01 ここに来た理由
……大丈夫。私のすべきことは、簡単だもの。
きっと……上手くやれるわ。
砦のような無骨な様式で造られたアーヴィング辺境伯領館の、立派な白い両開きの扉。
決意を込めて胸に掛かるペンダントのロケットを握りしめた私の前で、それは大きく開かれた。
「まあっ、まあまあ、ようこそ。いらっしゃいました!」
「領主様は? 領主様をお呼びしなければ……」
「未来の奥様がいらっしゃると、わかっているのに、何処に行かれたの? 信じられないわ」
「待って。まだ、早いわよ。まずは、用意したお部屋の方にご案内して……」
「そうよ。婚約者様は、王都から長旅をしてこんな辺境まで、来られたのよ!」
「もうっ……慌てないで。驚かれて逃げて帰られたら、どうするの!?」
開いたと同時にかしましい数人のメイドに囲まれた私は、何も言えなくて、小さなトランクを持ったまま固まってしまった。
……え? えええ……何々。
これまでずっと想像していた展開とは違い過ぎて、理解が追いつかなくて……本当に、これはどういうこと?
「そこの貴女たち、いい加減になさい!」
すぐに大きな厳しい声で一喝されて、私を取り囲んでいたメイドたちは、蜘蛛の子を散らすようにパッと散った。
そこにカツカツと高い靴音を響かせて私に近付く、教育者のようにも見える眼鏡を掛けた初老の女性……メイド長だろうか、一人だけ違うメイド服を着ていて、周囲を圧するような空気を漂わせていた。
私も彼女の登場を見て、思わず息を呑んでしまった。けれど、心の中では若干安心してしまった。
……そうよ。こういった威圧感のある重苦しい空気の中で、私は迎えられるはずよ……そうでなければ、おかしいわ。
ここは悪名高きアーヴィング辺境伯の根城だもの。
「貴女が……我が主であるアーヴィング辺境伯と、強くご結婚を望まれているという……アンバー男爵令嬢セシリー様でございますわね?」
「……はっ……はい! そうです……私がセシリーです」
私が質問を肯定し、その場に満ちた、しんとした沈黙。
眼鏡の奥の鋭い茶色の瞳にじっと見つめられて、まるで、私にいくらの値がつくのかと、品定めされているかのような感覚だった。
もしかしたら、それは周囲の人には五秒ほどの間だったかもしれないけれど、狼の前に差し出された兎は五秒を一時間にも感じてしまうはずよ。
いいえ。ここは、残虐非道な辺境伯の館なのよ……これから私は、どんな無茶を、要求されてしまうの……。
名前や身分を確認され、続けて何を言われるのかと怯え、私は涙目になりながらも彼女の次の言葉を待った。
「まあっ……! まあっ……! なんてお可愛らしい!!」
「えっ!? え? かわいい?」
いきなり目を輝かせて嬉しそうに言った彼女の言葉に、私は耳を疑った。
「私はこのアーヴィング家を任されております。メイド長のキャロルと申します。もう本当に心配していたのですわ。エクレール様は適齢期だというのに、結婚に全く前向きではなくて! ほら。前辺境伯と奥様が亡くなられてから、エクレール様にも色々とありましたでしょう……?」
キャロルはハンカチを片手に、目を潤ませていた。周囲のメイドたちも彼女に習い頷きながら、同じように悲しそうな表情を浮かべていた。
「そうなのですね……」
メイド長キャロルの悲しそうな言いように、私は納得して頷いた。
だって、処女の血で満たした湯船に浸かるという、残虐非道なアーヴィング辺境伯のことよ……彼にだって色々あったと言えば、色々あったのかしら。
けれど、私のことをこんなにも大歓迎してくれるのは、一体何故なの……? もしかしたら、今夜用の生け贄にちょうど良いとでも、思われているのかしら?
申し訳ないけれど、その思惑はなかったことになるわ。その前に私がアーヴィング辺境伯エクレールを暗殺してしまうのだから……。
「来たのか……」
その時にカツカツと靴音がして、メイド長キャロルはじめ、メイドたちが道を開けた。
彼女たちがそうした理由は、簡単に理解することができた。使用人たちの主が、今この場へと来ようとしている。
ついに……お目に掛かるわね。残虐非道な血塗れ辺境伯……エクレール・アーヴィング!
私はアーヴィング辺境伯が現れるまでに一度深呼吸をして、出来るだけ心を強く持った。
だって、彼は処女と見れば純潔を奪い、その血で妖しくも美しい容貌を保っていると、王都では専らの噂だもの!
