3 魔法騎士オーウェンとユーハルト(後)
「――そう。そんなに嫌だったの? お見合い」
「そうよ」
淡々とデビュタントの経緯を語り終えたイゾルデに、ユーハルトはやはり素直に頷いた。気のせいでなければ見守り体勢のオーウェンの笑みが深い。
やがて他の騎士見習いや魔法士見習いたちも入室して、講義室はたちまち雑多な雰囲気となった。
「じゃ、続きはあとで。コナー君? よかったら書庫に寄るといい。王都から新しい魔法体系書を仕入れたんだ」
「いいんですか? ありがとうございます!」
「どういたしまして」
にっこりと笑いかけたオーウェンは再び片目を瞑り、イゾルデに意味ありげな視線を投げかける。
――……たぶんこの教師にも、イゾルデの想いはすっかりばれている。
「イゾルデ嬢。貴女も、興味があればどうぞ」
* * *
講義のあとは、さいわい騎士見習いも魔法士見習いも自由散会となった。指導担当官が揃って何かの任務に駆り出されたらしい。
騎士団の上層部のみ会議室へ招集されるなど、にわかに団舎の空気は浮足立つ。
そんななか、イゾルデとユーハルトは敷地内に建つ、書庫専用棟へとやって来た。
「――先生はいいのですか? 呼ばれているのでは」
「私は大丈夫。誰かは残らなければならないからね。留守居は当番制なんだ」
「なるほど」
いつもよりひと気のない教官室で茶まで振る舞ってもらい、ひとときの歓談。
やや恐縮しながらもユーハルトは魔法書を受け取り、嬉々と瞳を輝かせていた。真新しい頁が傷まないよう、丁寧にゆっくりとめくっている。
イゾルデ自身の魔力は微々たるものなので、実戦は魔法士に任せきりとなる。
また、将来的には騎士団そのものを率いることを考え、魔法戦術の展開論を、とオーウェンに頼む。
「いいですよ」
たしかこちらです、と案内された書棚は、閲覧スペースよりも奥まった位置の小部屋にあった。
ポケットから出したカギで扉を開け、立ち入ると古書特有の匂い。
そこまで古いものは求めていなかったのだが――
真意を計りかねて首を傾げると、比較的新しい背表紙の書を数冊選び、オーウェンが戻る。
それなりに重いので運びましょう、と申し出られ、頷くと、おもむろに出入り口に片腕で通せんぼをされた。
「先生?」
「ちょっと、私からもお話が。いいですか?」
「? ……はい」
腕をおろしたオーウェンは真顔になり、イゾルデの正面に立つ。そうして、ふっと瞳を和らげた。
「コナー君ではありませんが。本当に思い切られましたね。綺麗な髪なのに……切ることは、最初から決めておられた?」
「ええ。もし、閣下が牝馬の品評会よろしく私を売りに出すおつもりなら、時期尚早だとわかりやすく訴える必要がありましたから」
「困ったかただ」
「閣下ほどでは……あの、オーウェン先生?」
「何でしょう」
「近いです。距離が」
「おや、失礼」
イゾルデの目の高さはオーウェンの胸ほど。
長身の部類に入る魔法騎士との至近距離は、片腕に本の束を抱えた状態でもけっこうな圧となる。
おまけに、とても自然な仕草で切ったばかりの髪に触れられた。
――――そこまで見苦しかっただろうか?
まじめに考え込んでいると、フハッ、と眼鏡の青年が吹き出す。
「なるほど。困ったかたですね。貴女も、閣下も」
「オーウェン先生?」
眼鏡の奥の瞳にいたずらな光が宿る。手を髪から離したオーウェンは、くすくすと笑い出した。
「閣下から正式な打診がありました。私も、貴女の婚約者候補です」
「!!!! えっ!?」
またか、という思いと、さらに相手が教師でもある彼かという気まずさと衝撃に、イゾルデは遠慮なくのけぞった。羞恥で頬が熱くなる。
その様子に、オーウェンは再び相好を崩した。
「おまけに正直なかただ。私はソードと同じ、論外なわけですね」
「う……すみません。世慣れておらず」
「構いませんよ。それも、今の貴女の美点です。さ、どうぞ」
「ありがとうございます」
何事もなかったように扉を潜り、イゾルデも退室させて施錠する。
その間、イゾルデは少なからず動揺していた。
(ど、どういう基準……? いくらなんでも予想の斜め上すぎる。体が丈夫で当たり障りのないご子息なら他にいくらでもいるでしょうに)
書庫から戻ると、集中して文字を追っていたらしいユーハルトが顔を上げた。
「おかえり、イゾルデ。先生」
「た、ただいま。ユーハルト」
どぎまぎと答えつつ、手の甲で頬を押さえる。まだ少し熱っぽい。
それに、ユーハルトは怪訝そうに首をひねった。
「どうかした? 暑かった?」
「え、いや……その」
まずい。
彼の、まっすぐな黒い瞳を直視しづらい。
いつになく気まずげなイゾルデに、おとな然としたオーウェンは、からからと笑ってみせた。
「まあ、今のうちに言っておいたほうがいいですよね。あのね、コナー君。イゾルデ嬢の婚約は先延ばしになったけど、候補者には打診があったんだ。私と騎士のソード、それにもう一人」
「え」
ぽかん、と口を開けたユーハルトが束の間、表情をなくす。
もう一人とは誰なのか。
イゾルデもそのことを追及すべく、隣に立つオーウェンに向き直った。
――――すると、突然外が騒がしくなった。
む、と眉をひそめたオーウェンが本を机の上に置き、きびきびと通路への扉まで向かう。
ちょうど来たばかりらしい彼の同僚教官は、慌てて口上を述べた。
「すまないオーウェン。留守を代わる。現場に……オーカの街に、すぐ行ってくれ。専門職の検分が要る。手が足りんのだ!」