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推敲

 時は唐の時代。賈島という人物は科挙を受けるため、幽州より遥々赴いて(みやこ)の長安に至っていた。そんな彼は道中、驢馬(ロバ)に騎乗しながら詩を賦していると「僧推月下門そうはおすげつかのもん」という句をたまたま思いつく。これはいいぞと一瞬だけ思ったが、この「推す」という語を改め「敲く」とも作りたいと考え始めていた。

(僧は推す……月明かりの下でそっと門を開くだなんて、しっとりとしていい感じかも。僧は敲く……夜の静けさと敲く音の対比、こっちもいい味出してるなあ)

 彼は驢馬の手綱を持つことすら忘れ、ついには手を引いては伸ばし、推したり敲いたりの姿勢をも作る始末。だが、どちらかの字に決めることは未だできずにいたのだ。

 その時、役人の行列があった。当時の斯様な行列には馬車を用いるものであったが、なんと賈島は不覚にして行列に突っ込んでしまい、しかも恐ろしいことに当時の大尹──則ち長安都知事である韓愈、及びその馬と衝突してしまったのだ。

 瞬間、賈島は驢馬から落ちそうになる。その時にも冷汗が幾滴か背筋を伝ったのならば、韓愈の顔を見た瞬間にはどれだけ身が強張ったことだろう。

「えっ、あっ。かっ、かか、すみません韓愈さん! そのー、実は先程斯斯然然(かくかくしかじか)でありまして……その! 私はその、此是謂斯(これこれこういう)者……なんですけど、えー……とっ、とにかくですねッ!」

 乃ち彼は(つぶさ)に理由を言ったが、既に気が気でなくなっていた。もし下手なことを言えば殺されるかもしれない。仮に刑が幾何か軽くとも、大尹に対し非常に無礼な振舞いをしたということ、そして事故の原因が全く自分にあるということは、決して変えようがない事実なのだ。

 やがて賈島が話を終えると、黙然と聞いていた韓愈は一拍置いてから頷く。そしてじっと賈島を見つめた。

(……なるほど。どっちの字がいいだろう)

 実は、韓愈も亦た未だ字を決められずにいたのだ。彼の脳裡には「推」「敲」二つの字が点滅し、そのまま止まることがなかった。唐宋八大家が大丈夫か。

(ああ)子厚*(1)、君ならどうするんだ。楽天*(2)、君もどの字を選ぶんだ──)

 彼の心中にて助けを求める声が聞こえたのだろうか、突然聞き慣れた声が聞こえた。

(おう韓愈、『敲』の方がいいんじゃね?)

(あっ、子厚か。俺も何となくその字がいいと思う……)

 続いて、別の声が聞こえる。

(私は『推』の字を推そう)

(ら、楽天……わざと、それ選んだのか……?)

 声は届いたそうだが、見事に意見が割れてしまっていた。それどころか、他の者の声まで聞こえてくる。

(私は悠然として『敲』の字と見たい)

(将に『推』の字を進めんとしよう)

(『推』の字なら万金に抵るぞ)

(君に勧む、更に尽くそうか『敲』の字を)

(字を選ぶこと、知る多少ぞ)

(だァァ──ッッ!! てんでバラバラじゃねェか!!)

 意見がまとまらないのでは仕方がない。韓愈はいよいよ深く考えに考え、ついに賈島に向けて曰った。

「……『敲』、の字が()いだろう」

「あっ……あ、ありがとうございます!」

 賈島は深々と頭を下げる。それから賈島と韓愈は、各々の驢馬と馬の轡を並べながら詩についてしばらく論じあっていた。そうこうして生まれたのが次の詩である。


閑居少隣並かんきよりんぺいすくなし草径入荒園そうけいこうえんにいる

鳥宿池辺樹(とりやどるちへんのき)僧敲月下門そうたたくげつかのもん

過橋分野色はしをすぎてやしよくをわかち移石動雲根いしをうつしてうんこんをうごかす

暫去還来此しばらくさりてまたここにきたる幽期不負言(ゆうきげんにそむかず)

【参考文献】

唐詩紀事

陶淵明・飲酒二十首其五

李白・将進酒

杜甫・春望

王維・送元二使安西

孟浩然・春暁

賈島・題李凝幽居


*1……詩人・柳宗元(773 - 819)の(あざな)

*2……詩人・白居易(772 - 846)の字。


以上の皆さまに心よりお詫び申上げます。

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