5 秘密の外出
「えっ、どちら様!? どうして僕を……あっ、わあぁ!!!」
「いいから来て!」
――バタンッ。
「出してちょうだい。手筈どおりに」
「はっ。お嬢様」
イゾルデは何事もなかったように扉を閉め、きりりと御者に出発を促した。
* * *
翌日。イゾルデは騎士見習いを一日休むことにした。
どころか、侍女を買収してお忍び下級貴族令嬢のような衣装一揃いとブラウンヘアの鬘を用意させた。昼前には完全“女装”の完了だ。
向かったのは当然コナー伯爵家。
伯爵領ではなく、公都にある小ぢんまりとした別邸のほう。
今の時期、かの邸にいるのはユーハルトだけ。伯爵夫妻はいない。住み込みで管理をしている老夫妻はいるが、警備は手薄。いけると判断した。
加えて、魔法士見習いの講義に特例で有志参加しているユーハルトは、高確率で講義の次の日に寝坊をする。昼ごろ回復して動き出すと熟知しての行動だった。
馬車を降り、手ずからドアベルを鳴らし、『イゾルデ様の使いですわ。ご子息をお迎えに参りました』と述べればコナー邸の使用人に否やはない。
対応に出た若いメイドは、ジェイド公爵家の馬車が通りに付けてあるのを見て、すぐさまユーハルトを呼びに行った。
それを白昼堂々連れ出し、車内に押し込んだ形になる。
その間、驚いて固まっていたメイドには御者からきちんと説明させた。管理人夫妻にも納得してもらえるよう、『イゾルデ・ジェイド』からの直筆招待状付きだ。
こうして現在。
ふたりは公都を出る際、あらかじめ用意してあった貸し切り辻馬車へと乗り換え、ポクポクと長閑な北都郊外を進んでいる。
広い座面で隣り合って座ったユーハルトは、見慣れぬ令嬢姿となった幼馴染を複雑な表情で見つめていた。
「――イゾルデ、もう一度聞くね。どうしてわざわざ僕を?」
「何度でも言うわね、ユーハルト。貴方の、世間一般での過小評価を変えたいの」
「過小……? いいや、妥当でしょ。僕はものの数に入らない」
相変わらず闘争心の欠片もないユーハルトに、イゾルデは、むっとする。
「本当に? 私は、そうは思わない。貴方ならできることが山ほどあるわ。第一、貴方は気にならないっていうの? オーカのこと」
「まぁ…………、気にならないことはないけど」
「でしょう!? だって、どう考えても魔法がらみだもの。騎士の動員数から察するに、街はほぼ封鎖されてるわ。でも、積極的に表沙汰にされていない。オーカから、少なくとも公都に入った人間までは捕まえてないもの。疫病や犯罪ではないってことよ」
「よく調べたねえ」
「私を誰だと思っているの」
「そうでした」
クスクスと笑うユーハルトに毒気を抜かれながら、イゾルデはほんのりと頬を染めた。
――――やっぱり。彼の、こういう春風のようなおだやかさは得難い資質だと思う。
事件のことも、裏を押さえた自分とは違う方向から察していたのだろう。
魔法はからきし出来ない自分では察せられないもの。たとえば……。
「そうだ、妖精がね」
「え??」
今まさに切り出そうとしたイゾルデに先んじて、ユーハルトは秘密を打ち明けるように呟いた。手のひらを上向け、くるりと返す。
すると、一瞬だけ弱い光が生じたが、湿気た花火のように中途半端に消えてしまった。「だめかぁ」
「どうしたの?」
「僕と特に相性のいい妖精を招こうとしたんだけど。昨日から全然来ないんだ。よっぽど忙しいか、来たくないのか」
「…………すごく気分屋なのね?」
「そうそう」
とっさの冗談を軽い一言で肯定され、イゾルデは面食らった。
曰く、召喚の不発とオーカの出来事はタイミングが重なるため、彼が懇意とする妖精――つまり氷のそれとは相反する魔法現象が起きているのでは、と。
「確証はないけどね」
「いえ。じゅうぶん……手助けになるわ」
「そう?」
「もちろんよ!」
「!! うわっ」
勢い余って彼のほうへと身を乗り出し、両手で手を握ると赤面された。耳まで赤い。とてもめずらしいことだ。
怪訝に思ってじっと見つめていると、ユーハルトはひどくばつが悪そうに視線を泳がせた。
「あの……いま、きみ。その、女の子の格好だから」
「あぁ…………なるほど? ごめん。男装だと変装にならない気がして。かえって良くなかったわね」
スン、と身を引けば、絶妙に残念なものを見る顔つきでこちらを凝視している。
「何?」
「いや、何でも」
心なしまだ目元を赤くしたユーハルトが窓の外へと視線を移す。
車窓からは昼過ぎのあかるい光。この辺りは牧草地が多い。あちこちで羊の群れが草を食んでいる。
なだらかな緑の稜線の向こうに、とりたてて変わった様子のないオーカの街が見えた。