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蛇足

 時は戦国時代。斉の食客である陳軫という男は、楚の大将の昭陽による斉侵攻を止めるよう君主から依頼を受けていた。この昭陽という将軍は魏への攻撃により上桂国への昇格が確実だったにも関わらず、斉を攻撃することでさらに上の官職である令尹──則ち宰相となることを目論んでいたのだ。そんな昭陽に、陳軫はこんな例え話をする。


 楚の国に(まつ)りを執り行う者がおり、彼はその舍人に卮酒を賜っていた。ところが酒の量に問題があり、舍人たちはこんなことを謂い合っていた。

「これ数人で飲む分にゃア足ンねえけどよ、一人で飲んでも有り余っちまう。だったら地面に蛇でも画いて、先に完成させた奴が飲もーぜ!」

 その言葉で、舍人たちはこぞって蛇の絵を画き始めた。絵を画くことに於いてもやはり上手・下手というものはあり、上手な者の中にも完成の速い者から遅い者までいる。やがて、絵の上手で手の速いある一人が先に蛇の絵を完成させた。

 彼はその後、満足げに笑って(まさ)に酒を飲まんとしていた。だが(すぐ)に卮を左手に持ち変え、右手で蛇を画きながら曰いだしてしまう。

「へっ。こんだけ早くできりゃあ、まだコイツの足まで(つく)れるぜ」

 そして彼は、自分の素早く端正に仕上げた蛇の絵にわざわざ足を画き始めた。だが彼が足を完成しきらぬ内に、他の一人も既に蛇を完成させてしまっていたのだ。然るに一番手の男は、得意な顔で蛇の足為りに凝っていた。二番手の男は瞬時に手を伸ばし、その左手から卮を奪い取る。

「ばーか、蛇に(もともと)足なんてねーぞ。なんでそんなモン為ったんだ」

 二番手はそう曰って、足のある蛇を冷たく一瞥してから卮を口に近づける。そのまま遂に卮を傾け、その芳醇な酒の風味を味わおうとした──だが、彼が味わっていたのは無、或いは空気であった。

 二番手は慌てた様子で左右を見渡す。するとどういう訳か、卮は一番手の左手に戻っていたのだ。一番手は見せつけるかの如く卮を軽やかに揺らし、その酒の上に反射した光を愉しんでいた。ふと下を見ると、彼が為っていたはずの足は消えている。

「なに今更フツーのこと言ってんだよ。お前の方こそ、そのヘタな羽根消しとけよ」

 二番手は驚き、自分の画いた蛇の絵を見る。すると蛇の背には、わざとらしく歪な翼が付け加えられていた。二番手は拳を一番手の頬にぶつけたくなったが、それを堪えながら曰う。

「どうやら貴様、『化蛇』を知らないようだな。ソイツは確かに蛇だが、人面で(やまいぬ)のような体、そして背中に『()』を持っている。そして化蛇の現れた場所には、()()()()()()()()ッ!」

 二番手は声を張り上げて叫ぶと、一番手から再び卮を奪おうとする。周りの舍人たちはその光景に息を呑み、もはや蛇を画くどころではなかった。しかし一番手はするりとその手を避けて曰う。

「待て待て、卮をこぼしちゃあ元も子もない。そんなに競いたいならこんなのはどうだい。まず蛇を完成させたことは前提として、そこに蛇だとわかる限界まで物を足すんだ」

 二番手はその言葉に一諾し、果たして戦いが始まった。両者とも大凡人間とは思えぬ速度で蛇に絵を付け足し、ゆらゆらと燃ゆる炎の如き熱が辺りを蓋っていた。先程までの能天気な空気は消え失せ、他の舍人たちもそれを見守るばかりであった。

 やがて祠りの長が戻ってくる。酒は存分に楽しんだか、とでも莞爾(につこり)した顔で言おうとしたが、その光景に目を見開いた。

「長老様、どちらが蛇に見えますか!」

 一番手と二番手はほぼ同時に叫ぶ。彼等はこれを蛇と謂っているが、画かれていたのは山海経に載っても明らかに浮くべき怪物であった。呆れた祠りの長は、二人からそっと卮を取り上げた。


「──それで、あんた一体何が言いたいんだ」

「とにかく、斉への攻撃は取り止めていただきたいのです」

【参考文献】

戦国策・昭陽為楚伐魏

山海経・中山経

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