔を出して呼吸する。
飲み込まれるわけにはいかない。僕は怨嗟を受け継ぐわけじゃない、使いこなすんだ。
「あなたは本当に、やさしい主だったんだねぇ」
耐えて、溜めて、飲み込んだ。百五十年、人なら三世代にも及ぶ負のエネルギー。
三世代、ああ、リリスが服まされた毒も、ネルサ侯爵家で三世代もの間大切にされていたんだっけ。
そんなに大事に大事にしていたら、存在自体が腐ってもう手に余るでしょ。
「――だから、僕にちょうだい?」
ピタリ。
全てが釣り合ったのがわかった。
この場を、この荒れ狂っていたエネルギーを完全に掌握したことを確信する。
「おいで」
左手の指を動かして『それ』を喚ぶ。
釜の中からゆっくりと這い出してきた魔法合金は、まるで生きたヘビのように僕の足元まで這ってきた。
黒い眼を持った銀色のヘビは、僕に従属の姿勢を示すことなく、迷わず僕の右中指に咬み付いた。
「……!! ……熱っ……!」
目が焼けるように熱くなる。
身体が作り変わる。
痛みが落ち着いて、眼を開けた瞬間。
僕は悟った。
――僕は、人ではなくなってしまったのだと。
イオルムー
イオルムだいじょうぶー?
精霊たちが寄ってくる。
「……ああ、ごめんね。ほら、できたよ」
足元でとぐろを巻いている魔法合金に視線をやる。
すごーい
このこぬしさまだー
ぬしさまのにおいがするー
「ほんと? 主の匂い?」
するよー
ぬしさまー
やさしいこだねー
「そっか。それなら安心だ」
リリスを託すに、相応しい。
イオルムかっこいいねー
ぬしさまとおなじめだー
「ふふ、ありがと。かっこいいって言ってくれて、嬉しい、よ……」
力を使い果たした僕は、その場で意識を失ってしまった。




