舟に刻みて剣を求む
時は春秋戦国時代、楚の人に長江を渉る者がいた。彼は慎重にゆっくりと舟を漕いで流れを渉っていたが、ふと気を抜いた瞬間、その剣が舟の中から水に墜ちてしまった。
(あっ──)
だが気付いた時には、剣は已に薄暗い水の中へと姿を隠していく。無論、剣は武器にして貴重品である。それこそ失くしてしまえば財産の一部を失ったに等しく、またこの乱世に於いては丸腰にも等しい。
舟から身を乗り出せども手は届かず、ついに剣は見えなくなった。しまった、と男は思ったが、ここからならすぐに剣を探し出せるとも思った。男は泳ぎになら程々の自信があり、剣ほどの大きさのものならすぐ拾っていけると考えたからだ。
そうして男は、戻る時のため舟に目印を刻む。
「よし、是から俺の剣が落ちたんだ……っと」
彼はそう呟き、そのまま水の中へと飛び込んでいった。しかし剣は一向に見つからず、男も息が苦しくなる。そろそろ引き上げようか──そんな時だった。
「おーい、これアンタの剣だろ」
どこかから知らない声が聞こえてくる。男が横を向くと、なんとそこには翼の生えた鯉がいた。その魚は蒼い文様と白い首、そして赤い喙を持ち、男の剣を背に載せている。男は一瞬固まったが、拝しながら魚の剣を手に取った。
「あの……お、お名前は」
「名前? 文鰩とか、テキトーに覚えててくれ」
魚はそれだけ曰うと、海の方へ泳ぎ去ってしまった。男は不思議に思いつつも、そのまま向こう岸まで泳いでいった。
ところが岸に上がると、何やら男の仲間たちが一斉に駆けつける。
「なあなあなあ、あの舟どうしたんだよ!」
「え? どうしたも何も、さっき剣を落として……それで見つけた時にゃア流されてたから、そのまんまに──」
「だとしてもあーはならンだろ! 何したら舟が穀物でギューギュー詰めになンだよ!?」
「……へ?」
男はその仲間と舟の様子を見に行った。河川敷に泊まった舟には、黍に粟や稗とあらゆる穀物があふれる程にぎっしりと詰まっていた。
【参考文献】
呂氏春秋・察今篇
山海経・西山経
又西百八十里,曰泰器之山。觀水出焉,西流注于流沙。是多文鰩魚,狀如鯉魚,魚身而鳥翼,蒼文而白首,赤喙,常從西海遊于東海,以夜飛。其音如鸞雞,其味酸甘,食之已狂,見則天下大穰。