03 いざ、深淵の森へ
あっという間にその日はやって来た。
試作を重ね、レポートを作り、メルグリスさまとチルギ様にもチェックしてもらう。持ち運びできる小さな錬成釜も、倉庫から引っ張り出して来た。
最上階のメルグリス様を訪ねると、ユークとシャオ、チルギ様もいた。
「あれ、思ってたよりたくさん」
「ウルフェルグになんて連絡するのか聞いてねえからな」
ユークが苦笑する。
「ああ、これ。自分で紙鳥飛ばしても良かったんだけど。これでよろしく」
メモしておいた内容をユークに渡す。
「任せな」とユークが紙をポケットにしまった。
塔のみんなにぺこりと頭を下げる。
「短い間だったけど本当にありがとうございました。すごく楽しかった。必ずまた戻って来ます」
「楽しみにしてるからな、魔石」
「チルギ様、絶対指輪にするんで、加工お願いしますね」
「はあ、これだから血の気の多い奴らは……」
「爺さんも人のこと言えねえよ」
「イオルム、またパジャマパーティーしましょう」
「うん! みんなありがとう。それじゃあ行って来ます!!」
大丈夫、僕は必ず戻ってくる。死んだりしない、絶対。
決意を強く胸に刻んで、パチンと指を鳴らして転移魔法を発動した。
転移した先は、ウルフェルグの国境沿い、小屋のそばだった。
目の前に広がるのは、誰にも支配されぬ森──深淵の森。
あまりに広く深く、どの国も領有権を主張できずにいる。
面積は大陸で二番目に広いウルフェルグ王国のおよそ三分の一に匹敵する。
森でスタンピードが発生すれば、隣接する複数の国が共同戦線を張って臨む。
それほどまでに、この森は厄介で、そして、巨大だった。
森に入ること自体は禁止も規制もされていない。登録などもいらない。不可侵なのだ。
そのため、この小屋もあくまで目印としてあるだけで、常駐する者はいない。
ここに足を踏み入れるのはもちろん初めて。周辺国との位置関係含めて地理は把握しているけど、いざ来てみるとあれだな、思っていたよりもずっと普通の森だ。
奥に行けば様相は変わるんだろうけど……今の僕は、少し拍子抜けしている。
「もっと仰々しいのかと思ったけど……」
よく考えてみれば、領土に面している周辺の森は普通に狩りや採集に入ったりしている。
普通の森で当然だ。ここはまだ、深淵でもなんでもない、ただの森。
転移魔法を使った時の魔力残滓を霧状の水魔法で散らす。誰かが追ってくることはないと思うけど、一応痕跡は消しておく。魔獣が寄ってきてもいけないしね。
「さて、行くか」
前にミルシラルの樹液を採りに行った時と同じ冒険者の出で立ちで、森の奥へと踏み出した。
転移で奥まで進んでも良いんだけど、森の雰囲気も掴みたいし、手がかりがあるかもしれないので歩いて進むことにする。
スタンピードの原因となる魔力溜まりがないかも、確認していく。
「うーん、ない、ねえ」
スタンピードが発生した場合の共同戦線協定はあるにはあるけど、発動した話ってそういえば聞いたことないな。
怨嗟を取り込み毒にする、というこの森の主の話が本当なら、こういった魔力溜まりも全て取り込んでしまっているのかもしれない。
湿り気のある落ち葉を踏みしめながら進む。チルギ様にこの森について色々と聞いて、森の中で魔法を使っても問題ないのは確認した。
さすがに派手に燃やしたりすることはないけど、魔獣とやり合うこともあるかもしれないからね。
僕はあまり武器を使って戦うことは得意じゃない。魔法が使えるのと使えないのとでは、攻略難易度がぜんぜん違う。
「リリスが剣で、僕が魔法で、一緒に戦ったりしたら楽しそうだなあ」
夕食にするためのウサギを氷魔法で撃ち抜きながら、楽しい想像をしてふふっと笑みがこぼれる。
そんな未来を迎えるために、僕はまず自分のことをやろう。
結界魔法を張った中で火を炊き、ウサギを調理する。
ユークと一緒にアグナ様の森で狩りをさせられた時の経験が生きるなあ……。
いきなり森に行こうと思えたのは、ユークと一緒に森でたくさん過ごした経験が大きい。悪いことをすればお仕置きされたし、アグナ様が薬を作るための材料採集に駆り出されることも多かった。ユークの人使いの粗さはアグナ様の影響だと思う。
久しぶりに自分で仕留めたウサギを食べて満たされた。
煮炊き用に張った結界から少し距離を置いて野宿用の結界を張り、水魔法の寝袋にくるまりながら、最初の夜を明かすことにする。
認識阻害もかけているけど、獣への効き目はまちまちなんだよねえ……結界の周りに集まるキツネの気配や、木々に止まりこちらを眺めるフクロウたちの視線を感じながら、落ち着かない夜を過ごした。
森に入って、三日目。
奥に進むにつれ瘴気が増えてきたのを感じる。
あと、気になることがひとつ。風向きが一定なのだ。この三日間。それにもかかわらず、森の木々に風向きによる育ち方の癖がない。しかもこれは今日気付いてしまった。木々はざわめくが揺れていないのだ。
もしかしたら、怨嗟も瘴気も同じように、森の外側から内側に向かって渦を巻くように集まっていくのかもしれない。
「魔の森こわっ……」
ここにまるでピクニックに行くみたいな口調で僕にアドバイスをくれたチルギ様もやばい。メルグリス様と歳がかわらないということは数百歳は生きている。はああ称号持ち怖っ。
……じゃあここに来なければよかったのかともし聞かれても答えは否だ。むしろここなら絶対に間違いない。リリスのための魔法合金を作るための猛毒が見つかる。
「進むしかないよねぇ」
もうここまでくるとコンパスは完全に役に立たない。太陽の向きから方角を確認して、とにかく中心に向かって進んでいく。
狩りをして獲れるのも魔獣ばかりになってきた。貸してやるってチルギ様が渡してくれた、魔獣から魔力や魔素を取り除いて魔石に補充してくれる携帯魔道具、おっそろしく便利で重宝してるんだけどこれ自作魔道具じゃないのか?
買ったらいくらするんだ?こんなものを弟子でもない問題児にあっさり貸し出す神経どうなってんだ……。
「これ、戻ったら絶対バラさせてもらおう」
五日目の夜。
結界と認識阻害の外から感じる気配や視線にも慣れて、僕は深く眠っていた。
「……ん?」
髪を引っ張られた気がして目を覚ます。あたりを見回すと、ホタルのような光の粒が浮かんで見えた。
はー、寝ぼけてるな僕。そろそろ中心にもだいぶ近付いてきたし、幻想でも見せられてるのかもしれない。
だれー
おきてー
きみ、だれー
囁きまで聞こえてきた。これが深淵の森の洗礼?地味に睡眠削られるのキツいんだけど……。
結界を重ねがけして、もう少し寝ようと目を閉じる。
もうー
おきてー
おきてよー!!
次の瞬間、わずかに浮遊させていた水魔法の寝袋がどさりと落ちた。
「へっ!?」
水浸しの地面の上にお尻からついてしまって、一気に不快感が襲う。
「うわぁ、びしょびしょ……」
一体何事かとあたりを見回すと、僕の結界が解除され、たくさんの光の粒が僕を取り囲んでいた。