どんなに凶暴そうな男性を目の前にしても、怯まないようにしなければ……。
「……アーヴィング辺境伯エクレール様。はじめまして。私はアンバー男爵カールの娘セシリーでございます」
先んじてカーテシ―をして顔を伏せ、私はアーヴィング辺境伯の許しを待った。辺境伯は敵地から王国を護る役目の大きさから、爵位としては公爵と同格。
ここで粗相をすれば、短気で粗暴と聞く彼のこと。権力を持たずに爵位の低い男爵の娘など、すぐに殺されてしまうかもしれないもの。
そうなれば、私は役目を果たすことが出来ない。
「ああ。俺がエクレールだ。セシリー。顔を上げて良い」
「はい」
彼の言葉に従い顔を上げてそれから、目を見開き驚いて固まってしまった。
私はここに来るまでは王家に仕える侍女だったので、元主人であるフロレンティーナ姫のご兄弟であられる、三人の王子様たちにだって顔を合わせた事がある。
彼らは王子様と言われれば、それはなるほどと納得して頷いてしまうほどに麗しく姿形良く、高貴な血筋をひと目で感じさせるほどに性質は穏やか。
そんな私が驚いてしまうほどに、アーヴィング辺境伯エクレールは本物の王子様よりも、王子様らしい華のある整った容貌を持つ男性だった。
涼やかな美しい青い目に、真っ直ぐな金色の髪。凜々しくも優しげで美しい造作。
残虐非道な辺境伯と呼ばれるほどの男性なので、私の想像の中では粗野で荒々しい外見を持つのかと思い込んでいたけれど、正反対の外見だったので驚いた。
……いえいえ。セシリー。何を言っているの。
パッと見ただけの外見だけで、人の中身なんて、判断出来る訳がないでしょう。
これが、処女の生き血を使った結果、彼にもたされた美貌だということかしら……? 悪魔の所業よ。本当に信じられないわ。
それにしても、こんなにも良い外見を持っているというのに、非道な行いをして、多くの人々に憎まれているのよ!
なんて、もったいないのかしら……これは、私が感じた素直な感想よ。
そんなにっくきエクレールは、微笑むことなく無表情のまま私と目を合わせ、淡々とした口調で言った。
「どうやら……俺とどうしても結婚したいからと、元の縁談相手であるフロレンティーナ姫へ直談判したと聞いたが」
「はい……その通りです」
私は彼に対し、大きく頷いた。そういう事になっているからとは、先んじてフロレンティーナ様に先んじて聞いていたからだ。
「そうしてくれないと、死ぬと暴れたとか……本当か?」
「えっ……! あ。はい」
そこまでは聞いていなかったけれど、私は内心の動揺を押し隠して頷いた。
王族の姫に来た縁談を横取りした彼女に仕える男爵令嬢……というと、私のことに間違いないのだけど、これは実はアーヴィング辺境伯の王都での評判が悪過ぎて、彼へと嫁ごうとする女性が全く居ない。
けれど、国王陛下としては創国以来仕えるアーヴィング辺境伯家を途絶えさせてしまう訳にもいかないし、無理矢理臣下の娘の誰かを送ることも躊躇われた。
だから、自分の娘を彼の妻候補にと言い出したらしいけれど、私が『アーヴィング辺境伯と結婚したい』と手を挙げれば、すぐに婚約することが決まった。
そんなにも悪い評判を持つ自分と結婚したと望む女が来たのかと、こんな風に興味深くなられても仕方ないわね。
「そういう訳で……俺もまさか、本当の話なのかと思えず……」
そう言って言葉を止めたエクレールは、私のことをじろじろと見た。
なっ……何なの!
「本当です」
こんな風に女性のことを、不躾に見るなんて……失礼な……何か一言でも褒め言葉を言いなさいよ。
もう……アーヴィング辺境伯は、辺境に篭もりっきりで、陛下に呼び出されても、決して王都には出てこないとは聞いているけれど……。
そんな社交の場にも出たことのない田舎者なのだから、基本的な礼儀作法を知らないのかしら……いえ。彼は処女の生き血を浴槽に張るという、信じられないくらいに悪辣な男なのよ。
この程度の失礼は、彼にとっては朝飯前のことなのかもしれないけれど。
「なんていうか……地味だな」
整った顔の顎に手を置いて言った失礼過ぎる一言を咄嗟に言い返す前に、私と彼の間には若いメイドたちがわっと詰めかけた。
「エクレール様、なんてことを!」
「そうですよ! これを逃したら、もう、結婚出来ませんよ!」
「謝ってください!」
「本当に、申し訳ありません。この方は、色々あって、淑女への教育が行き届いていなくて……本人には、悪気はないんです!」
「エクレール様。もう本当に、貴方って人は!」
にわかに慌ただしくなった周囲に押されて、私はもう何がなんだかわからないままで、事態が収まるのを待つしかなかった。




