03 魔道具師塔の洗礼
最後まで読み終わって顔を上げると、既に太陽は西に傾いていた。
「……お昼食べそこねた……」
しっかり食べろと言われたから、それは守らなくては。
書庫のドアを開いて外に出ると、下から登ってきた男の子と目が合った。
「あれ、新入り?」
同い年くらいだろうか。肌が少し黒い。大陸の人ではないのかもしれない。
「はい、今日からお世話になります」
「そっかー、これからごはん?」
「はい。入門書読んでたら、昼食べそこねちゃって」
「わかる、夢中になって読んじゃうよね。僕はトメキ。よろしくね」
「イオルム=ウル……」
「ああ、ここでは家名は名乗らない決まりなの。身分も出身もごちゃごちゃだから。イオルムだね、よろしく」
じゃあごはん行こう!とトメキに連れられて食堂に入ると、三十人ほど座れる食堂はごった返していた。
「すぐに席は空くからちょっと立って待ってよっか」
トメキの言葉にこくりとうなずく。
「どこから来たの?」
「ウルフェルグ王国です」
「そっかそっか。僕は海の向こう、ケリファ連邦ってとこから来たんだ。ウルフェルグだとこの大陸だよね?」
「そうです」
「じゃあ言葉も同じだし良いね。僕はしばらく翻訳の魔道具が手放せなかったよ」
話している間に席が空き、席を確保すると注文へ向かう。
「世界中から人が来てるから、色んな国の食事が食べられるよ」
「へえ……」
日替わりのAを選ぶ。東国の麺料理。
ハシって道具で食べるものらしいけど、あいにく使ったことがない。その辺の作法はあまりうるさく言われないということなので、フォークで食べてみることにした。
「……ちょっとクセがある」
「ああ、なんだっけ、ソバコ?っていうのが入ってるんだって。つゆのだしは魚らしいけど、僕の母国のだしとはまた違うんだよねぇ」
ずるずるとすするものらしい。
「でも、嫌いじゃないです」
「そっかー、その緑の薬味入れるとおいしいよ」
言われた通りに、すりおろした薄緑の薬味をつゆに入れてみた。麺を食べると予想外の刺激が鼻をつく。
「!!っ、これ、辛っ」
「ふふふ、ワサビっていうんだ。僕これ好きなんだけど、ダメだった?」
「……ちょっと、予想してなくて……っ」
「慣れるとクセになるんだ。気が向いたらまた食べてみて」
なんとか全部食べ切ると、先に食べ終わっていたトメキが立ち上がった。
「僕は作業に戻るよ。イオルムは?」
「まだ寝場所を確認してなくて。行ってみようかなって」
「あー、そうなんだね。寝床は早い者勝ちだから、タイミング悪いと床に寝ることになるよ。潔癖な人とかは、自分の作業部屋で寝てたりするけど……今日来たばっかりだと、作業部屋はないね」
「……ですね」
「まあまずは見てきなよ。夜型の人は昼間寝てるから、時間はあんまり関係ない。ほんとにタイミング次第」
「わかりました。ありがとうございます」
「うん、じゃあまたね、イオルム」
七階に上がりドアを開けると、ベッドにはまだ空きがあった。でも、
「……くさい……」
毎日掃除するわけではないのだろう。あと、もしかしたら、衛生観念も千差万別、ということなのかもしれない。
「魔窟……」
入り口の前で呆然と立っていると、どいて、と脇から何人かが中に入って行った。
確かにこれは作業部屋で寝る派がいるのも納得だ。
ちょっとここで寝るのはきついな……いびきも聞こえるし……
「あ」
踵を返すと階段を降りて三階へ。書庫に入ると、僕が出た時のまま、誰も居なかった。まあトメキの話と、食堂そして寝床の状況を見る限り、ここは眠らない建物なのだろう。つまりいつも誰かが動いていて、同時に誰かは休んでいる。
「当面、僕の根城はここにしよう」
日中入門書を読んでいる間も誰かが入ってくる気配はなかったし、夜も来ないと思う、たぶん。
窓際の机に突っ伏して、薄い結界を張る。もしも人が入ってきても驚かさないように、外からは見えないようにして。
まずは仮眠して入門書の中身を記憶に定着させる。そう決めて目を閉じた。
「……」
物音を感じて目を開ける。
頭を上げて周りを見回してみるが姿が見えない。物陰に誰かいるのだろうか。
まあ、こっちに気付いてないならこのままスルーだな、と思い目を閉じる。
「……っあ……」
艶めかしい声が聞こえて目を開けた。
おいおいおいおい、ちょっと待て。人がいないのはそういうこと!?
