03 救えるのは私だけ
「あっ……暗殺、ですか!?」
私はただの男爵令嬢で、幸運にもフロレンティーナ様に取り立てて頂いたというだけで侍女として働けている存在だ。
何かしら特別な訓練を受けている訳でもないし、暗殺について勉強したこともない。
動揺して固まった私を前にフロレンティーナ様は、さめざめと涙をこぼしながら両手を胸の前で組んで訴えた。
「もうそうするしかないわ……これは、人殺しではないわ。セシリー。世直しのためなの」
「世直しのため……確かに辺境伯を罪に問うことは難しいかと思われます。ですが……」
「では! 私や……私と同じように彼の犠牲となっている生娘たちも、殺されてしまっても良いってこと?!」
「その……」
フロレンティーナ様は悲鳴のように叫び、そんな風に取り乱した彼女を初めて見た私は何も言えなくなってしまった。
処女と見れば純潔を奪い、その生き血を浴槽に……信じがたい噂話だけれど、王都ではまことしやかに囁かれているのだ。
「ああ……違うでしょう。頼れるのは貴女だけなの。セシリー。アーヴィング辺境伯本人は、家を繋ぐために結婚を望んでいるそうよ。けれど、当然だけど……彼のような男に娘を嫁がせたい貴族など、居る訳もないわ。そういう訳で、お父様はアーヴィング家を彼で絶やす訳にはいかないから、私をと……だから、セシリーが彼とどうしても結婚したいと望んでいると言えば、彼は断らないはずよ」
「フロレンティーナ様……」
私は懇願されて心が揺れてしまった。残忍で残酷なアーヴィング辺境伯の話なら、もう本当にひどく言われていて、私だってこんな悪人が今も生きて居るのかと思うと憤りを感じてしまうほどだ。
それに……フロレンティーナ様は、私にとって恩人。ここで私が断ってしまえば、辺境でとんでもなく酷い目に遭うことは確定してしまう。
「ああ……お願い……お願い。セシリー。頼れるのは、貴女だけなのよ! 毒薬を渡すわ。それを彼に飲ませるだけで、アーヴィング辺境伯は地獄に行くはず。どうか、私を……そして、彼の犠牲になってしまう未来の女の子たちを、どうにか救って欲しいの!」
美しい青い目に溢れる涙に、必死の叫び。私がフロレンティーナ様のそんな姿を見て、逆らえる訳もない。
「わかりました。フロレンティーナ様。私が……私がなんとかしますわ……!」
私は決意を込めて宣言して、両手をぎゅっと握りしめた。
……そうよ。ここで彼に殺されるであろう、多くの人を救えるのは私だけ。
「ああ! セシリー。ありがとう。貴女は恩人よ。それに、極悪人を殺せば貴女は英雄……きっと、お父様だって……国民全員が、貴女に感謝するはずよ……」
そして、私はその二週間後、アーヴィング辺境伯が住むアーヴィング地方へ……彼の未来の妻として、送り込まれることとなった。
◇◆◇
「ふう……よし。これで良いわね」
確認のために見た鏡に映るのは、大きな眼鏡を掛けて、金色の瞳も小さく凹凸の少ない地味な顔。
……こんな私を見て地味だなって、普通の感想なのだけど、面と向かって言われてしまったのは、あれが初めてだったわ。
失礼な男だわ。エクレール・アーヴィング。残虐非道な辺境伯だから、当然のことなのかもしれないけれど。
私は用意して来ていたイブニングドレスを着て、黒い髪は極力質素に見えるように纏めた。毒を盛ったと確認出来た時点でここから逃げてしまう予定だし、長い髪は逃走中に邪魔になってしまうからだ。
ドレスの中に必要最低限の荷物を仕舞い、私は身を隠して逃走する。
どうせ、アーヴィング辺境伯が死んだら悪事の証拠が次から次へと出て来ると思うし、そんな極悪人を暗殺したからって、問題にはならないと思う。
……フロレンティーナ様だって、そう仰っていた。私がアーヴィング地方へと趣き、残虐な辺境伯を殺したとて、罪に問われることはないだろうと。
万が一、罪に問われたとしても『セシリー・アンバーは、まだ王都から出発していないのに、暗殺が出来る訳がない』と、フロレンティーナ様が証言し、私は『アーヴィング地方には来ていなかった』ことになる。
アーヴィング辺境伯を恨んだ者に雇われた、暗殺者に殺されてしまったのだろうと、そういうことになる予定だ。
けれど、暗殺した直後に私が捕らえられてしまえば、こんなど田舎もど田舎の辺境のこと。国王陛下の目も行き届かずに、私はすぐに殺されてしまうかもしれない。
フロレンティーナ様では、辺境から逃走する事は出来ない。それに、フロレンティーナ様の今後を考えれば、暗殺者など雇うわけにもいかないし、私のように信頼が置ける者にこれをお願い出来て良かったと、泣いて喜んでくださった。
お役に立てて良かった。何かが出来て良かった。私のように、何も出来ない……貧乏貴族の娘にも。
そして、私が到着した、その夜。予定通り……歓迎の宴は行われることになった。
私とエクレールは、二人隣合って中央の席に並んだ……当然のようにそうされてしまったけれど、慣れない近い距離感に戸惑うしかない。
辺境では王都のように、貴族だって多く居る訳でもない。身分差はあまり気にしていないようで、城で働く人たちや辺境を守る騎士など、たくさんの人が詰めかけ楽しそうに飲み食いしていた。
……さて。どうしようかしら。彼が何かに注意を向けた隙に、これを飲み物に入れなくては。
私は胸に下げたロケットをぎゅっと握りしめた。
「食が進んでいないようだが」
不意に隣に座っていたエクレールから声を掛けられて、私は慌てて顔を上げた。
「っ……え?」
「いや、先ほどから、何も食べていないだろう。長旅の後なのに……好みに合わないなら、他のものを?」
やけに優しげな言葉を掛けられて、私は慌てて首を横に振った。
「いいえ! いいえ……緊張して、喉が通らないのです……」
咄嗟に思って居たことを言ってしまい、私はしまったと口を押さえた。
「っ……そうか。それは、そうだろう。俺はそういうことが疎く……すまない」
「え?」
パッと横を向いたエクレールの白い頬は、一瞬で赤くなり私は目を見開き驚いた。
美しい線を描く横顔……まるで、芸術品のようだ。私は彼が赤くなって理由がわからず、さきほどの話の流れを考えた。
……もしかして、私が自分の隣に居ることを緊張していると、取ったということ……誤解だわ!
