宴を。言祝ぎを!(2)
「――では、皆の健康と安寧を祈って。あらたな一年に乾杯」
「「「乾杯!!!」」」
零時を知らせる鐘の音が鳴り止むまでの黙祷。
そこから、全員にワイングラスが行き届いているのをざっと確認しての音頭。居並ぶ招待客による復唱。
わっ! とほころぶ笑顔や歓声、響き始める管弦の調べに本格的な宴の始まりを知る。
(よかった。やりきった……)
公爵家当主名代としてぶじに挨拶を終えたことに、朝から全身これでもかと侍女たちに磨き上げられたイゾルデは、ホッと息をついた。
五日間、非常に、目まぐるしい忙しさだった。
深夜から始まる舞踏会の前に、夕刻からは客人の受け付けともてなし。彼らの食事や休憩できる場所は事前に手配しなければならないし、乾杯用のグラスワインひとつとっても神経の要る仕事なのだ。主に厨房は大増員の戦場だったと聞く。
これまで漠然と(大変そうだ)と感じていた裏方の実態は驚きの連続で、つぶさには見られずとも、遠慮なく報告や相談に来てほしいと伝達したところ、凄まじいまでの情報量だった。五日間も剣の稽古ができないなど、物心ついてからは初めてのことだった。
「お疲れ様でした、イゾルデ嬢。ですが『まだ』です。主催者がファーストダンスを披露しないと誰も踊れませんよ?」
「そうでしたね。ごめんなさい、コナー卿……」
ちら、と階下の人びとのなかに見知った面々を見つける。
比較的声をかけやすい階段の脇に目当ての人物をみとめ、イゾルデは華やかに微笑んだ。
「マーフィおじ様。エスコートしてくださいますか? よろしければ、あなたの本来のパートナーがお待ちのところまで」
“彼”が黒い髪に黒い瞳なのは、このひと譲りなのだろう。おだやかな笑みを浮かべた紳士は、宝物のようにイゾルデの手をおし戴いた。
「光栄です」
* * *
最初、イゾルデのダンスの相手は業務上彼女の補佐として抜擢されたコナー伯爵なのだとばかり思われていた。
が、違っていた。ユーハルトはぽかんと口を開ける。
周囲もそうだ。ゆるやかなワルツの導入部分が聞こえなくなるほどざわめいている。
コツ、とヒールを鳴らし、まるで銀砂のマントを身に着けた王女のごとく佇むイゾルデをぼんやりと見つめる。
ほうけた顔の一人息子に、コナー伯爵はすれ違いざま、さりげなく肘鉄をした。
にっ、と笑い、(女性を待たせるもんじゃない)と低く助言して、自身は妻の元へ。
つまり――
さしものユーハルトも『そう』と理解した。彼女は、そういうひとだ。
微苦笑を湛えてから一歩踏み出す。
捧げるのはつとめて優雅な一礼。
片手を差し出し、はっきりとダンスを乞う。
「踊っていただけますか? イゾルデ嬢」
「喜んで。ユーハルト様」
「「「「――!!!!」」」」
息を呑む令息がたや紳士が多数だったようだ。
構わずにユーハルトはイゾルデを連れてホール中央へと進み出る。
舞踏曲は、それを合図に始まった。
ほぼ四日間の特訓で、ユーハルトは危うげなく一曲を踊りきれるようになっていた。
事前に頼み込んだ通り、楽団はゆったりしたテンポの短いワルツを奏でてくれている。
ふわりと風をはらむイゾルデのドレスや肩布に目を細め、ユーハルトはこっそり囁いた。
「やってくれたねイゾルデ」
「何のこと?」
「全部だよ。まさか父母まで……でも、大丈夫? このあとはたくさんの貴族から会話攻めに遭うでしょう。下手したら、その……何度もダンスに誘われたり」
「あら」
歯切れの悪い内定婚約者どのに、イゾルデは満面の笑顔になった。「妬いてくれるの?」
「〜〜心ッ配、なんだよ! ……っと」
思わず声が大きくなったユーハルトは、ほんのり頬を赤くして立ち止まり、片手を繋いだままでイゾルデを回転させたり、わずかに離れてからまた引き戻したりした。
曲の終わりだ。
最後に互いに礼をして終了。
ホールには拍手が満ちて、第二陣のペアたちに場を譲った若いふたりには、怒濤のごとく古狸(※比喩)や囀り夫人(※比喩)らが押し寄せる。
ほら来た……! と、踊り終えた安堵と疲労感で息が乱れそうになっていたユーハルトは、それでもイゾルデの盾となるべく彼女よりも前に出る。
重量感では負けそうな迫力の人垣に、しかし、ユーハルトは消耗されることはなかった。左右から颯爽と――いまや、とてつもなく頼りになる――青年ふたりが現れたからだ。
経験豊富で話術も巧みな青年たちは、北公領騎士団の黒の正装をまとっていた。色鮮やかなドレスや貴族服の坩堝にあって、それはとても手堅く映る。まさに双璧。
「ごきげんよう、ソワレ夫人。新年も変わらず麗しいですね」
「お久しぶりです、グレアルド侯爵。イゾルデ嬢は申し訳ありませんが、まだ成人前。急な公務でしたので、少々お時間を」
「……ロドウェル殿。オーウェン先生」
「ありがとう、ふたりとも。――失礼、ソワレ夫人。グレアルド卿。今年は特別にサロンを用意してあります。ご挨拶はそちらでお伺いしても?」
「は、はい」
息をするようにご婦人を褒めるロドウェルに、生家の家格が壮年男性と同じ侯爵家のオーウェンは、最初のふたり以外の貴族にもあとで時間を設ける旨を告げ、散らしてくれた。




