03 天香の魔女ヨランド
「……なるほどねぇ、アグナから久しぶりに紙鳩が来た時は何事かと思ったけど、これはコトね」
コンコンとリズミカルに管の長いパイプをテーブルに打ち付けながら僕の話を一通り聞いていたヨランド様は、手元の箱を開けてひとつまみ葉を取ると、くるくると指で丸めてパイプに入れた。
「イオちゃん、火、つけられる?」
「あ、はい」
パチンと指を鳴らしパイプの中に火をつけると、パイプをくわえて煙を吸い、深く吐き出す。
僕の視線がそこから動かないことに気がつき、ヨランド様はにやりと笑って僕に見せびらかした。
「東洋のパイプでキセルって言うのよ。イケてる女が使うの」
「あの頃は毒薬の注文がめっちゃ入ってねー、心中とか、自決用の。真実? 運命? の愛に殉じるんですって。まあそれはそれで構わないんだけど。
あたしも人ってやつを信じすぎたのよね。そうでない使い方をする奴がいた。
開封したらすぐに飲み切る、一定期間使われなければ毒を無効化する、みたいな仕込みをすれば良かったんだと気がついた時にはもうだいぶいろんなことに使われちゃっててねぇ……こっちの戒律なんて人間は知ったこっちゃないのよねぇ、後始末が大変だったわ」
ここでまたキセルをくわえ、すぅ、はぁ。
「だから注文があった家には通達を出したのよ。用途外に使うべからず。長期保管は変質するからきちんと始末をしろ、とね。
……今イオちゃんの話を聞くとそれも良くなかったのかもねぇ……代替わりしてたらそもそもどういう依頼であたしが作った毒かを知らないやつもいるだろうし、代替わりしてるなら自分は関係ないって思う奴もいるでしょう。今回のパターンはたぶんそれね」
カツカツ、と灰を灰皿に出すと、ヨランド様は僕をまっすぐに見た。
「あなたの可愛いお姫様をとんでもない目に遭わせてしまってごめんなさい、イオルム。命の危機は脱しているなら、追加で薬を調合すれば回復を早めることはできると思うわ。
理を破ったクソどもをシバかなくちゃいけないし、あたしも一度ウルフェルグに行きましょ」
「ありがとうございます」
「でもイオちゃん、除外者なのに自白魔法使ったんだって?」
「……あ、はい」
「後悔はないって顔、してるわね。罰はツケなんでしょ? あたしは何も課す気はないわ。むしろ良くやったって言ってあげる。アグナの代わりにね」
準備手伝ってー、と言われて荷物をあれこれトランクに詰めたり、持ち運び用の釜を磨いたりして、転移魔法でウルフェルグに跳んだ時には昼を回っていた。
城の自室に跳ぶと、デゼルを呼んだ。
デゼルにしては珍しく、数分でやって来た。
「おかえりなさい、イオルム殿下……あれ」
めったに目を開かないデゼルが、軽く目を見開いた。
こいつ、瞳は金色なんだな。
「初めまして、堕楽のデゼル。あたしは天香のヨランド」
両手にトランクを持ち、キセルをくわえたまま、ヨランド様も器用にお話するもんだと感心する。
「あっはは、まさかこんなに早くヨランド様を連れてくるとは思いませんでした。初めましてヨランド様。堕楽のデゼルです。この二つ名で呼ばれるのも久しぶりだなあ」
「あんた結構有名よ? 称号持ちのくせにめんどくさがって何もしない、って」
「事実ですからねえ。様をつけるのもめんどくさいんでヨランドって呼んでいいっすか」
「良いわよー」
デゼルに情報を共有すると、デゼルは糸目をさらに細めてうつむいた。
「はーん、それは色々待ったなしですね。まずはリリス様のところに行きましょうか。小康状態とはいえ薬は急いだ方が良いでしょう」
まずは容態を見ようということで、すぐ隣のリリスの部屋に移動する。ドアを開くと侍医がこちらを振り返った。
「イオルム殿下、お戻りですか……そちらの方は」
「天香の魔女ヨランドよ。あたしの子どもがとんでもなくやらかしたみたいでごめんなさいね。すぐに診て薬を作りたいんだけど、治療内容と経過を教えてくれる?」
「だいたいわかったわ、ありがとう。素晴らしい初期対応だと思うわ。この子の容態が落ち着いているのはあなたのおかげね」
ヨランド様に褒められて、年老いた侍医が飛び上がりそうなほど顔を赤くしている。
