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番外編 麻が夢見るスパンコール・前編 -水渓大

 バーに流れるサックスの気怠いジャズは、いつも同じ曲だ。

 これは「落ち着いた酒場」とタグ付けされた場所、すべてに共通することで、ショーディーの創った迷宮が、基本的にゲームの舞台をなぞっていることに起因している。


(彩香ちゃんが作曲してくれたら、曲目が増えるかしらね)


 しかし、不忍彩香はまだ酒の飲めない年齢であり、バーの雰囲気に合う曲とだけ言われても、ピンとこないだろう。


「あら、マサくんもいた。こんばんは」

「育実ちゃん。ハァイ、お疲れ様」


 控えめなドアベルの音に続いて声をかけてきたのは、七種育実。仕事終わりに、家に帰らず飲みに来たらしい。


 ここは「ひのもと町」駅前区にある、雑居ビルの地階。隠れ家的アイリッシュパブをコンセプトにした酒場であり、駅前区と山の手区の境に住んでいる大と、駅を挟んで下町区の向こうにある研究区に住んでいる育実が顔を合わせるのは、大抵、迷宮案内所か、ここだった。


 年の近い二人だったが、甘い雰囲気など欠片もなく、飲み屋で働いていたという共通経験から、こうして酒場にいるのがなんとなく落ち着いて話せて、時には酒に関するアイディアが飛び出たりするのだった。


「あんまり遅くまでいちゃダメよ~」

「前よりもごはんしっかり食べて、お酒も飲んでいるのに、なんかスッキリ痩せてきたのよねぇ。むくみが無くなったっぽい?」

「アハハハ。前よりも歩いているからじゃない? アンタの家からここまで、けっこうあるでしょ」

「そうかも。逃げ隠れしているってストレスもないし、朝起きて夜寝る生活って、それだけで人体には健康的なんだわ」

「言えてる~」


 大に並んでカンターに座った育実は、美味そうにグラスのビールを飲み、サワークリームが添えられたイモとソーセージにフォークを入れた。


「んで、マサくんはどうしたのよ。黄昏た雰囲気出てるけど」

「そお? まあ、そうかもねぇ」

「どしたん、話聞くわよ?」


 ぷりぷりのソーセージを、いい音を立てて齧った育実に、大は苦笑を漏らしつつ、ハイボールのグラスを揺らした。


「ちょっとね。この前、カペラでショーディーちゃんの伯父さんって人に会って、少し話したんだけど、実家のこと思い出しちゃったの」

「んん! ショーディーくんの伯父さん!?」

「そうなのよぉ! ダンディで素敵なジェントルマンだったわ!」


 育実の食いつきと大の評価に、互いに顔を見合わせて笑う。


「なるほど、なるほど。いい男だったのね」

「ほんとそれ。ショーディーちゃんの、お母さんのお兄さんなんですって。でね……、アタシの伯父さん……父の兄なんだけど、彼のことを思い出しちゃって。アタシの弟のことも伯父に任せていたから、どうなったんだろうって」

