06 乗馬体験
私はここに血塗れ辺境伯エクレール・アーヴィングを、暗殺するために送り込まれた。
彼と結婚したいと思っているというのは、ただの建前でここに来るための言い訳に過ぎない。父王より縁談を打診されたフロレンティーナ様は非常にエクレールを嫌がっていたし、きっと、とんでもない男性なのだろうと思って居た。
……エクレール・アーヴィング辺境伯、普通に素敵な男性でない?
私は愛馬ミストラルに跨がり、颯爽と領館近くの草原を駆けるエクレールを見て思った。
金髪碧眼の美青年が、白馬に乗っている。それって、別に王家の血筋を引かなくても普通に王子様だわ。
エクレールは外見も良いし、領民たちには好かれている。
王都で流れるとんでもない噂の中にも『しかし、素晴らしい戦功を立てているために罰することは出来ない』と付いていたのは、彼がそれだけ優秀な指揮官である証拠。
多忙で私もあまり話す機会もないけれど、今は隣接する敵国との緊張感が高まっており、彼はその国境を守るために辺境伯として任ぜられている。
つまりは、単に仕事の出来る白馬の辺境伯なのよ。あの噂話は真っ赤な大嘘。
私はそんな彼の妻候補として、ここ一週間ほどのどかな生活を送っていた。フロレンティーナ様には、今の状況をなんと説明して良いものかわからず、未だに手紙を出せていない。
暗殺したら王都へとんぼ帰りする予定だったけれど、暗殺はしていない。いえ。する必要もない。残虐な辺境伯でもないもの。
……では、私って……これから先、何をどうしていけば良いの……。
「……セシリー!」
「エクレール……」
草原で途方に暮れていた私は、遠くにいたはずのエクレールに名前を呼ばれて慌てて立ち上がった。
戦いために造られた軍馬というと普通の馬よりも、断然大きい。そんなミストラルに近付かれて、私は思わず二歩後ろに下がってしまった。
そんな私の見て、面白そうな表情でエクレールは馬から飛び降りた。
「君は馬に乗ったことは? セシリー」
「……いえ。我が家は、馬を買えるほどの財力を持っていなかったので」
とは言え、アンバー男爵家の現状ならば、彼は私よりも詳しく把握しているはずだ。だって、自分と結婚しようという女の生家だもの。
本当なら、貧乏男爵家の娘を迎え入れるような男性ではない。
辺境伯は貴族の中の地位で言うと、王家の血筋を汲む公爵と同等。それだけの高い価値を王家は彼ら辺境伯に、見出しているということになる。
だというのに、エクレールに婚約者が居ない理由は、彼が『血塗れ辺境伯』であることだけではなく、社交シーズン以外は、この辺境の地に住まねばならないという地理的に不便なことも含まれていると思う。
「では、一度乗ってみよう。俺も一緒に乗るから、心配しなくて良い。乗馬に慣れれば君にも馬を用意しよう」
「いえっ……私は」
自分が馬に乗るなんてとんでもないと辞退しようとすれば、エクレールは笑顔ながらも逆らえない空気を出した。
「……ここが戦場になれば、戦えない君には一番に逃げて貰うことになる。そこで馬に乗れないと、足手まといだ。乗馬の訓練は受けてもらう。良いね?」
確かに、アーヴィング地方は危険だ。戦いになれば、真っ先に戦場になってしまう。そこで、私のためだけに馬車を用意するよりも、一頭で安全な場所に行ける方が負担が少ない。
「……はい」
納得して頷いた私に、エクレールは満足そうに頷いた。
エクレールの手を借りて白馬ミストラルの背中に乗れば、ぐんと高い視点になった。今まで見た事もないような景色に、思わずため息が漏れた。
「凄い」
彼も軽く地を蹴って馬に跨がると、すぐにミストラルは駆け足になった。私は宙を歩くような感覚に驚き、目の前にあった手綱をぎゅっと握った。
「っ……わっ」
私の掛けていた眼鏡が落ちたので、慌てて振り返ると、すぐ後ろに居たエクレールの整った顔は大きく目を見開いていた。
「セシリー……?」
「ごめんなさい。私の眼鏡が!」
彼は私の言葉の意味をようやく理解してくれたようで、駆け足になり始めたミストラルを急停止してくれた。サッと一人で下に降りて戻ると、眼鏡を拾い渡してくれた。
「……ごめん」
私が眼鏡を落としてしまったのは、いきなり自分が馬に乗せてしまったせいと思ったのか、彼は悲しそうな顔をしていた。
「いえ。大丈夫です。眼鏡……割れてなかったです」
「……そうか」
落としてしまった眼鏡を確認したけれど、つるも曲がっていないし、レンズも割れていない。ほっと安心した私は息をついた。
実は私の大きな眼鏡は、別に視力が悪いから掛けている訳ではなかった。
父も母もお金のために働いていて、けれど、彼らは自分たちが貴族であることに拘っていた。貧乏なのに見栄を張って雇っているメイドも、子どもの私をあからさまに見下していた。
平民には『貴族なのに』と馬鹿にされ、同じ身分を持つ貴族からも『貴族ではない』と、馬鹿にされた。
何者でもない私は、誰にも心を開けなかった。城で働き、フロレンティーナ様にお助けいただくまで。
これは、祖父が亡くなった時に形見として貰った。元々、外見が良いと褒められる訳でもなく、大きな眼鏡があれば顔の半分は隠れてしまう。
眼鏡は、私を守る心の盾だ。そう思うと外せなくなった……エクレールも私の顔を見てしまって、驚いただろう。
地味だし褒めるところもない、貧相な顔なのだから。
「エクレール。お仕事は大丈夫ですか?」
気を取り直し眼鏡もかけ直して、背後に居る彼を振り返ると、やけの驚いた表情で頷いた。
「……ああ。せっかくアーヴィングへと来てくれたのに、構えずにすまない。セシリー。今は特別に仕事が忙しいんだ」
一週間前に歓迎の宴を開催して貰ってからというもの、確かに彼は領館にはあまり居なかった。今は隣国との緊張感も高まっていると聞くし、騎士たちも忙しなく戦闘に向けての準備をしているところも目にしたことはあった。
だから、私は彼の暗殺するなんて機会に恵まれず、かと言ってすぐに王都に帰る訳にもいかず、今までずっとただ物見遊山しに来た人のようにしまっていた。
私がここに来てからというものの気になっていたのは、彼が『残虐辺境伯』と呼ばれていることだ。もし、それが事実でなければ、すぐに訂正するべきだと思う。
「あの……私、王都でエクレールの噂を聞いた事があるんですけど……」
「ああ。血塗れ辺境伯か。俺も聞いた事がある。大層な噂が流れているものだと」
それとなく指摘して、間違いならば正して欲しいという方向にしようとした私に、エクレールはあっけらかんと他人事のように言葉を返した。
「……知っているんですか?」
私はおそるおそる、背後に居るエクレールを振り返った。普段通りにゆったりと鷹揚に構え、王子様然とした顔には優しげな笑顔。
……血塗れ辺境伯。残虐非道な辺境伯、エクレール・アーヴィング。とてもそんな恐ろしい二つ名を持つようには、思えないのに……。
それに、彼はそんな残虐非道な行いは、何一つしていないはずよ。
「ああ。本当のことだしな」
……え?




