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065 売られた仔犬との出会い

 翌日、新しい自分のベッドの上でハニシェに起こされた僕は、やっぱり少し体調を崩していた。


「お疲れなのですよ。坊ちゃまは、大人と比べて、まだまだお体が小さいという事を、忘れないでくださいまし」

「うん……」


 パンをミルクで軟らかく煮て甘いシロップをかけた物を食べて、僕は惰眠を貪ることにした。


 ちなみに、この世界にはまだ蜂蜜がない。古代には食べていたかもしれないし、似た物はあるんだろうけれど、ミツバチに相当する昆虫が害獣化してしまうので、いまのところ人間は利用できていない。その代わり、メープルシロップのような甘い樹液があるので、甘味と言えば砂糖とそちらの方が多い。


(そういえば、植物って害獣化しないのかなぁ……)


 などと、フラグが立ちそうなことを考えながら寝たら、変な夢を見て飛び起きた。のたうつ触手に絡みつかれるなんて、大人の叡智な本で十分だ。だいたい、そういう動きをするモンスターはダンジョンに作ったし。


「……おなかすいたな」


 すでに昼時で、微熱も下がったようだ。


 しっかりと食事をとってからも、ハニシェは僕をベッドに押し込もうとしたけれど、なんとか温かい格好をすることで妥協してもらい、手紙を書く仕事を済ませることができた。

 両親に伝え忘れていることはないだろうかと、指差し確認しながら内容をチェックしてから、蝋引きの外紙に包んで、しっかりと封をした。これは明日、また運輸ギルドにお願いして、ブルネルティ領まで届けてもらうつもりだ。


「坊ちゃま、僭越ですが、アレイルーダ商会に言伝を頼んでおきました」

「んう?」


 夕食時にハニシェが報告してきたのは、カレモレ館で使う蝋や薪を買いに、わざわざアレイルーダ商会の店舗まで行ってきてくれたことだ。


「本店までご挨拶に行くのは、坊ちゃまか領主様になると思いますので、その都合をお互いに合わせなければなりませんから」

「ああ、そうか。ありがとう!」


 カレモレ館の持ち主であるアレイルーダ商会には、一応挨拶をしておかなければならないだろう。商業ギルド越しに屋敷を借りているとはいえ、こちらは名のある家だし、召喚儀式に呼ばれているという大義名分もある。商会側としても、商業ギルドが袖にしてしまったせいで踏み込みづらくなった、迷宮を擁するブルネルティ家は、顔を売っておきたい相手であるにちがいない。


「あと、カレモレ館のご近所さんにも挨拶しておかなきゃ。社交実績って、やらないとマイナスになるくせに、積み上げるのが大変なんだよなぁ。うーん、母上がいてくれたら、細かい作法とかコツとか教えてくれるのに」


 まだ子供の僕では、下手に仰々しい挨拶なんかすると、逆に馬鹿にしてんのかと思われてしまう。元気に笑顔で「こんにちは!」って言っておけば、普通の大人には受けはいいのだけれど、それだけは足りない分を補う塩梅が難しい。

 まあ、その辺の不調法は、子供だからと目を瞑ってもらおう。


「明日、ポルトルルと奴隷を買ってくるけど、ハニシェはどういうお手伝いさんが欲しい?」

「そうですねえ……。一緒に働いていて、嫌な気分にならない人でしょうか」

「すごく大事だけど、難しい要望がきたな」


 思わず素で言ってしまったけれど、まあ、僕でも同じ要望を出すだろう。


「お料理ができる人がいれば、坊ちゃまにもっといろいろ召し上がっていただけると思います。あとは……難しいですね、掃除や洗濯ができる人がいてくれると助かりますけれど、年が明ければブルネルティ家から使用人が来るでしょうし」

「そうだね。一人か二人、買えればいいかな」

「はい」


 僕としては、秘密を守れて一緒に旅をする仲間が欲しいので、武術の心得か諜報活動に覚えがある人がいい。


(そういう人がいればいいなぁ)


 一緒のテーブルで、がつがつとハニシェの手料理を食べているイヴェルとローガンは、王都にいる間だけの護衛だ。彼らもいい人ではあるんだけれど、迷宮に関するアレコレに引き込むつもりはない。


 夕食を終えた僕は、明日に備えて、そして心配するハニシェに追い立てられるように、いつもより早めにベッドに入ることになった。



 翌朝、ぱっちりと目を覚ました僕は、エースが引っ張る大山羊車に乗って、ギルド通りへ向かった。護衛はローガンだ。

 イヴェルでもいいんだけど、なんていうか、見た目が寒そうなんだよね。外にいると毛糸の帽子を被せたくなるので、カレモレ館でハニシェの護衛をしながらお手伝いをしていてもらった。


