02 大魔女アグナ
『そこ、気持ちいいの?』
六歳の僕はマルスに連れられて帝国の会議に来ていた。普段ならすぐそばに必ず誰かがついているのに、この時は珍しく一人で動いても良いと言われ、庭園を散歩していたのだ。
そこで出会ったのが、僕の生涯の友人になるユーク。彼は大きな木の幹によりかかって昼寝をしていた。
声をかけると、彼は目を開けて鬱陶しそうにこちらを見た。
『……まあまあ』
『昼寝してたところごめんね、一人で散歩してたら同じくらいの子がいたからつい声かけちゃった。僕はイオルム=ウルフェルグ。君は?』
『……ユークリッド=フェリティカ』
『ユークリッドか、ユークって呼んでいい?』
『……ああ、構わねえよ』
気だるそうに答えるユークのメガネの奥で、不自然に揺れる力が見えた。
『そのメガネ、魔道具?』
僕の問いかけに、ユークはわずかに眼を見開いた。
『……ああ』
『取って!』
『はあ!?ダメだって取らねえよ』
『取ってよぉ、メガネ取るとどうなるのか、見たい!』
手を伸ばすと、軽い身のこなしで僕を避けられる。
『別に俺はなんも変わんねえよ!』
『俺は、ってことは周りが変わるの?魔眼か何か!?わー気になるー知りたーい』
『……ちっ、うるせえやめろ!やめろってば!』
『外して見せておやり、ユークリッド』
低い声が響き、顔をそちらに向ける。
小柄な老婆、それが第一印象だった。腰まで伸びるゆるくうねった青紫の髪、そして、鋭い吊り目の中で輝く小さな真紅の瞳。
小さなその身体の中に大きな何かを飼っている、そんな気配があった。
『良いんですか、師匠』
ユークが信じられないと言わんばかりの声を上げる。
『そうでもしないと、この坊主はお前の目を抉るよ』
『えぐっ!?』
『あー、アグナ様ですねぇ、こんにちは。弟子入りダメだったのなんでですか?』
実は僕は、過去に弟子入りについて問い合わせたことがあった。
『……倫理観が欠けすぎてるからだ。自覚はあるだろう?』
『ありますけど、倫理観とか魔法使うのに邪魔じゃないですか?魔法使いなんてみんなどこか頭のネジ取れてるんだから僕だって変わらないでしょ』
『お前は明らかに基準を逸脱しているから、何度来ても受け入れないよ。だがまあ……お前をそのまま野放しにするのも危険、ではある』『ですよね!だから僕も弟子入りさせて!』
こんな面白い男の子が弟子にいる人なら、きっと楽しいもの!
『お前の倫理観はどうしようもないが、普通とされる人間たちの常識を学んで、その通り振る舞えるようになれ、擬態をしろ。それを身につけたら、弟子入りは許さんが相談役をつけてやる』
『ええ!?弟子じゃないの!?っていうか擬態!?』
『ワシの一門には絶対に加えん。他の一門も同じ判断をするだろう。イオルム=ウルフェルグ、お前は異端だ。いま殺されていないだけ感謝しろよ。
ユークリッド、魔道具全部外してありったけの魔力をぶつけて良い。このクソガキに世界が広いことを教えておやり』
『わかりました、師匠』
ユークが僕の正面に立つ。
『一度しかやんねえから、俺の目、しっかり見とけよ』
『うん!』
左手首のバングルをコツコツと右の中指で叩くと、魔力が一気に解き放たれる。
『……へ?』
それは王国でトップクラスだと言われる僕を遥かに超える、暴力的な量の魔力だった。
メガネを外すために落としていた視線が上がり、目が合った瞬間に。
今まで経験したことのない量の魔力を浴びて僕は気を失っていた。
目が覚めると、僕の部屋だった。部屋から出ようとすると、結界がかかっている。
あー、これはやらかしちゃったから懲罰ってことかな。納得いかないけど仕方ないね。大人しくしよう。
しばらくすると、魔導士団副団長のマルスが入ってきた。
『お目覚めですか、殿下』
『あーうん、僕ってこれ、お仕置き?』
『お仕置きというか……ユークリッド殿下の魔力は特殊ですので、様子を見るための措置になります』
『あ!そうだよユーク!!あの子めちゃくちゃ強いじゃん!この国にあんな魔力持ったやついないからびっくりしたよ!』
『そうでしょうね。我が軍が束になってかかってようやく勝負になるかどうか、かと思います』
『僕、ユークを倒してみたいな!』
僕の言葉を聞いて、マルスが大きなため息をついた。
『殿下』
『なあに』
『大魔女アグナ様が仰ったことを覚えていますか?』
『ええと、まともな人間に擬態できるようになれ、って話だったよね?そしたら相談役?をつけてくれるって』
『やる気はありますか』
『やる! やるよ! 面白そうだからね!! 嬉しいなぁ、やっと僕にも目標ができそうだ。父上にお願いをしたら良いのかな? それとも前科がありすぎて誰もつけてもらえない?』
『私から陛下にお伺いしましょう。イオルム殿下』
『なあに』
『本当に、ご無事で良かった』
『……どういうこと?』
『ユークリッド殿下はフェリティカ帝国の第三皇子でいらっしゃいます』
『うん、知ってる』
