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037 狂骨の姫君は哄笑する

 僕は両手に荷物を掴んだまま、トコトコと歩いて客室の前まで来た。


「あねうえ~、いらっしゃいますかぁ~?」


 アンダレイがノックすると、すぐに内側から扉が開いて、姉上が顔をのぞかせた。


「ショーディー、お静かになさ……」


 言いかけた姉上の口が、淑女にあるまじきことに、あんぐりと開いてしまった。

 僕は無邪気な笑顔で、大きな声ではっきりとお伝えした。


「申し訳ありません。生ゴミを捨てたいのですが、お客様の持ち物のようでして、ご許可をいただきたいのです!」

「あ、あの……ま、まっ、まちなさ……」


 姉上は僕の両手にあるものを確認してよろめいたものの、気丈に僕を止めようとした。それをアンダレイが支えるふりをして扉との隙間を開けてくれたので、僕は荷物を引きずりながら、ずかずかと客室に入っていった。


 その部屋は、本来主寝室であり、領主夫妻が視察で訪れた際などに使われるものだ。姉上が普段使っている代官用の寝室とちがって、内装や家具も高価な物で揃えられている。

 そこには、五十歳くらいにみえる細身の男性と、杖は持つだけでほぼ歩けるようになったメーリガ支部長がいた。そして、二人ともが目を丸くして、子供らしからぬ腕力で大きな生ゴミをずるずると引きずってきた僕を凝視していた。


「こんにちは、メーリガ支部長。そちらがリンベリュート王国の、冒険者ギルド長さんですか? ぼくは、ショーディー・ブルネルティといいます。はじめまして」


 ぺこりとお辞儀をしたけれど、両手が塞がった状態なのは、さすがに不格好で無礼だったかと思い、ぽいと両手を放した。

 ごつごつと床に落ちた生ゴミがなにやら呻いたけれど、まだ意識が戻らないのか、それとも、うずくまる気力もないのか、だらしなく伸びている。


「ヨーガレイド家の者により、迷宮都市を占有せんとする発言がありました。これにより、『魔法都市アクルックス』は直ちに迎撃態勢を整え、現在すべての冒険者に退去勧告が出ております」


 すでにアクルックスでは、市長ルナティエにより緊急警戒宣言がされているはずだ。ダンジョンに潜っている冒険者たちも強制脱出させられ、技術研修を受けている職人たちを含めて、アクルックス内にいる冒険者証を持つ者は、一人残らず城門の外へ誘導され始めている。


「仲良くできなくて、残念です。さようなら」

「なっ! ま、まってくれ!」


 にっこりと笑った僕に、まず杖を放り出したメーリガが、両手両膝を床について頭を下げた。


「冒険者ギルドは、王家や貴族による迷宮の占有など認めない! どうか、これまで通りの付き合いをさせてくれないか!」


 大柄な彼女から出てくる心からの懇願は、僕の同情をひいたけれど、それでどうにかなるものではない。


「そうは言われましても、『町ごとよこせ』『公方家に逆らうな』と言ってきた方々を、すでに半殺しにしてしまいましたし?」


 ことさら可愛らしい仕草で言ってみたが、内容が可愛くないことはわかっている。


 僕の両側で伸びている侍女二人は、ちょっと見られないような顔面になっている。無駄に高い鼻っ柱を、ばっきぼきのぺったんこにしてやったからね!

 せっかく綺麗な新築なのに、壁や床をちょっと汚しちゃったので、あとで掃除してくれるアンダレイたちに謝らないといけない。


「ぼく、湯治基金のことを一緒に考えてくれた、メーリガ支部長のことは好きだけど、貴族のことなんて、止められないでしょう?」

「しかし、いまのところヨーガレイド当主からは、具体的な方針はなにも出ていない! その者たちの、独断専行だ。どうか、話を聞いて欲しい」


 このとおりだ、と額を床にこすりつけるメーリガの横に、ギルド長も並んで両膝をついた。


「はじめまして、ショーディーさま。リンベリュート王国冒険者ギルド長の、ポルトルルと申します」


 意外と可愛らしい名前だったギルド長は、落ち着き払った様子で、しかし、僕を子供と侮らず、きちんと一人の取引相手と認識して話し始めた。


「メーリガの言った通り、冒険者ギルドとしては、迷宮を貴族家が占有するなど認めるわけにはいきません。たとえそれが、王国との繋ぎ役となっているヨーガレイド家であったとしても。まして、迷宮があるここは、ブルネルティ家の所領です」


 ポルトルルは僕が引きずってきた侍女をちらりと見ただけで、僕に対しては真摯な態度を崩さない。


「我々冒険者ギルドは、これまで迷宮への口利きはじめ、さまざまに便宜を図っていただいたショーディーさまに不義理をするが如き敵対の意思はなく、同様に、迷宮に対しても攻撃的な意思は一切ございません」

「冒険者ギルドの意向は、うけたまわりました。では、迷宮に対して、及び迷宮を領地に擁するブルネルティ家に対して、権利もないのに占有をほのめかした使用人を、ヨーガレイド家はどのようにお考えでしょうか?」


