05 美しい白馬
「……それでですね。こちらが、エクレール様の愛馬ミストラルです。見事な白馬でしょう……アーヴィングは軍馬の産地としても知られていてですね。ミストラルはその中でも、一番に上等な……いえ。今ある馬の中で一番の存在とも、言っても過言ではないかもしれません」
「……はあ」
私は厩舎での案内を引き受けてくれた使用人ヘルムートの熱のこもった説明を聞いて、見事な白馬を見上げた。
戦う際に使われる軍馬というだけあって、身体は異様に大きく、割れた筋肉が身体中に巻き付いているような逞しい馬だった。
超一級品の軍馬と言われても、戦いに縁遠い私にはいまいち価値がわからずに、じっと見上げるだけだ。
白馬ミストラルは私やヘルムートのことなど全く意に介することもなく、もぐもぐと口にくわえていた飼い葉を咀嚼していた。
「ミストラルは本当に素晴らしい馬なんですが、少々気が荒いのが難点で……いえね! 頭が良いし身体能力も高いんですが、性格が……荒々しいんです。主人であるエクレール様にしか乗れないくらいに問題児ではあるので、セシリー様も姿が単に美しいからと近付くことはお控えください……」
「……はあ」
私はヘルムートに申し訳なさそうに注意されても、どう言って良いかわからずに気のない返事をしてしまった。
そうは言われても、私は馬なんて全く興味もない。
ただ、アーヴィング地方での主な特産物として知られているのが軍馬で、その説明を受けている時に『エクレール様の愛馬は、本当に凄い軍馬なのです!』と、興奮したソフィーに厩舎に連れて来られてしまうことになってしまったのだ。
ミストラルは気位の高い馬のようで、私やヘルムートのことなど視界に入っていないらしい。さっきは気が荒いと聞いたけれど、全くそのような気配なんて……なさそうだわ。
「とは言いましても、エクレール様の言うことなら忠犬のように聞きますのでね……これからミストラルへ相乗りされることも多くあると思いますが、遠出された際にもお気を付けください。特に! お尻を触られることが嫌いなので、絶対に触らないでくださいね……!」
「……はあ。わかりました」
私はヘルムートに押されて頷き、彼は満足そうに何度か頷いた。
遠出なんてしない……と、言いたいところだけど、アーヴィング辺境伯領邸に到着したあの夜、暗殺に失敗してしまってからというもの、私は普通にここに嫁入り前提でやって来た男爵令嬢としての生活を送っていた。
貴族の慣例として、もうすぐ私たち二人の婚約を発表して、その一年後に結婚式を。
辺境伯は特殊な役割を持つため、彼自身は王都での盛大な結婚式を望まず、この辺境の地でひっそりと結婚式をすることを望んでいるらしい。
私の希望も聞かれたけれど、どう答えて良いかわからず『どちらでも』と無難な答えを返すしかなかった。
だって、私は暗殺するためにここに送り込まれただけで、彼と本当に結婚するつもりなんて、一切なかったもの。
……一切なかった……はずなんだけど……。
「それでは、セシリー様。何かご質問などありますか?」
「……いえ。わかりやすく説明してくださって、ありがとうございます」
「いえいえ! 未来の旦那様の愛馬ですからね。気になることがあれば、是非、僕に聞いてください!」
ヘルムートは黒髪に黒目の純朴そうな青年で、田舎で育ちましたと言われればそうでしょうね……と、言ってしまいそうな素直で優しそうな青年だった。
私がエクレールのことを好きで好きで堪らないんでしょう! みたいな態度を使用人たちから取られてしまうと、全身が痒くなるような気もする。
……けれど、私ってそういえば、そういう触れ込みでアーヴィング辺境伯に嫁ぎたいと言うことになっていたと、遠い目になってしまうしかない。
エクレール・アーヴィングは夜な夜な生娘を連れ込み、その生き血を浴槽に……なんて話は、私がここに来て二日目の朝に、ソフィーから笑いながら否定されてしまった。
エクレールの女性関係をおそるおそる尋ねた私に、『領主様は戦闘馬鹿で有名で、女性なんて連れ込んだところを見たことも、聞いたこともございませんわ!』と。
爆笑されてしまって、ソフィーの私に対する目がエクレールのことを本当に好きなんですね……という生温かい眼差しの温度が、また、高まった気がする。
夜に悲鳴なんて聞こえてくる訳もないし、エクレールは敵国からこの地を守るのが仕事なので、緊張感が高まっている最近は一日に見回りを三回もするらしい。
この、見事な白馬ミストラルに乗って。
ミストラルを再度見上げると、美しい黒曜石のような目が私を見つめていた。さっきまでは完全に無視をされていたように思えたけれど、もしかして……ヘルムートの話を聞いて、彼の主人の未来の妻と言う話を理解したのかしら……?
