第7話 リリィ
熱くなった頭を冷やしながら行く当てもなく彷徨っていると、いつの間にか舗装された道を外れ、森の中に入ってしまっていた。カブトムシやカマキリを横目に、少し休憩しようと近場にあったほどよい岩に腰掛ける。
「すぅー……はぁー……」
森の中は空気が澄んでいて心地良く、小鳥の鳴き声を聞きながら深呼吸をしていると、先ほどの怒りが嘘のように気分が落ち着いてきていた。
式典の後はいよいよPLOWへの入場が可能になる。もう少ししたら戻ろう。
そんな事を考えていると、視界に誰かが映った。一瞬気のせいかとも思ったが、確かに木々の合間を縫うようにして、現れたり、消えたりしている人物がいる。
遠目からその姿を目で追うと、夏らしく緑色の着物を着た童女がそこにはいた。腰まで伸びた白い髪の女の子は、自然と戯れるかのように緑色のアゲハチョウ――確か、あれはミヤマカラスアゲハだった気がする――を追って木々の間をすり抜けていく。まるで歌声が聞こえてきそうなほど軽やか姿だ。
「――あ」
一瞬目が合ったように見えたが、気のせいだったのだろう。ふと気が付くと、まるで幻だったかのように消え去っていた。
「……俺も戻るか」
子供が大人の長話を聞かされてもつまらないだろうし、式典が終わるまでここで遊んでいただけだろう。そう結論付けて踵を返す。
――辺りには、何かの花の香りが薄っすらと漂っていた。
☾
会場に戻ってくると、先ほどまで場を埋め尽くしていた人たちはほとんどいなかった。すでに式典は終わって、とっくに入場を始めている。
そうして列の一番後ろに並んだのだが、想像したより早く列は進み、予想に反してたった数分で入場ゲートまで辿り着くことが出来た。
「――これが入り口か」
ゲートの入り口部分には、上下左右に三メートルはあるエメラルド色の薄いベールのようなものが張られていた。危険物の持ち込みが無いかのチェックと、来場者の健康状態を確認する為の機械のようで、人体に悪影響は無いという旨のアナウンスが流れている。
「……凄いな……」
そんな言葉が口をついて出るほど綺麗で、まるでオーロラが目の前に現れたかのような印象を持つ。
そうこうしている間に、並んでいた人たちは全員入場してしまい、俺が最後の一人となっていた。
「――怖くないから大丈夫ですよ」
「え⁉」
突然聞こえた声に驚いて隣を見る。いつからそこに居たのか、茶髪のロングウェーブに、おっとりとした雰囲気を纏った女性が微笑みながら先を促してくる。
PLOWのトレードマークである、蛇が自らの尾を食んだ〝ウロボロスの輪〟をモチーフにしたエンブレムが入った緑色の制服を着ていることから、ここの従業員なのだろう。
「中に入ったら目印に従って、まっすぐ進んでいってくださいね」
「あ、はい。分かりました」
「……よろしければ、私もご一緒しましょうか?」
「いえ、大丈夫です」
「そうですか? 遠慮なさらないでくださいね?」
「ありがとうございます。えーっと……リリィさん?」
胸元のネームプレートを見てお礼を言う。
「ふふっ、私のことはリリィでいいですし、敬語も必要ありませんよ。その方が親しみやすいでしょう?」
「は、はぁ。分かりました」
「それでは何かありましたら気軽に声をかけてくださいね」
そう言ってリリィはにっこりと微笑んでいた。
指先でベールを触ってみるも、触感は無い。触れた指が変色するということもなかった。
安全を確認した俺は、ごくりと生唾を飲み込んでから一歩を踏み出す。ベールの中は幻想的という言葉がぴったりな空間で、三六〇度エメラルド色のキラキラとした空間が広がってた。
そんな不思議な空間を、なんとも言えない奇妙な感覚に陥りながら歩いていると、誘導するかのように赤色の光が目の前を通り過ぎていく。
「これが目印か」
少しの間呆けていたが、我に返ってリリィに言われた通り光を追っていく。そうして数十秒ほど歩き続けると、幻想的な空間は終わりを迎え、代わりに目も眩むほどの光と共に広大な空間が目の前に現れた。
《――ようこそPLOWへ! 夢と希望が溢れる天空テーマパークを、どうぞ心ゆくまでお楽しみください!》