宴を。言祝ぎを!(3)
やれやれと振り向く青年騎士たちに声をかけようとしたユーハルトの肩を、トントンと叩く者がいる。同じく黒い騎士服のソードだ。
ユーハルトは、さらに目を丸くした。
「ソードまで!? なぜ」
「ん? 俺は仕事だって言ったろ」
「いや、そうだけど……。じゃ、先生たちは?」
「私たちは――あぁ、ここでは悪目立ちしますね。移動しましょう」
肩をすくめ、にこりと笑ったオーウェンは人差し指を口に当てた。
* * *
「まあ、総意だな。『イゾルデ嬢と結婚できたかもしれない男同盟』の」
「ロドウェル……もっとましな言い方があるだろう?」
じとり、と眼鏡の奥の理知的な瞳が細められる。
オーウェンの辛辣な物言いを、気心知れた仲であるロドウェルはバッサリと切り捨てた。「ないな。一番わかりやすい」
ぐっ、と言葉に詰まるオーウェン。
ソードは軽い調子で「まじっすか。傷つくな〜」と、流していた。
その三様を正面から眺める。
いたたまれない顔つきのユーハルトに、イゾルデはコナー伯爵を見倣って肘鉄をかますことにした。
――もちろん、やんわりと。
五名は揃って特設サロンへと赴いた。
いくつものソファーや長椅子、テーブルを並べたスペースは、最初は間仕切りで隠しておいた。大階段の脇にあり、複数ある出入り口のひとつに近い。楽団席と反対側にあるため、会話にも支障を来たさなかった。その一角に腰をおろす。
例年、宴に関しては慣例を踏襲するだけだったハワードのやり方を、イゾルデはあえて棄却した。その一例だった。
世の中、体力のある人間だけではない。とくに年始の宴には十歳未満の子どもから老人まで訪れる。
彼らは乾杯までを過ごせば帰路につき始める傾向にあったが、せめてもう少し休める場所があってもいいだろう、と。
ゲストルームの内装や設備。メニューの一つ一つにも目を通した五日間は激務だったが、公邸に滞在していたロドウェルの高い実務能力によって負担は和らいでいた。だからこそ着手できたことも多い。
三日目の夜。
食堂から出て部屋に戻るまでの道すがら。
オレンジ髪の副参謀殿に謝意を伝えたところ、「では、俺を夫にしますか?」と尋ねられ、「しません」と即答した。たしか、壁際に迫られて片腕で進路を防がれていたと思う。それを(らしくないな)と、微笑みながら。
ロドウェルも、ばつが悪そうに頭を掻いていた。しまった、と、ぼやいていたから、彼にしても大誤算だったのだろう。
そのことを、細部をぼかしてユーハルトに説明している。本当に見た目にそぐわない。律儀なひとだ。
「だからな。俺たちは、べつにお前に負けたわけじゃない。役割があったとすれば、活かしどころが違うだろうと。俺は、俺なりに北の地を愛しているし、ここを守りたいと思っている。彼女にはあんまり伝わらなかったようだが。俺にとっては同義だ。この先、俺たちは、立場と役職の範囲内で彼女に必要なだけの手助けをする。わかったか?」
「……はい」
神妙に首肯したユーハルトに。
真剣なまなざしの彼らに。
イゾルデもまた胸が熱くなった。手を組み、座ったままの姿勢で頭を下げる。
「ありがとう、ロドウェル殿。私が爵位を継いだ暁には、ありったけの感謝を示します」
「――フハッ! こき使うという意味でしょう?」
「卿は本当に言葉がお悪い」
「!? またか……。くっ、イゾルデ嬢! いい加減に尊称を取ってくれても」
「おいおいで」
「イゾルデ嬢〜」
どうやら、そんなロドウェルから話を持ちかけられていたのだろう。オーウェンは何とも言えない顔でこれらを見守り。
ソードに至っては、カラカラと笑い飛ばしていた。
そこで、ちらほらと先ほどの貴族たちがこちらを伺うのが見えた。
イゾルデは、潮時かな、と背を正す。
最後にこれだけは、と、大切な面々を見渡した。