そうではないわよ! 暗殺のために、いつ毒薬を入れるかと考えていただけなんだからね!!
なんだか、私が彼のことを好きみたいになってしまったわ……いえ。そういう触れ込みでアーヴィング辺境伯家に来ているから……それで、良いんだけど。
もうすぐ、私はこの人を殺さないといけないのよ……!
「……申し訳ありません。少し風に当たってきます」
「ああ」
とにかくここはエクレールと離れて落ち着こうと思った私は、とりあえず席を立ち、風の当たる廊下へと出た。
……良い夜風。
アーヴィング辺境伯領館は、外敵の侵入を防ぐという役割からも砦のように造られていて、外壁だって敵の侵入を阻むために異常に高い。
その上、王都のように土地が限られている訳ではないので、敷地はとても広いし、まるで小さなお城のような様相だった。
この邸のどこかで今日も誰かが、囚われて殺されるかもしれない……私がしなければならなことは、誰かの命を助けることになるかもしれない。
それにしても、人は外見ではわからないものだわ……あんな風に、すごく素敵な男性だと言うのに、処女と見れば純潔を奪うなんて……なんて?
さっき、私が自分に緊張しているかもしれないとなっただけで、顔を赤くしていたけど……変ね。そんな人がそんなことをするのかしら。
……いえ。ここまで来て、何を考えているの。
私はエクレール・アーヴィング辺境伯を暗殺して、そして、王都へと逃走する。世直しのため、それに自分のために必要なことなのよ。
「あ。セシリー様。ご体調は大丈夫ですか。領主様が心配していて、見て来いってうるさいんですよぉ。早く帰ってあげてください。未来の奥様ですから、過保護になっちゃって……うふふ」
それは、私がここに辿り着いた時に囲んでいたメイドの一人で、ふたつにお下げにした茶色の髪に同色の瞳、あどけないそばかすが可愛らしい子だった。
「……もう少しで戻ります。歓迎の宴なのに、ごめんなさい」
あの場所で行われているのは、私の宴なのだ。
「いえいえ! 大丈夫ですよ。緊張なさいますよね。うちの領主様は顔だけはよろしいんですが、何故かご結婚相手がなかなか決まらず……まあ、いろいろとあったんで仕方ないんですけど……」
苦笑いした彼女に、私は不思議になった。エクレールは残虐非道な辺境伯なのだから、私が是非嫁ぎたいという女性など居る訳もない。
いろいろあったって……それは、いろいろあったでしょうけど。
「あの……お聞きしたいことがあるのだけど」
「はいっ。ぜひぜひ。あ。私はセシリー様付きのメイドになりました。ソフィーです。どうぞよろしくお願いします」
可愛らしい仕草で頭を下げたソフィー……とても、愛嬌のある女性だわ。ここに居ると、生き血を取られてしまわないかしら。心配になるわ。
いえ……エクレールは処女でないと、興味がないということ……? だから、彼女は……。
「エミリア。この領館での、その、生活なのだけど」
「あ! そうですよね。気になりますよね。当然です。大丈夫です。領主様は当分はセシリー様は、ここでの生活に慣れることを一番に考えて欲しいと仰っておりましたので、それから順に辺境伯夫人としてのお仕事へ……」
私はこれからの生活に不安があると勘違いしたのか、ソフィーはにこにこと微笑んでそう言った。
「……いえ。あの。ここでの生活の中で、ソフィーは悲鳴を聞いたり……したことはある?」
「? いいえ?」
私の質問に彼女は、不思議そうな表情で首を横に振った。
「あの……浴槽に血があったりとか……」
血塗れのアーヴィング辺境伯の話を少し聞きだそうとした私に、ソフィーは顔色をサッと青くした。
「まあ! そのようなことが? 申し訳ありません。セシリー様のお部屋は何度も人を替えて確認したはずなのですが……せっかく、こんな場所に来てくれた奥様ですし……申し訳ありません」
「いえ! 私の部屋のことではないのだけど……」
「セシリー様のお部屋のことではない……?」
きょとんとして首を傾げたソフィー。そして、私も鏡に映したように、同じような表情になって彼女の前に居た。
……残虐非道な辺境伯。彼の噂をここで働く彼女が、知らない訳がないのに。




