8 領主邸の謎(3)
しばし待たれよ、と言われ、待つこと少々。
イゾルデとユーハルトは館内の応接室に通された。毛織物の街らしくみごとなタペストリーや絨毯が目を楽しませる一室だ。
ソードたちとはエントランスに入った時点で別行動となっている。彼らは着任の報告のために上官の元へ。別れ際、ソードが「(やばくなったら俺の名前出せよ!)」と、こそこそ告げていったのを思い出す。
(さて。希望通り指揮官どのには来ていただけるかしら)
やがて靴音が高らかに響き、背の高い人物が現れた。
機敏な動作、長い前髪を片側に流したオレンジ色のくせ毛。顔立ちは男性らしく整っているが、雰囲気が豪放磊落を絵に書いたような青年騎士、ロドウェル・グランツ子爵だ。
「失礼、お待たせしました。レディ・キーエ。此度はイゾルデ嬢からの推薦人を伴われたと聞きました、が…………ん?」
「……」
「……」
「……えっ、イゾルデ嬢??」
「御名答よ。さすがね、グランツ卿」
「ええええええ!!!!」
「しーーっ! 静かに!」
薄い水色の瞳をいっぱいにひらき、二十代も半ばを過ぎた大の男が驚きの声をあげる。
余人はいないとはいえ、誰かに駆けつけられては面倒だと、駆け寄ったイゾルデはロドウェルの口を両手で塞いだ。
途端にニヤリと笑われた気配に、身をすくませた。手のひらの下だ。
実力行使も致し方なかったとはいえ、予期せぬ唇の動きは生々しく戸惑う。すぐさま外した手はあっという間に捕らえられ、今度はイゾルデが狼狽した。
「ちょ」
「いいですね。普段の騎士姿も、デビュタントの姿もうつくしかったが。こう……いけないことをなさっている風情が堪りません。元の髪色が当然一番として、栗色も悪くない。たいへん可愛らしいですよ」
「グランツ卿っ!」
「ロドウェルと」
「〜〜やめなさい! ロドウェル殿」
あわや、両手首を掴まれてじわじわと顔が接近するのを、寸でのところで焦った声が止めた。珍しく非難の色を露わにしたユーハルトだ。
対して、大の大人であるロドウェルは不審そうに眉をひそめた。「すまん。誰だったかな」
「!?!? 団舎で挨拶したことがあるでしょう! ユーハルト・コナーです」
「ああ、あの、コナー伯爵家の」
体格差をものともせず睨みつける黒髪の少年を、ロドウェルは、さも今気づいたと言わんばかりに見返す。
イゾルデの拘束を解き、上向けた掌を、ぽん、と拳で打った。
「うちの魔法士たちが、こぞって大事に扱う雛だな。かわいそうに、虚弱な」
「――貴方の哀れみを受ける覚えはありませんが。ありがたいことに大体そうです。思い出していただけて幸いだ」
「!? どうしてそこを認めるの。否定しないと」
「事実だよイゾルデ」
「むっ」
そこで、扉をノックする音が聞こえて口論は一時中断した。
ゲルン伯爵家のメイドがお茶を運んできたが、この家の“坊っちゃん”であるロドウェルがさらりと断る。
非常事態ゆえ、もてなしは省略せよとの令息の意に、彼女たちはしずしずと従った。
立ち去る足音を確認したあと、渋面のロドウェルは腕組み、頭を振った。
「まったく。おちおち可愛いひとを口説けやしない。おい、コナー」
「……何でしょう」
じとり、と目を据わらせたユーハルトを、ロドウェルは呆れたように見つめた。
「お前さ、堂々と名前呼びすぎなんだよ。彼女は、苦心してのこの姿なんだってこと、忘れてるんじゃないか?」
「! …………失礼しました」
「わかればいい」
カッ、と踵を鳴らし、ロドウェルは背を向けた。目線でついて来るように促す。口調はもう改まっていた。
「歩きながら説明しましょう、レディ。それにユーハルト殿。イゾルデ嬢の勇気と采配に心より感謝を。正直、我々だけでは、もうお手上げでした」
* * *
三名は、応接間のあった一階から再びエントランスへ。
しかし、外に出るわけではなく、正面階段を上がって二階へと向かう。
通常、二階は家人の部屋や客間、私的な書斎などだ。
もしやゲルン伯爵家の誰かに異変が……? と、表情を曇らせるふたりに、先導のロドウェルは淡々と語り始めた。
「あれは……去年の秋だった。オーカの収穫祭で、なかなかの美人に声をかけられて」
「はい?」
思わずイゾルデが訊き返すと、至極まじめに「あなたほどではない」と言い直され、両者口をつぐむ。
――両者、とはイゾルデとユーハルトだ。
ロドウェルは目を伏せ、痛みを噛みしめるように胸元を押さえた。
「が、口約束をしてしまったんだ。一夜で良ければ恋人になってもいいと」
「最低ですか」
「最後まで聞け、ユーハルト殿。言い出しは彼女だった」
「……で?」
言い淀むわりに、ロドウェルの足は迷いがない。たどり着いた部屋の両脇には警護の騎士が立っており、指揮権を握るロドウェルと、見慣れぬ令嬢と顔見知りの少年に会釈をした。
両開きのドアを開ける。
柔らかな西日が差し始める落ち着いた部屋は家人の誰かの私室か。上等なクリーム色の毛足の長い敷物の上を滑るように歩く。
幾人もの魔法士に囲まれて、ひとがいた。
女性だ。ただし――
「! このかた……ゲルン伯爵家に嫁がれた」
「そう。兄嫁だ」
うつくしい金髪を結わずに垂らしている。
ここ、ゼローナ王国の北方で、嫁いだ女性は髪を結い上げるものと決まっていた。そのこと一つとっても奇異である。
おまけに、慎ましやかで評判だった奥方は豹変していた。寝間着のままでしどけなく椅子に座り、魔法士の面々に挑発するような流し目をくれている。
――と、こちらに気づいた。
ぱあっ、と青い瞳が輝き、魔法士たちを振り払って立ち上がる。止める間もなかった。
「ああっ! 待っていたのよロドウェル、いとしいかた。どうして抱いてくださらないの。約束したというのに」
「「!?!?!!?!?」」
しなだれかかる美女を受けとめ、渋面をさらに苦み走ったものに変えたロドウェルは、かつて何度もそうしたように、乱心の兄嫁に言い含めた。
「ご冗談を、義姉上。いかに私と言えど、倫理に悖ります」
「つまらないことを仰るのね。この体はいや?」
「そういう問題では……………あ、いや、そういう問題なのかな」
「ロドウェル! しっかりしろ、言質を取られる――――む?」
「すまん、オーウェン。彼女たちは『応援』だ。イゾルデ嬢からの」
「なるほど」
一を見て十を悟ったらしい、眼鏡の魔法士が何かを飲み下すように頷く。
ユーハルトは女性を凝視し、イゾルデは説明を求めてロドウェルを仰ぎ見た。「あの……?」
憔悴すら漂わせるロドウェルは、兄嫁との密着を避けるべく、その肩に手を添えながら呻いた。
「見てのとおりです、キーエ嬢。どうやら、あの夜の女性は人間じゃなかったらしい」