「まずは、運輸ギルドに行くよ。道案内ヨロシク」

「へい!」


 特製の大型箱車を牽かせるのはコツがいるので、手綱は僕が持っている。ローガンは隣で、次の角をどっちだ、だとか、あの店は安くて美味い、だとか、そんなことを話してくれた。


 運輸ギルドでは、ルドゥクは来客中だとかで会えなかったけれど、ブルネルティ領への速達は出してもらえた。前回の速達人がまだ王都リーベに帰ってきていない、立て続けと言っていい頻度だけど、こういう情報伝達はスピードが命なんだよね。


(父上と母上から、ちゃんと報告しろって口酸っぱく言われているからなぁ……)


 特に、今回は僕の手に負えない事態になっている。細かいことでも、逐一報告しておかなきゃいけないだろう。


 そして、冒険者ギルドに行くと、ポルトルルが待っていた。


「ポルトルル、おはよ!」

「おはようございます、ギルド長」


 外套の裾をなびかせながらエントランスに降りてきたポルトルルは、今日は少しかしこまった格好をしているように見える。


「おはようございます。ローガンたちはお役に立っていますかな?」

「もちろん! 僕もハニシェも助かっているよ!」


 ポルトルルの視線が、僕の後ろで少し照れているらしいローガンへ動き、それはようございました、と微笑んだ。


「では、参りましょう」


 ポルトルルがちょっとおめかししていたのは、奴隷の競売に参加するためだった。金さえ積めば奴隷は買えるけれど、身なりがちゃんとしている者の方が、売る方も買われる者も安心感がある……と言われれば、たしかにそうだろう。

 まわりから見れば、僕たちは小金持ちの祖父と孫と護衛の三人組に見えるに違いない。


 大山羊車を冒険者ギルドの車庫に置かせてもらって、僕らは広場まで歩いて行った。


「ポルトルルがいいなって思った奴隷って、どんな人?」

「そうですなぁ……まだ少年ですが、心に一振りの剣を抱いているような、そんな気高さを感じました」

「ほう」


 なんだかすごく厨二っぽい表現をされたけれど、ポルトルルにそう言われる人間は、ちょっと興味が湧く。


 奴隷市が開かれている広場は、かなりごった返していて、背が小さい僕ではまわりが壁だ。僕のことが見えていない大人にべしっとぶつかられて、体ごとよろけてしまった。


「ポルトルル、ローガン、手を繋いで。はぐれちゃうよ」

「わかりました……が、見やすい所までローガンが抱えて行った方が良さそうですね」

「了解っす」

「え? えっ?」


 ひょいっとローガンに抱きかかえられると、とたんに視界が開けて、人の頭ばかりが見えるようになった。


「えっと、ぼく、もうすぐ七歳だよ? 重くない?」

「そうなんですか? 大丈夫っすよ」


 ポルトルルとローガンはスイスイと人混みを縫って歩いていって、目的の檻車の前に到着した。


「イらっしゃイませ、ダンナ!」


 少し訛りのある発音で、檻の側にいた奴隷商が近寄ってくる。


 ポルトルルが奴隷商をあしらっているけど、僕は檻の惨状を見詰めたまま、言葉が出ない。

 そんなに広くない檻は、夜はきっと板塀を鉄格子に立てて塞ぐと思う。だけど、いまは寒いのに吹き曝しで、すえた臭いが漂っていた。その中で、けっして厚着ではない痩せた男たちが、一塊になって座り込んでいる。


 誰も彼もが、希望もなく疲れ切っている。目に力がなくて、僅かなエネルギーを薄め延ばして、ただ生きているだけ。


(僕は、こういう人たちを知ってる……。耐えすぎて、諦めてしまった目だ)


 前世で、何人も、何度も、すれ違った。


 社会に虐げられてきた人たち。すでに持っている人たちから無視されてきた人たち。助けを求めても、助けてもらえなかった人たち。

 普通や常識的という尊厳で腹は膨れないと、嘲笑と蔑みを割り切って、すねかじりを選んだ人もいる。だけど、つかめる藁すらない人は……藁からも拒絶された人は、どうすればよかったというのだろうか。その時代に生まれてきたことすら、自己責任だというのだろうか。


「……っ」


 息苦しくなってきた僕は、ローガンの服を握りしめた。その時、男たちの中で、ひときわ痩せている汚れた少年と目があった。


「ポルトルル、あの子?」

「はい」


 無気力になるでも、媚を売るでも、憎悪を向けるでもない。

 ただ、こちらをこそ値踏みするかのような、油断のない静かな目。


「人の下につくような人間には見えないけど」


 今は薄汚れているけれど、英傑とか覇王とか、そういう人相に近いんじゃないの?


「ショーディー様には扱えませんかな?」

「なんてこと言うの。ぼく、そんなにすごい人じゃないよ」


 でも、まあ……。


「いいよ。あの子を買う」


 死亡フラグを叩き折りながら生きていきそうな子なら、僕の旅にも付き合えるだろう。


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