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071 金髪赫眼の主 ーソル

 家族を失い、仕事を失い、祖国を失った自分は、端的に言えば生きる理由も見失っていた。

 傭兵であれば、自身とその技量に値段を付けられるし、提示された報酬が不服ならば、自分の意思で拒否も出来た。だが、自分を自分として保障されない身分となってしまっては、自分が出来ること……剣を振るうことすら、無価値に感じられた。

 飢えと寒さが鍛えてきた体を蝕んでも、同じような状態の人間がまわりにいれば、なんとなく諦めがついてしまった。


 それでも。


 きらりとした赤い目が、薄汚れて痩せた奴隷たちを見て、嫌悪でも恐怖でもなく、怒りをにじませていた。それだけで、折れて腐っていた胸の芯が疼き、奮い立った。


(何者だ……?)


 大人に抱きかかえられるほどの子供が、奴隷市になど来るものではない。しかし、身分の高い者なのだろう。奴隷商と言葉を交わす老人も、護衛らしき男も、その子供に対して恭しい態度を崩さない。


 結局、俺はその子供に、銀貨五枚で買われた。まわりの奴隷の中では高値だったが、それが、俺の値段だった。



 俺を買った子供は、ショーディーという名前らしいが、かなり変な子供だ。汚れている俺と手を繋いだり、死にかけの奴隷親子を買ったり、奴隷まで温かい風呂に入れて新品の服を着せるなど、奴隷という身分をわかっていない気がする。

 言葉が全然通じないので、俺は自分が何処に連れてこられたのかわからなかったが、突然、母国語を話す鳥足の女に引き合わされた。


(鳥!? 人間なのか? いや、言葉が通じるのは、ありがたいが……)


 カーラはアルカ族といって、明確に人間ではないと言い切った。だが、彼女たちが住んでいる場所には、様々な姿をしたアルカ族がいるらしい。そんな場所があるなんて、今までに聞いたことがなかったが……まったく、世界は広い。


 ここは俺が住んでいたセーゼ・ラロォナ王国から遠く離れた、リンベリュート王国だった。大陸の反対側まで、よく移動してきたと思う。

 ショーディーは、リンベリュート王国内に領地を持つ、武家の子息だそうだ。どうりで、物怖じしない、度胸のある子供だと思った。俺の……十四歳にもならず殺された妹よりも小さいのに、受け答えだってしっかりしている。


(セーゼ・ラロォナで言うところの、伯爵家の子供だろうか?)


 この国で貴族を名乗れるのは、国政に関われるような、本当に高位の家だけらしい。たぶん、侯爵以上でないとダメなのだろう。


 ショーディーは、俺やナスリン……一緒に買われた親子の母親の方の話を聞いて、またあの赤い目を潤ませて怒っていた。セーゼ・ラロォナでは、別に珍しくない身の上ではあるのだが、素直な子供にとっては理不尽に感じるようだ。


「教皇国に売られた奴隷とはいえ、二人……いや、三人か。そろって面倒なのを買ってくれたな、我が主は」

「リンベリュート王国では、近々稀人を召喚する儀式があるそうですし、教皇国の僧侶が大勢来るかも……。こんなにいい服を着せてもらって、よくしていただいているけれど、私たちは、人目につかない方がいいのではないかしら」


 俺たちは「稀人がもたらした知識に対して、重大な不敬を働いた咎人」が身内にいる、とされている。ナスリンの言う通り、なるべく教皇国の人間や、グルメニア教会には近づかない方がいいだろう。難癖をつけられたら、俺たちを買ってくれたショーディーにも、迷惑がかかる。

 しかし、それをカーラに伝えてもらったところで、ショーディーは妙に大人びた苦笑を浮かべていた。


「心配には及びません。こちらのショーディーさまは、貴方がたの身の上とは別の理由で、教皇国から最も危険視されるようになる御方です」


 カーラの言葉に、俺とナスリンは思わず顔を見合わせた。


「ショーディーさまからのお言葉を、そのままお伝えします。『貴君らが、教皇国から逃げて暮らすのではない。貴君らは、貴君らを買った私と、自分たちの新しい生活を、教皇国から護るのだ。後戻りできないのだから、噛みついてやればよい。教皇国の者どもよりも、いい暮らしをする。その方がきっと、楽しい人生になるのではないかな』、以上です」


 言葉が出ない、とはこのことだろうか。


 無邪気な子供の姿の中で、赤い目だけがギラギラと闘志をにじませていて、唇の端を吊り上げたその笑顔はいっそ、獲物を見つけた怪物に見えた。



 我が主となったショーディーは、やはりおかしな子供だ。

 自分の身分の方が圧倒的に上であるにもかかわらず、毎日、俺たちと同じ物を、同じ食卓で食べている。遠慮しないでたくさん食べろ、早く健康になれと、毎回腹いっぱいになる量を出してくる。

 平民の冒険者や、俺たち所有している奴隷だけでなく、清掃夫の貧民にすらも、分け隔てなく話しかけ、しかも虐げている様子もない。仲良く笑っているのだ。


「ああいう方には初めてお会いしましたけど、そうでない人よりも、ずっといいじゃないですか」

「まあ、そうだな……」


 ナスリンの言う通りではあるのだが、どうも調子が狂う。甲斐甲斐しく赤ん坊のファラの世話をするし、俺と歩くときは、相変わらず手を繋ごうとするし。


(貴族の連中は、もっと居丈高で身勝手で、暴力的だと思っていたんだがなぁ)