特産物としてアーヴィング地方で量産される軍馬は、知能も高く人の言葉を良く理解するらしい……けど、さすがにそれは考えすぎなのかもしれない。
感情の見えない、綺麗な黒い瞳……私の心の奥底まで見通されてしまうような、不思議な感覚を覚えていた。
実は……私は貴方の大事な大事なご主人様を、この手で暗殺してしまうところだったのよ。
暗殺自体は失敗に終わっているし、再度の機会にも恵まれない。それに、私はエクレールを殺してしまうことに懐疑的になっていた。
アーヴィング辺境伯エクレールは彼を司令官と仰ぐ騎士団たち、それに、使用人たちからも慕われていて、とても残虐非道な性格なんて思えないのだ。
……ここで私が不思議になってしまうのが『血塗れアーヴィング辺境伯』と、王都でまことしやかに囁かれていた、あの噂話だ。
お城で勤めていた私は、彼の噂話をよく聞いた。噂話は良く背びれ尾びれが付くとは言っても、これはあまりにも酷すぎるようにも思えるのだ。
それに、フロレンティーナ様だって……。
「リー様……セシリー様?」
「えっ……?」
私がミストラルと目を合わせて逸らせないでいると、ヘルムートの声が聞こえて、慌ててはっと我に返った。
「どうかなさいましたか? セシリー様。先ほどから、何か考え事をされていたようですが……」
ヘルムートの不思議そうな目。心にやましい部分を持つ私は、彼の純粋な気遣いに少々胸が痛くなった。
そうね。そうよね。何をしているのかしら。私。
「ああ……ごめんなさい。ミストラルの黒い目が、あんまりにも綺麗で」
「思わず見蕩れてしまっておりましたか! セシリー様がそうなってしまっても、無理もありません。ミストラルはこの国……いえ。世界でもそう居ないほどに、素晴らしい馬でございますゆえ」
にこにこと微笑むヘルムートに、曖昧に笑い返す私……ええ。そうね。本当に美しい馬で、王子様然としたエクレールが背に乗っていれば、とてもとても、絵になることだろうと思う。
私なんかが、そこに相乗りしてしまえば……きっと、台無しになってしまうわね。
「セシリー様。ミストラルと仲良くなれば、エクレール様との距離も自然と近付くかもしれませんよ。騎士と軍馬は戦闘では一体になるほどに、近しい存在ですので」
「そうなのね」
ヘルムートは急に暗くなった私を気遣ってか、そう提案してくれた。
「いつも昼時に訓練が終わると、大好きな林檎をあげるんですよ。そこをセシリー様が担当されると、ミストラルも心を開いてくれるかもしれませんね」
「まあ……えっと……そうね」
エクレールと距離を縮めたいのかと問われると、疑問が残ってしまう。
……だって、私彼のことを暗殺するために、この地に来たのよ。
「是非、よろしくお願いします! ミストラルもきっと喜びますよ」
本当に善意十割の提案を私は退けることも出来ずに、曖昧に頷くしかなかった。




