6 領主邸の謎(1)
ゲルン伯爵領は広大なゼローナ北方地帯でもとりわけ豊かな牧草地帯を有する。北都アクアジェイルの西方、馬車でおよそ二時間の平野部にある。
伯爵邸のあるオーカは都に近すぎるため宿場町としての旨味はないが、特産の羊毛を使った織物産業やなだらかな地形を生かした小麦栽培で安定した税収を得ている。緩く弧を描く塀に囲われた、穏やかな街だ。
当初、よほどものものしく封鎖されているに違いないとふんだイゾルデたちは虚を突かれた。
たしかに周辺街道の巡回部隊はいくらか増員されていたが、門兵の対応は物柔らかで、とくに規制を呼びかける様子はない。
ただ、さすがに大きめの馬車は止められた。手綱を握る御者がこれに対応する。
「乗り合いか? 乗客が少ないようだが」
「いやぁ、お客さんが貴族の使いのかたでね。今年の新作タペストリーの買い付けだそうですよ」
「ふむ……。じゃあ、行くのは市と工房だけにしておけよ」
「? なんでです」
御者のもっともな質問に、巻き上げた幌の窓から見えるイゾルデとユーハルトに視線を流した門兵は、ぼそぼそと声をひそめた。
「――他言無用にな。伯爵様のお屋敷一帯は、いま、ちょっと入れない。車内の坊っちゃんと嬢ちゃんが貴族絡みなら注意が必要だ。頼むぞ、それとなくな」
「はぁ」
もちろん、御者は余すことなくそれらをイゾルデに伝えた。
* * *
「どう思う?」
「どうって。門兵が言ったこと?」
「ええ」
こくり、とイゾルデは頷く。
ふたりは一応、言いつけどおりに市の手前で降車した。
あのまま強引に伯爵邸に乗りつけたとしても、門前払いとなる確率は高いとふんだからだ。
秋空の昼下がり、市には色とりどりの日除け布を連ねた露店が建ち並んでいる。
イゾルデは体力のないユーハルトを気遣い、ひとまず軽食がてらの休憩を提案した。日差しそのものが苦手なユーハルトのため、適度な木漏れ日のさすベンチを確保する。
賑やかな市の通行人らを眺めつつ、公爵家の厨房で用意してもらった茸のキッシュを分ける。行儀よく完食したふたりは、これまた持たされた水筒の紅茶を含んでいる。
飲み終えたユーハルトは思案げに口をひらいた。
「異変は街ではなく、ゲルン伯爵邸で起きたんだね。そして、それは広がっていない」
「そう……騎士が駆り出されてる理由も謎なんだけど。歩ける? ユーハルト。行けるところまで行ってみましょう」
「うん」
「あっ、おい! そこの。まさかユーハルトと………イゾルデか?」
「「!!!」」
突然、広場ではなく後ろの通りから声をかけられた。面食らったふたりは同時に振り向く。
そこには騎士服のソード・ランドールが佇んでおり、大路の反対側には馬を預かる彼の同僚たちが見えた。
どうやら外出そのものが珍しい知人に気付き、確認のためにわざわざ駆けつけてくれたらしい。
イゾルデは、そんなにすぐバレる変装だったか……と、驚きながらも呆気にとられる。
「ソード? よくわかったわね。仕事中?」
「え? あぁ。これからオーカ領主邸の警護だ。でも、姫たちは何を」
「素晴らしくいいタイミングだわ。ねぇ、折り入って頼みがあるんだけど」
「…………何だろう。もの凄くいやな予感がする」
「貴方のそういう察しのいいところ、とてもいいと思うわ。騎士ソード」
にっこりと笑ったイゾルデは水筒を元通り鞄に戻し、立ち上がってさり気なくスカートの皺を直した。
「一緒に連れて行って。館の異変に、私たち――彼なら尽力できるわ。不可解な魔法現象なのでしょう? お願い」
「イ、イゾルデ」
ブラウンヘアの侍女に扮したイゾルデと、何か苦いものを口に突っ込まれたようなソード。
間に挟まれ、おたおたと狼狽えたユーハルトは思わず幼なじみを呼んだ。
なお、イゾルデは取り合わない。
ソードはしばらく両者を眺め、やがて諦めたようにため息をついた。
「しょうっっがねえなあ…………じゃあ、姫。貴女は俺と相乗りしてもらう。ユーハルトは仲間の後ろな。異論は認めねえぞ」