「……だめ、誰か来たら……」
ごめん、もう僕がいる。
さて、どうしたものか。
このまま無視を決め込んで寝てもいいけれど、さすがにここで始められるのは困る。
数秒考えて、静かに魔法を発動する。
カタン、と近くの椅子を少し動かした。
「だっ、誰かいるのか!?」
ごめん、だから僕がいる。
でも名乗り出るのも気まずい。
結界を張っているから見えることはないけれど、気休めに息を潜めた。
「……ちょっと今日はやめましょ」
「そうだな」
……今日はってことは、また来るの?
心の中でそう呟いているうちに、声の主は書庫から出て行った。
「図書室で逢瀬は確かに聞いたことあるけどさあ……」
結界を解除しながらため息をつく。
王城の片隅でコソコソしている役人と侍女、あれと同じ感じなのだろう。
盛り上がるんだろうなぁ。
「僕だって、リリスと」
口にしてはっと我にかえる。
そうだ、僕はリリスのための魔道具を作りにきたんだ。
そのためにまずは本を読めと言われている。
僕がコソコソする理由はない。
やりすぎない程度に、やりたいようにやろう。
手始めに、書庫に入って真っ先に目に入る机に、入門書や初心者向けの本を積む。
そして、壁側にあったソファを机の近くに設置した。
ここに寝そべる。人がいるアピールは完璧。
眠気も覚めてしまったし、ひとまず本の続きを読もう。
次の本を開き、時々うとうとしたり、しっかり眠ったりしていたら、朝を迎えていた。
少し早いかもしれないと思いながら食堂に向かうと、早朝だろうが関係ないのか、食堂はやはりごった返していた。
よく見てみると、包みを受け取って、食堂で食べずにそのまま出ていく人がいる。
なるほど、その手があったか。
どうやら今日の弁当はバゲットサンドのようだ。
お腹が空いていたので二つ頼むと、積み上げられた山から二つ、乱暴に投げるように渡された。
……戦場だ。
書庫でひたすら本を読みながら、食事は部屋に持ち帰り、身体は匂いが気になると清浄魔法で浄める。
そんな生活を始めて四日目、おおよそ基礎は理解した。少なくとも、一番初めに手に取った『はじめての魔道具製作』は完璧に頭に入れた。
簡単なものを作ってみろ、か。
メルグリス様にはそう言われたけど、たぶん僕の場合はバラしてみる方が向いてる。
適当に壊れた魔道具を分解してみよう、と下に降りる途中で、初日に一緒に食堂に入ったトメキに会った。
「やあイオルム。もう慣れた?」
「え、はい。書庫で寝てます」
「書庫かー……ああ、ここ数日資材部屋の奥でこっそり会ってるカップルをやたら見るのはそういうことか」
……書庫がだめなら資材部屋なのか。
「たぶんそうです……書庫、空けたほうが良いですか?」
「いや、そのままで良いと思うよ。ここっていつも動いてるから、休みを合わせてデート、みたいなのがなかなかできないみたいでさ。逢引にそういう部屋が使われるのも問題になってたんだよねー。誰に相談しようかな……」
トメキが考え始めたところで、階下から大きな声がした。
「やっと見つけた、イオルム!」
「……ユーク」
「誰に聞いても知らねえって言うから探し回ったじゃねえか」
階段を何往復もしたのだろう、体力オバケのユークの息が少し上がっている。
「ごめん、ずっと書庫にいた」
「……ったく、爺さんも探してたぞ」
「ユークリッド殿下」
トメキがユークに声をかける。
「おうトメキ。お前がイオルムの面倒見てくれてたのか?」
「いいえ、そういうわけではないんですけど。お知り合いですか?」
「ああ、こいつはウルフェルグの第二王子。俺の友達だからな」
「……ユーク……」
ガックリと肩を落とす。
ほんと、君は色々なんの悪気もなくぶち壊していくよね……。