「マサくん、弟いたんだ」

「いたのよぅ。それも、アタシと違って、漁師志望の立派な子が。ただねぇ、ちょっと家の中がこじれちゃって……」


 あの頃を思い出すだけで、大は胃が痛くなりそうだった。悪酔いするのが目に見えていても、今夜は飲まずにはいられなかった。


「アタシはこっちに来ちゃって、もうどうにもならないし。恥ずかしいし、面倒くさい話なんだけど、聞いてくれる?」

「いいわよぉ」


 二杯目のビールを受け取って聞く姿勢をスタンバイした育実に、大はいつまでたっても苦い思い出を、スコッチのスモーキーな香りと共に吐き出した。



 水渓大の両親は、典型的な地元愛に溢れる人間だった。

 それは別に、悪くはない。多少ヤンチャと言われようとも、田舎にはよく居る種類の人間だったし、大が見た限りでは、家庭内暴力以外の犯罪はしていなかった。


「なんていうか、頭はよくなかったのよ。視野が狭いって言うのかしら」

「自分たちのルールが一番大事、って感じ?」

「そうそう! 罪には問えなくても、目に見えないところで、まわりに迷惑をかけてきたんじゃないかしら」


 同じような価値観の人間で固まり、その中でのみ通じる常識、上下関係、利害関係がすべてだった。


「でもね、アタシの父は、そういうのに向いてなかったんじゃないかなって、最近思うようになったの。仕方なく、地元に染まった人間でいるしかなかったんじゃないか、って」

「どういうこと?」

「これがね、本当に、どうしようもないんだけど……」


 大はため息をつきながら、きっかけとなった話をした。


「さっき言った、伯父。父の兄の話よ」


 大の伯父は、子供の頃からとても頭がよかったらしい。

 家業を継いで漁師になることにも前向きだったが、学校から大学への進学を勧められて、見事に合格した。

 当時はすでに、大学へ進学する人なんて珍しくはなかったが、地元の出世頭として、両親……つまり、大の祖父母も、鼻が高かったそうだ。


 学業を修めて戻ってきた大の伯父は、漁協に勤めて地域の産業に貢献すると同時に、水産資源の保護に力を入れるよう働きかけた。


「ああ、最近は漁獲量が落ちているって、聞くものね。記録的な不漁だとか」

「そうなの。でもそれって、漁師には受け入れられないのよ」

「なんで? 獲れなくなったら、仕事なくなるじゃない」


 育実の至極もっともな疑問に、大も頷くしかない。


「それは、()()()のこと。いま現在の漁を規制したら、儲からないじゃない。どうやって食っていくのよ」

「……いや、そうかもしれないけどさ」


 あっちを立てればこっちが立たず、そこは公的な援助が入ってしかるべきでは? と育実は両手を天秤のように動かしながら呟く。


「水産資源保護か、高齢化が進む漁師の保護か。限りある公金をどこに入れるのか。理解が得られなければ、地元の漁師から反発されるでしょ?」

「うーん……」


 悩ましい問題だと育実が唸るが、大は憂鬱な続きがあるのだと、一度グラスを傾けて喉を潤した。


「伯父は地元の漁師たちから、猛烈な反発にあってね。その筆頭が、うちの家だったのよ」

「えっ!? 普通は、お兄ちゃんのこと応援しない?」

「……しなかったのよ。兄に比べて不出来な弟を跡取りにして、伯父をボッコボコに追い詰めたらしいわ。父もやっと祖父に目をかけられて、嬉しかったのかしらね。まあ、ちょっと……いえ、だいぶ調子に乗ってたみたいな話は、聞いたわ」

「うっわぁ……」


 非常に痛々しい、触れたくない、とばかりに生温かい眼差しになる育実に、大も恥ずかしくて仕方がないと顔を覆った。


「それで、伯父さんはどうしたの?」

「どうもこうも、地元に見切りをつけて出て行ったわ。その先が傑作なのよ。養殖の会社を立ち上げて、大成功。当然よね。国立大に行って、立派に研究成果を出していて、ツテとかコネとか持ってたんだもの。関係する法律や使える制度も知っているし、資産運用もしていたのかしら。いまはさびれ切った地元の誰よりも裕福でしょうよ」

「戻ってこいって言われても、もう遅い。って奴かしら」

「そ。テンプレざまぁをリアルで見たわ」


 悔しい、妬ましい、羨ましい、そういったものを全部詰め込んで、情けなくいじけた顔を歪ませて実兄の悪口を言う父親を思い出し、大は寂しい笑みを口元に浮かべた。


「私の父は、そもそも漁師になりたかったわけじゃないらしいのよ。音楽やりたいって言ってたそうよ。楽器弾いているところなんて、見たことないけど」

「でも、お兄さんが出世しちゃったから、家を継ぐことになったのね」

「そうね。自分が大黒柱だって張り切っちゃったみたいだけど、儲けは下がる一方だし、出来のいい兄はそれをさらに規制しようとしている……」

「お兄さんに邪魔されているって、思ったのかな」

「そうなんじゃない? 馬鹿よねえ」


 大はつまみのナッツをまとめて噛み砕き、炭酸で流し込んだ。


「それで、今度はアタシたちの代になるわけだけど……。長男のアタシが、漁師やりたくないって言いだしたから、もう怒っちゃって、怒っちゃって……。何回殴られたか、わかんないわよ」

「やだー」


 他業種で独立しようとする大が、大の父にとっては兄に重なったのだろう。


「伯父のことを、傾くのがわかっている家業を自分に押し付けて出ていったんだって、すごい言いがかりを言い出してね。また、アタシの弟が、家を継ぐって言いだしたから、なおさら……」

「弟くんは、どうしてるの?」

「アタシと同じ、地元の水産高校に行ったはずよ。でもその先は、弟次第ね。もし弟がなにか助けを求めていて、その気があれば助けてやってほしいって、伯父に言って、アタシは出てきちゃったから……」


 地元を出奔してからは、大も自分のことで手いっぱいで、家族がどうなったかまでは知らなかった。ただ、探されているのはわかっていたので、役所にも警察にも、自分の情報を渡さないようブロックをかけていた。


「伯父さんもマサくんも弟くんも、誰も悪くないじゃない」

「そうなのよ。だから、どうにもならないの。あの頑固な馬鹿オヤジの頭が、クラゲみたいに柔らかくならない限りはね」

「それ、何も考えないようになるってこと?」

「アレは、いまでも何も考えちゃいないわよ。自分の思い通りにならないものは、みーんな嫌いなだけ」


 空になった三杯目のグラスを見詰めつつ、大は酔いでぼうっとしてきた頭で、最後まで和解できなかった父を哀れんだ。


「馬鹿よねえ。自由に歩いていく両脚があったのに、伯父を妬んで、祖父じいさんの言いなりになったんだから。出涸らしのロクデナシなんて言われ続けて、認めてもらいたかったのかしら。アタシのことだって、死んだと思って、ほっとけば良かったのよ」


 もう終わったこと。

 そう頭ではわかっていても、罵倒と暴力の記憶は、いまだに大の心から抜け消えてはくれなかった。


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