「……さあ? それをわたくしに聞かれても、答えようがありませんわ。わたくしには、なんの権限もありませんもの」


 その声はカサついて、しわがれていた。けれど、場違いなほど明るい、クスクスとした笑みを含んだ返答。


 僕は相変わらず怒っていたけれど、彼女の異様さには、少し警戒の度合いを上げた。


「あなたの侍女ではないのですか、ロロナ・ヨーガレイドさま」


 ベッドの上で半身を起こした、骸骨みたいに痩せ細った女の人。長い髪はほとんど白かったけれど、元は赤毛か、ピンクブロンドだったかもしれない。


 一目で上等とわかる部屋着を着ていたけれど、僕が普通の子供だったら泣き出していそうなほど、まるで妖怪のような風体だ。元は美人だったろうなと思わせる、いまは皺の多い顔が、ニタニタと唇を引き上げている。


「ライノの言っていたとおり。生意気で可愛げのない子供ね。まるで、子供の皮を被った、人ならざる者がいるようだわ」

「人は、自分が理解できないものを、脅威と感じるようですね」

「ふっふっふ……愚かな臆病者呼ばわりされたのは、生まれて初めてだわ」

「別にけなしてはいませんよ。恐怖を感じない者は、生存に適しませんから」

「お前は、ヨーガレイド家に恐怖を感じないの?」

「感じませんね、まったく。怖がる必要がありませんから」


 その笑い声を表現する言葉を、僕は持っていなかった。


 高らかに、腹の底から、痩せた喉を震わせる甲高い笑い声は、清々しいほどの歓喜と嘲りを含んだ哄笑だった。


「はぁーっ、はぁーっ、あぁ、おっかしいぃ。あぁ、喉が渇いた。こんなに、笑ったのは、何十年ぶり、かしら」


 僕が水差しを取ろうとしたけれど、アンダレイがささっとやってきて、グラスに水を注いでしまった。


 それを受け取ったロロナ様は、ごっぎゅごっきゅと豪快に飲み干して、お姫様とは思えない仕草で大きく息を吐いた。


「ぷはーっ。不思議に思ったのだけれど、ここの水って、味が違うわね? 美味しいわ」

「飲み水は迷宮で作っている魔道具で出しているんです。この辺りの水は硬水だから、苦みがあって飲みにくいんですよね」


 その辺から汲んできた水は、一度煮沸しないと怖くて飲めないが、水属性魔石をはめ込んだ水差しからは、綺麗な軟水が出てくるようになっている。


「硬水? ふーん、面白いわねえ。私も火魔法が使えるはずなの。だから、『魔法都市』と呼ばれている迷宮には、とても興味があるのよ」


 コップを持つ手は骨が浮き出て、話すたびに動く頬の肉は削げ落ちていたけれど、眼窩の奥から僕を見つめる琥珀色の目は、妖しくもキラキラと輝いていた。


「ショーディーと言ったわね。少し、お話をしましょう」


 また妖怪じみた笑みを浮かべたロロナ様は、空のコップをアンダレイに返すと、痩せた肩を乗り出すように、僕に向き直った。


「ライノが何て言ったか知らないけれど、わたくしには本当に、生きていること以外に、なんの権限もないのよ」


 ロロナ様は三十年前にヨーガレイド家に降嫁したけれど、結婚相手だったサーエール卿は早世して、子供もいない。ヨーガレイド家の当主と家族は別にいて、政治にも家政にも関わることはできないし、させてもらえない。


「何の不自由もないけれど、不自由しかない人生だったわ」

「お世話はしてもらえたんでしょう? 献身的だったって、ライノが言っていたけど」


 介護ってすごく大変なはずだと、僕は自分がボコボコにした侍女たちを見たけれど、ロロナ様は心底苦い顔をした。


「わたくし、本当は歩けたのよ」

「えっ!?」


 びっくりして顔を上げると、ロロナ様の苦いだけだった表情が、ほろ苦い笑顔になった。


「ほんの少しだけ、()()()をひいて、ほんの少しだけ、腕が動かしにくいだけ、だったの。だけどね、まわりの人は、わたくしに元気でいて欲しくなかったのよ。わかるかしら?」


 たとえば、ロロナ様が社交界に出て、元気なお姿を見せられたら……。


「……王家は、自分の過ちを直視したくなかった。あてこすられるくらいなら、監禁しておいてもらいたい。そしてヨーガレイド家は、自分の家のことを邪魔されないようにしつつ、より献身的に世話をしているという姿勢を示していたかった」

「正解」


 呆れてものも言えないとは、このことだろうか。


 僕はあの侍女たちの高圧的な態度の理由が、なんとなく理解できた。彼女たちは、「王女を献身的に介護する侍女」という、「結婚しなくても一生困らない上に、ヨーガレイド家の威を借りて他人を見下せて、他人から配慮や尊敬をされる」美味しいポジションにいたのだ。

 そりゃあ、ロロナ様が元気に歩き回っていない方が、彼女たちにとっても都合がいいだろう。


「献身的なお世話と見せかけた、虐待だったのか。ロロナ様を、わざと出歩けないように……」

「お前がサラディとヘリンの顔を物理的に潰して引きずってきた時、とてもスカッとしたわ。褒めてあげる」


 ロロナ様の妖怪じみたニヤニヤ笑いが、少しだけ悪戯っぽく、晴れやかに見えた。


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