第7話 メタバースバニー
時刻は十七時五十五分。早々に風呂配信の準備を終わらせ尻叩き配信のルール決めをしていた。
入退室で一回、いいね数、千毎に一回という具合に前回の失敗を活かし制限を設けた。だが問題はギフトへの対応。
ギフトは最も安価なもので一ギフト一コイン、最も高価なギフトが一ギフト一万コイン、前回はギフト数に応じて叩いていたこともあり僅かな配信時間にも拘らず百発以上叩いた。
広告動画を見ることで毎日得られる無料コインは最大百コイン。もしその全てをギフトに使う人が現れてしまうと一人当たり百回。この条件では三人、いや二人からギフトを送られた瞬間終わる。
前回の配信で最も多く送られたのが一コインギフトだったことを考慮して十コインで一回叩くことにした。これでかなり回数を抑えられる筈だ。
人見知りを克服し沢山の人達と繋がりを築き、あの日、生死の境で感じた孤独と後悔を二度と味わいたくない。一人で生きることが気楽だからと妥協し楽しみも無く漠然と生きていた自分を変えるために始めた配信であって尻叩きを目的に始めた訳じゃないのだが楽しいと感じ始めている自分が居たりする。
配信準備を終わらせ風呂場へと向かう。初めて配信した時も緊張していたが不思議と今回の方が緊張度合いが強いような気がする。
洗顔し髭を剃り洗髪を済ませ湯船に浸かると大きく息を吐きだし呼吸を整える。枠タイを「おじさんが温まるだけの枠」にし配信開始ボタンを押す。
配信ルームに切り替わった瞬間、十秒とせずに一人目の入室コメントが表示された。午後からファイバーとDMで配信について話をしていた時、漠然と挨拶するよりオリジナルの挨拶を作った方が良いとアドバイスして貰った。
悩みに悩んで考えた挨拶と新規リスナーに向けて配信内容の簡単な説明を言わなければと思えば思うほど緊張していく。
「こ、こんしゃろー。この枠はおじさんがお風呂でお尻を叩くだけの枠です。大丈夫そう?」
暫く待つが反応が無い。枠タイに「おじさん」と書いていても可愛いウサ耳少女のサムネイルを見て本当は女の子じゃないかと考え視聴しに来るリスナーが居るとファイバーが言っていたのを思い出す。
配信内容の好き嫌いは誰にだってあることなのだから気にするだけ意味がない。人気配信者になった今でも初見のリスナーに突然、ブロックされることが稀にあるそうで気にしていたら心を病んでしまうと言っていた。
その後すぐにファイバーや兎牙、フォローしてくれている人達、初見のリスナーが続々入室してきた。挨拶や初見への説明も言い慣れてきたもあり入退室に関してはスムーズに話ができているんじゃないだろうか。
「ファイバーさん、兎牙さん、ゴマさん。こんしゃろー」
挨拶を済ませ尻を思いっきり叩くとエコーのかかった破裂音が鳴り響く。配信前に尻叩きの練習をした成果が出ているらしく痛みを緩和させることに成功、しかもいい音が出ている気がする。
叩くたびに「いい音」「癒される」といった言葉でコメント欄が埋め尽くされると尻だけじゃなく心まで麻痺してくるらしく、配信開始時に感じていた羞恥心がいつの間にか消えていることに気がつた。
コメント拾いや雑談は相変わらず上達していないが尻叩き効果で、かなりの盛り上がりを見せている。初見のリスナーが増えるにつれ無言退出や悪口コメントを投げかけられることも比例して増えていったが、退出せず残ってくれているリスナーの温かいコメントや楽しい感情が、負の感情を抑え込んでいる。
「おじさんがお風呂に入っているだけの枠なのに皆さん来てくれてありがとうございます」
コメントを読み返事を返す。これら一連の行動を会話と仮定するのなら大成功と言ってもいい。時刻は十八時五十五分、晩御飯の時間が迫り枠閉じしなければならない。
配信時間を延長しようか悩んだが子供部屋を間借りしている身としては帰省中だけでも実家ルールを守ろうと思っている。先日心配をかけたばかりだということもあるが夕飯後に外せない用事があり延長するだけの時間的余裕がない。
急いで枠を閉じリビングへ向かうと母親と華純が夕食の準備を済ませ楽しそうに話をしている。子供の頃、遊びに来た華純と母親が同じように仲良く話しているところを何度か見ていたが今では本当の家族、弟の嫁というのだから人生とは何が起きるか本当に分からない。
「優弥達まだ帰ってないんだ?」
「もうすぐ帰ってくると思うよ。ねぇねぇ。さっき配信してたでしょ? 凄く楽しそうな声だったから、どんな配信してるんだろうねってお母さんと話してたんだよ」
