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漱石枕流

 枕石漱流いしにまくらしながれにくちすすぐ──この語は正史三国志に於いて、後漢の彭羕という人物が唯一尊敬した学者・秦宓の暮らしぶりを讃える語として既に登場している。俗世間を離れ、石を枕として眠り川の流れに口を漱ぐ。この語は本来、そのようなのどかな隠居生活を指す言葉なのだ。

 さて、時は西晋時代。孫子荊という人物も亦た、年の(わか)き時に隠居せんと欲していた。ところが王武子という人物にそのことを語っていた時、当に枕石漱流とでも曰うべきところを誤って「()()流」と曰ってしまった。

「まて。石に口漱いで流れを枕? それどゆこと?」

 武子はすかさず聞き返す。子荊は咄嗟に曰う。

「あっ、いや。流れに枕すっていうのは世間の汚い言葉から耳を洗いたいからで、石に漱ぐっていうのは世間の(やつす)い飯から歯を(みが)きたいからなんだよ。ほら、はは……」

 この時、子荊の言葉は(わずか)にぎこちなかった。当然だ。言い間違いに慌てて後付けの理由を言ったからだ。武子はそれを聞いた後、何か考え事をするような顔を見せてから曰う。

「……ふんふん、なるほど。確かに俗世間から身を洗うって意味じゃあ、それくらいするかもなあ。よし、この言葉流行らすか!」

「へ?」

 この王武子という人物はかの武将・王渾の次子であり、晋書に「(わか)くして逸才有り、風姿英爽にして、気は一時を蓋ひ、弓馬を好み、勇力は人を絶つ」、又「『易』及び『荘』『老』* を善くし、文詞は俊茂にして、伎芸は人を過ぎ、当世に名有り、姉の夫の和嶠及び裴楷と名を(ひと)しくす」とある。要するに、彼がこの言葉を流行らせんと欲すれば容易に流行らせることができたのだ。

 そうして王武子の影響により「漱石枕流」は忽ち流行語となった。洛陽の都では老若男女に猫も杓子も、小人から君子に至るまで「漱石枕流」と口にし、少し前のAPT.或いはBBBBダンスが如き隆盛を見せていた。

 やがてその流行りも定着を見せた頃、また別の者が隠居せんと欲し、そのことを武子に語っていた。ところがその者は、当に漱石枕流と曰うべきところを誤って「()()流」と曰ってしまった。それを聞いた武子は曰う。

「……そういや最初はそうだったな」

【参考文献】

世説新語・排調

三国志・蜀書・劉彭廖李劉魏楊伝

晋書・列伝第十二巻


*「易」及び「荘」「老」……易経及び荘子、老子道徳経という三つの書籍。

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