『アグナ様がいらっしゃらなければ、あの場で首をはねられてもおかしくなかった』
『そっかぁ。ごめんね、次は気をつけるよ。何かあった時に、君たちに咎が及ばないように』
『……私は自分の首よりも純粋に殿下のご無事を気にかけていたんですよ?』
『ごめんごめん、わかってるよ。ありがとね、マルス』
そこから半年間、徹底的に擬態することを学んだ。まともと呼ばれる価値観を頭に叩き込み、自分がいかに異端なのかを再確認した。
めっっっちゃ! 苦痛だったけど、これができなきゃ構ってもらえないとわかっていたからとにかく頑張った。
だってこの国のみんなにとって僕は腫れ物。僕とまともに向き合える人間なんて片手に収まってしまうのだ。
別にそれでも構わないと思っていたけど、あの日ユークと大魔女様に出会ってわかった。
世界はこんなもんじゃない。まだまだ僕にも楽しめることが、たくさんある。
『ユークお待たせ! 今日は何やんの!?』
『げっ、今日イオルム来る日でしたっけ師匠!?』
相談役ってのはユークで、アグナ様のところに行ってはユークから魔法の基礎とかを習ったり実践したり、めんどくさい王族や皇族周りの話をしたりした。
たまに雷も物理的に落ちたけど、たくさんのことを教わり、普通の人ともそれなりに差し障りなく接することができるようになった。
僕に必要なのは友人だと見抜いてくれたアグナ様にはとっても感謝してる。そして、僕を友達だと言ってくれるユークにも。
おかげで僕は、幽閉も始末もされず、王族としての義務を何とか全うしながら生きることができている。
そしてリリス。僕の最愛。僕を人間にしてくれた人たちに、僕は心から感謝している。
***
そんなアグナ様の前で、僕は今、東洋の座り方のひとつ、正座をしている。
「……で、申し開きはあるかい」
「ありません。なのでヨランド様を紹介してください」
「紹介するのは構わんさ。しかしどうして自白魔法を使った。クリ坊を呼べば良かっただろう、第一、ウルフェルグにはデゼルもいるじゃないか」
「アグナ様、これは僕の行いの結果です。だから僕が全て負う。誰にも譲らない。
どんな罰も受けます……だから、最後まで僕にやらせてください」
アグナ様の視線が刺さる。でもここで引くわけにはいかない。
僕の決意を示すために、一生懸命にらみ返す。
数分間にらみ合った後、アグナ様が両手を上げた。
「……っはー! しょうがないね。じゃあ説教も罰もまとめてツケとくよ。なんかあったらまた来な。……もっとも、どんな結末になるかはワシにもわからんがな。せいぜい足掻けよ、若いの」
昼過ぎにアグナ様に紹介の紙鳩を飛ばしてもらい、明朝に来いという返信が来た頃には日が傾いていた。
「一度帰るか、ヨル坊」
「……城に帰ると何するかわかんないから、ここにいても良いですかアグナ様。小屋がだめなら外で寝ます」
「せっかくだから、お前の眠り姫の話でも聞かせてもらおうか。クリ坊にはさんざん惚気ておったが、ワシは今まで一度も聞いたことがなかったからな。今晩くらいは、付き合うさ」
「……ってなわけでリリスめちゃくちゃ可愛いんですよー!!お茶会で棘があること言われても十倍百倍にして返しちゃうの!もう苛烈で惚れ惚れしちゃうー!!」
「……はあ。それで、その苛烈なお姫様が今は眠っちまったわけかい」
アグナ様が深いため息をつく。
僕も、そこに重ねるようにため息をついた。
「……そうです」
「毒は変質してると言ったね」
「はい」
「ヨランドなら作った毒は忘れんだろう。変質してどうなるかも読めるはずだ。
しかしまあ今回一番の問題は『依頼時に申告した用途と違う使われ方』をしたことだ。これは理に反する。ヨランドも動かざるを得ん」
「罰を受けるのは、僕ですか」
「いや、もともと毒を依頼した人間……本人がもし死んでいるなら、その毒を横流しした人間だな。愚か者めが。お前が手を下すほうが余程マシだったと思われるような死に方をするだろう」
アグナ様が目を閉じた。
「もうこんな時間かい」
外の空気から時間を読んだのだろう、小さくため息をついた。
「若いもんの恋愛話は胸焼けがするねえ。さあさあ、明日は早いんだろう? そろそろ寝な。寝付けなくても横になって目を閉じろ。
ヨランドは変わりもんだがワシよりよっぽど話は通じる。お前の眠り姫を起こす方法をちゃんと考えてくれるさ」
翌日、指定された時間に転移魔法で跳ぶと、そこはアグナ様の小屋と似たような小屋の前だった。
コンコン、とドアをノックすると、はぁい、と間延びした声が聞こえる。
「アグナ様より紹介していただきました、イオルムです」
「どぉぞー」
扉を開けると同時に薬草の混ざった匂いを一気に吸い込んでしまい、ゲホゲホとむせ込んだ。
ようやく咳が落ち着き顔を上げると、そこには萌葱色のベリーショートに黒い瞳の、大変メリハリのある身体をしたお姉様がいた。
「よく来たわね、イオちゃん。あたしがヨランド。お話、聞きましょ?」