優弥に止められていたのが遥か昔の話だったように楽しそうな表情で配信について根掘り葉掘り聞いてくる。そういう性分だと分かっているから気にはならないのだが舌の根の乾かぬ内とはこの事だろう。
「今日は上手く配信出来たってだけだよ」
全てを話すことは無理でも少しくらいならと思いもしたが、二十時までには部屋に戻らなければならない。
昨日、ファイバーからの電話で話さないかという提案を受け今日この後、話すことになった。コラボで話すより電話の方がリスナーを気にせず話せると言っていたが人気配信者ともなると何かと気苦労が多いのだろう。
食事を済ませ急いで部屋に戻りベッドに横になるとファイバーからの連絡を待つ。連絡は以前、ゲームなどのオンラインコミュニティ用にインストールしていたメッセンジャーアプリ「アコード」を使う。
使うことなく眠らせていたアプリがこんな所で役に立つと思っていなかった。コラボや合同イベントの打ち合わせをするのに使っている人が多いらしくリインカーネーション内では一般的なツールらしい。
毎日お互いの配信に顔を出しているというのに電話で話すと考えると緊張してくる。ここに来て鳴りを潜めていた人見知りが存在主張し始めるとは思ってみなかった。
尻叩き配信を自分の意思で行えたからと言っても本質は未だ変わっていなかったということなのだろう。時刻は二十時を過ぎている。そろそろ電話がかかってきそうなのだが。
更に五分ほど待っているとファイバーからの着信を知らせる音が鳴り響く。少し躊躇したが意を決して電話に出る。
「こんばんは。初めましてシャロウです」
「こんばんは。初めましてって言うのも何か変な感じしますね」
いつも配信で聞いている口調と違い落ち着いた話し方をしている。たぶんこれが配信者じゃない本来のファイバーなのだろう。
「やっぱり配信してる時と別人だなって思ってます? そりゃそうですよね。配信あんな感じだし」
「いや、その・・・・・・」
「そんなことより今日の配信、めちゃくちゃ面白かったです。リスナーさん凄く楽しんでましたよ」
経験豊富な配信者にリスナーが楽しんでいたと言われると素直に嬉しいし自分自身も楽しいと思えるような配信ができたように思える。ファイバーのアドバイスとアクシデント、どちらか一方が欠けていたら辿り着けなかった答えかもしれない。
「うちのリスナーさんが前回の配信を視聴してたみたいで、メタバースバニー最高だったって話してたんですが。メタバースバニーってどういう意味なんですか?」
尻叩き配信をする切っ掛けとなったアクシデント。その時、偶然入力していた「mb」という枠タイの意味を聞かれ咄嗟に出た言葉で意味はない。無理やり意味を考えるとすれば仮想空間を意味するメタバースとウサ耳アバターを使用しているから。正直この程度の理由しか思いつかず口走っただけ。
隠すことでもないので洗いざらい経緯を話すと驚きながら大笑いしていた。
「尻叩き配信、万人受けしないかもだけど既に何人かハマってる人も居ますし俺も好きですよ。フォロワー数や入室者だって着実に増えてるし」
気がつけば一時間以上話していたらしく時刻は二十一時を越えていた。こんなに長時間、家族以外の誰かと電話した経験は一度もないかもしれない。
そして配信についての話が脇道に逸れた時、聞き馴染みのある駅名を耳にした。似たような駅名ぐらいあるだろうと深く考えずに話を聞いたのだが、地名や立地、行きつけの店など近所だと確信するレベルの一致具合。
念のために聞いてみると近所というほど近くないが車で十五分ほどの場所に住んでいるそうだ。まさかの同郷ということもあり話に花が咲いた。
「これからもメタバースバニーシャロウさんの活躍楽しみにしてますね。それと今度、飯でもいきましょう」
同郷とはいえ正直、食事に誘われると思ってもみなかったが配信と違い生身の人間と食事するという今までにない高難易度の試練。今後の人生で避けては通れない第一関門。
ファイバーとは会ったことが無いだけで配信や先程の電話では上手くコミュニケーションが取れている。全くの初対面じゃないという好条件の相手と食事に行くのだから寧ろ幸運だったかもしれない。
この勢いに乗ることができれば多少なりと人見知りを克服できるかもしれない。
最後まで読んで頂きありがとうございます。
次回更新は5月3日:18時ごろを予定しています。