「では早速。じつは、このあと早々に切り上げて、やりたいことがあるのですが」
――――――――
簡潔な。
じつにわかりやすく、もっともな姫の提案に、一も二もなく騎士たちは頷いた。
「いいでしょう。それぞれの隊長には話を通しておきます」
「ありがとうございます。オーウェン先生」
「じゃあ、俺はミズホ嬢をこちらに。捌くのが速くなりますよ」
「いたみいります、ロドウェル殿」
言うが早いか、ふたりはもう席を立っていた。
見送った幼馴染組は、顔を見合わせて相好を崩す。
――まるで、これから大がかりな悪戯を仕掛ける気分だ。
ソードは遠慮なくユーハルトの首と肩に腕をかけた。
「よし、ユーハルト! 家まで送ってやる。夜明けには迎えに行くからな。ちゃんと寝ろよ」
「了解。イゾルデ?」
「なに?」
立ち上がったユーハルトは、はにかむように微笑んだ。中腰になり、真珠と宝石で飾られたイゾルデの耳もとにぴたりと口を寄せて囁く。
「くれぐれも無理はしないで。僕もがんばるよ」
「…………っ、ありがと」
ボッ! と、たちまち淑女の仮面が剥がれて素の顔が赤らむ。
確定婚約者の首根っこを掴んだソードが手を振りながら去るのを、イゾルデは扇を取り出して口元を隠しながら、そっと見つめた。入れ違いにミズホが意気揚々と近づいてくる。
イゾルデは気を引き締め、きらりと夜色の瞳を煌めかせた。
ぱちん、と扇を閉じる。
「さて。片付けますか」
新年二日目の朝。
北公将軍ハワードは時期的に早い積雪と、なかなか根絶まではいかない土属性の魔獣に手を焼いていた。
救援要請をしなかったのは、宴を心待ちにしている貴族や騎士たちが多いからだ。
ただ、たまたま供をしたために苦労をかけた部下たちには、あらためて手当てを弾まなければ……と眉をひそめる。
そんな矢先、でこぼこの悪路の向こうから雪煙を散らし、複数の騎影が見えた。北公領からだ。
「何だ、あれは……ぬぬッ!?!?」
ハワードは思わず唸った。つられた部下たちも手を止め、驚いたように目をみはる。
地中に隠れていた土蛇がどんどん地表に追いやられていた。
追い討ちをかけるように降り来る雪が氷柱と化し、頭部を的確に貫いてゆく。魔力の遠隔操作だとすれば相当の精度だった。
次いで、複数詠唱の賜物らしき地盤の隆起。ひび割れた石畳も全部粉々になったが、そんなものはまた敷き直せばいい。
結果、地面はなだらかな小山となり、均された。その鮮やかさにやんやの喝采と拍手が湧く。自陣からだった。
ハワードは呟いた。
「誰…………だ。まさか?」
馬が四騎近づいて来る。
止んだ雪雲の隙間から覗いた朝日を浴びて輝く若騎士たちだ。うち、ひとりは魔法士で。
先頭を駆けてきた魔法騎士マジェス・オーウェンが馬上で一礼する。
「馳せ参じました。閣下」
そのうしろから、するりとフードをおろした少女が晴れやかな笑顔を見せた。
先だった甥夫婦の忘れ形見だった。
娘のような。
孫のような。
が、いまや完全に優秀な指揮官であり、自分たちを助ける傍ら、たったひとりの青年魔法士を見せるために来たのが明白だった。
まるで、もとから一対だったように。
ハワードは渋面で尋ねた。
「決めたのか? イゾルデ」
「ええ閣下。わたくし、イゾルデ・ジェイドは閣下が示してくださった候補の方々から、彼を選びます。ユーハルト・コナーを」
「お認めくださるでしょうか。閣下」
その、涼やかな光まとう若者に。
「――もちろんだ。言祝ぐとも」
諸手を挙げて潔く、老将軍は白旗をあげた。
* * *
のちに稀代の女将軍となったイゾルデ・ジェイド。
その夫となった魔法士はユーハルト。
彼の名は、抜きん出た精鋭からなる側近を従えて辣腕をふるう彼女が、唯一春のほほえみを向ける相手として、永く吟遊詩人に歌い継がれたという。
とことわに。
しあわせに!
fin.