「よ、ヨランド様にお褒めいただけるなんて光栄です!」
「いい仕事を称えるのは当然のことよ。じゃあ次は……この子を診せてもらうわね」
リリスの枕元に立ったヨランド様が、静かにリリスの右手を持った。
「脈診なんだけど、より詳しく診たいからあたしの魔力を注ぐわね。少し静かにお願い」
ヨランド様が目を閉じると、身体から淡い光が立ち上る。
しばらくそうしていると、光が落ち着き、ヨランド様が目を開いた。
「状態は思っていたほど悪くはないわ。でも解毒の臓器が弱っているから、ここの働きを助ける薬を作りましょう。
あとは、身体が毒に苦しんでいた間の苦しみを記憶してて、休もうとする身体の働きを妨げているみたい。ここも緩和してあげたほうが良いわね……」
ヨランド様が外を見た。
「まだ間に合うかしら……イオちゃん、材料、採ってきてくれる? 乾燥させたのは持ってきたけど、採りたての方が効果が高いわ」
「行きます」
「デゼル、原料の名前から生息地わかる?」
「ある程度ならいけますよ」
「ミルシラルの樹液が欲しいんだけど」
「あーはいはい、ミルシラルなら割と近くにありますね。あれって確か採る時注意が必要でしたよね」
「そう。でもイオちゃんやるでしょ?」
「やります」
「じゃあよろしくー、三時間以内に頼むわ」
リリスをヨランド様と侍医に任せ、国王陛下の執務室に向かう。僕の報告を聞いて、父上はほっと息を吐いた。
「そうか、ひとまず兆しが見えそうで良かった」
「それで、今から僕は薬の材料を採りに行ってきます」
「今から? あと数時間で日が落ちるだろう」
「鮮度が良い方が効果が高いんだそうです」
「……それで、デゼルが一緒なのはなぜだ?」
「地図をお借りしようと思いまして」
「なるほど、その奥にあるから探してくれ」
執務室の奥から地図を取り出し、テーブルの上に広げる。
「ここです、嘆きの樹海。全体に分布してるはずですが、確実にあるのは南端ですね。殿下の転移魔法であればおそらく近いところまで跳べると思います。
ミルシラルの樹液は粘度があるので、指定の量を集めるためにおそらく半刻その場に留まる必要があるんですが、匂いを嗅ぎつけて蜘蛛が寄ってきます」
「蜘蛛」
「ナリツグモドキ……だったかな。成虫が脚まで入れてこぶし大くらいのサイズです。ポイントは心を無にできるか。感情の揺らぎを察知して、それと認識されると一気に襲ってきます。毒はないけど噛まれると地味に痛い。この痛みで感情が揺らいでまた噛まれるって悪循環が起こりやすい」
「……こぶし大、思ってたよりでかい……」
「魔法を使って防ぐ手もなくはないんですけど、それをしちゃうと樹液が微妙に変性するからおすすめしないですね。一番効くものを作りたいんですよね?」
「もちろん」
「噛まれた傷は戻ってきたら治療しますから、とりあえず頑張ってきてください」
「わかった。日没までには戻る」
部屋に戻り、急いで全身をしっかり覆う服に着替える。
虫は好きでも嫌いでもないけどこぶし大はさすがに気持ち悪い。重ね着をして、なるべく這う感覚が伝わらないように工夫した。
頭をすっぽり布で覆ったところで、ヨランド様が入ってくる。
「あー、行くのね? ……結構重装備じゃない」
「大きい蜘蛛が出るって聞いたから対策しようと思って」
「……まあそうね、どう頑張っても今のイオちゃんは気持ちが揺らぐでしょ。この小瓶に半分あれば良いから、たぶん四半刻くらいあれば大丈夫。
いざとなったら、ミルシラルの樹液、少し手にとって舐めなさい。ものすごく苦いけど、苦さで全部吹っ飛ぶわ」
「えええ、苦いんですか……」
「めちゃくちゃ苦い。けど、雑念が綺麗に消え去るわよ。あたしもたまに粉末舐めるけど、それでも結構効くの。生の樹液ならてきめんよ。それだけ効きも良いの」
「わかりました」
「フタをちゃんと閉めれば転移魔法使っても変性しないからその点は心配しないで。準備して待ってるから、なる早でよろしくね」
手を振るヨランド様に小さく頭を下げて、転移魔法を発動した。
ヨランド様は「お前よりも運命だ」の第一部 第二章で名前と声だけご出演があります。
あちらではちゃんとよそ行きのきちんとした対応をしていらっしゃいます。