 そう思っていたのは俺だけではなく、ショーディーの侍女であるハニシェからも似た答えが返ってきた。


「ナゼ、主ハ、優シイ? 私達、奴隷」

「坊ちゃまは、他の方々と違います。下々の人間にも、優しいです。しかし、身分の高い方々に対しては、厳しいです。彼らが……えっと、支配的だからです」


 ハニシェは俺にもわかるよう、ゆっくりと、教皇国語交じりで、身振り手振りも交えて教えてくれた。やはりリンベリュート王国でも、身分の高い連中は、普通は身勝手で暴力的なようだ。使用人たちの間でも、ショーディーの方が普通ではないという認識らしい。



 俺は初め、リンベリュート王国はセーゼ・ラロォナ王国よりも遅れていると思っていた。それは、ライシーカ教皇国から離れていて、燿石を使った道具が全然見当たらなかったからだ。

 しかし、このカレモレ館には、もっと便利な物がたくさんあった。


「奴隷の子供に使うおむつを、一回で使い捨てにするなんて、なんて贅沢なんでしょう。どこに捨てているのか、内緒と言われてしまっているのが、ちょっと不安ですけど」

「おい、なんだあれ。飲み水が無限に出てくるどころか、最初から湯が出てくるポットなんて、初めて見たんだが」

「火付け道具が、焚き付けと一緒になっているのを見ました? こするだけで火が付いて、そのままかまどに入れればいいんです」


 ハニシェに使い方を教えてもらうたびに、俺もナスリンも「それでいいのか」と疑いの目を向けてしまう。そのくらい、何もかもが贅沢……そう、贅沢だった。


(見た目の豪華さとは違う……快適さを求めたゆえの、合理的な、削ぎ落された贅沢、と言えばいいのか)


 ただ金をかければいい、というものではない。研ぎ澄まされた業物のような、優美さと使い勝手がカチリと噛み合った、洗練された贅沢だ。


「これが、教皇国より豊かな生活、ということか」


 そのことを、カーラ女史がいる時にショーディーに言ったところ、彼はきょとんと目を瞬いた後で、ケラケラと大笑いをした。


「こんなものではない。ここは出先だから、さまざま、不足が多い。それと、豊かさは、目に見えないところに、ある」


 カーラ女史に助言を受けながら、教皇国語で返してきた幼い声に、俺は思わず天を仰いだ。

 目に見えない豊かさって、なんだ。



 少しずつ新しい生活に慣れてきたころ、ショーディーが慌てて俺たちを呼んだ。エントランスに並べとハニシェに指示されて、ようやく誰かが来るのだと思い至った。


 カレモレ館の門をくぐってくる、軍馬にもなりそうな立派な馬たちに、まず目が行った。その馬たちが牽いている、何台もの連なった馬車には、使用人と荷物がたっぷり詰まっているようだ。


「母上!」


 家紋らしい紋章旗を掲げた馬車から降りてきた身なりのいい女に、ショーディーが駆け寄っていく。


(あれが、ブルネルティ夫人か)


 ショーディーの母親は、ショーディーとよく似た金髪をしていた。

 感情的だったり享楽的だったりという、騒がしい雰囲気はなく、どちらかといえば厳格な教官を前にした時のような、思わず背筋を伸ばしそうな緊張感がある夫人だった。


 その第一印象は的を射ていたようで、夫人が来てからのカレモレ館の中は、ピリッと引き締まった空気になり、大勢の使用人たちがキビキビと働いている。夫人自身も、忙しそうに何通も手紙を書き、あちこちに出しては戻ってきた使用人たちから話を聞いているようだ。


 貴族や領主の夫人として模範的な姿であり、浪費や怠惰とは無縁そうだ。


「とてもいい夫人だ。使用人の差配もしている」


 そんな意味のことを、たどたどしくショーディーに伝えると、子供らしく、少し照れたように笑った。きっと、自慢の母君なのだろう。



 ブルネルティ家の使用人たちが来てからというもの、俺の仕事は減り、大山羊の世話と、冒険者と一緒に敷地内で害獣を探す以外は、もっぱら、ナスリンとショーディーと一緒に、語学の勉強をしている。

 カーラ女史にはしばらく会っていないが、ショーディーがたくさんの絵本と分厚い辞書と帳面とペンを持ってきて、互いにわからない言葉を教え合っている。そのおかげで、俺とナスリンは、かなり早くニーザルディア語を覚えていった。


「うぅ、教皇国語難しい」

「セーゼ・ラロォナでも、貴族の言葉だった、です。難しい言い方、すごく多いです」


 ショーディーは教皇国語に苦戦しているようだ。砕けた言葉遣いが少ない上に、妙なルールが多く、大人でも面倒くさいと感じる言語なのだ。俺やナスリンのセーゼ・ラロォナ語を多少聞き取れるようになったショーディーは、かなり頑張っていると思う。


「ファラが最初に覚えるのも、ニーザルディア語かな。子供の内は、母国語として、ひとつの言語をきちんと覚えた方がいいんだって」

「はい。いまは、リンベリュート王国にいるですから」


 ナスリンはそう言って微笑み、ショーディーは「将来なにになりたいって言うかな? 侍女? パン屋さん? 花嫁さん?」などと、気の早いことを言っている。


「主様は、将来、なにになりたい? 領主は、姉様がなるでしょう?」


 ブルネルティ家の家督は、ショーディーの姉が継ぐことになっており、長男であっても第二子である兄も、いずれは独立することになっているそうだ。我らが主は、己の将来を、どう見据えているのか……。


「ぼく? なりたいものは特にないけど、やりたいことは、教皇国を滅ぼすことかな!」

「……え?」


 俺の聞き間違いだと思うが、ずいぶん不穏な単語が聞こえた気がする。


「あとねぇ、邪神を復活させること! コアが見つかるといいんだけど、時間がかかりそうなんだよねえ」

「……」


 愛らしい顔で唇を尖らせているが……やっぱり我が主は、変な子供だ。


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