38 光のダンスを
宴といえばダンス。ダンスといえばワルツ。
コナー伯爵の北都邸には規模は小さいものの、きちんとしたサロン――数組での舞踏も可能な部屋がある。それは応接室の隣の間。
やや高い天井にはシャンデリア。壁にはアーチ型に装飾されたいくつもの鏡が配され、凝ったデザインの魔法燭台が間を埋める。じっさいの造りより広く感じるのが特徴的だった。
そこで、まずは無伴奏。互いに一歩ずつ踏み出せばホールドできてしまう位置に立ち止まり、礼をしてから向かい合う。
「よろしくお願いします」
「……お手柔らかに」
昨日から明けて一日。レッスンは早速始まった。
示し合わせたように(※普通ならあり得ないのだが)ふたりっきりで、付き添いの侍女も従者もいない。単身で訪れているのはいつものこと。
違いは男装ではなく、練習用のドレスを着ていること。髪は簡単にサイドを編み込んで纒めてもらっている。
ヒールのある靴を履くと、目を逸らしがちなユーハルトの顔が近い。そんなことも新鮮で、まじまじと見つめてしまった。
――同じ黒でも、彼の瞳はうっすらグレーブラウン寄り。黒目がちでまつ毛も長いし、白目の部分が澄んでいてとても綺麗だ。積もりたての雪原のような静謐さを感じる。
彼のなかの妖精たちは、彼の魔力の質を気に入ったのだろうけど。きっと、外見も加味されていると思う。
頷き、神妙なまなざしになったイゾルデは、真面目な顔のままで足元が見えやすいよう、ちらり、とドレスの裾をつまんだ。
「!」
「じゃあ基本の型。男性のステップを踏むわね。よく見てて」
「……うん」
レッスンの前に話してみると、ユーハルトは、ダンスを習った記憶が相当薄れているようだと告白してくれた。
そのことがよほど不覚で恥ずかしかったのだろう。耳を赤くしつつもこちらの爪先をしっかり凝視する姿に、イゾルデはこっそり安堵した。
* * *
「すごい。ちゃんと組めるのね、ユーハルト」
「先生の腕がいいんじゃないかな……というか、イゾルデ? どうして男性のステップもリードもできるのさ!?」
「どうしてかしらねぇ」
さすがと言うべきか、ひと通りのステップをおさらいすると、ユーハルトは難なく単身で足を動かせるようになっていた。
よって、次の段階へ。
しかし、リードまでは難しかったらしく。「やってみましょう」の提案ひとつで男女を逆転させてみた。意外に付いてくるユーハルトの器用さが面白い。テンポを遅めにしているので、足さばきにドレスが邪魔になることもなかった。
クスクスと笑い、わざと彼の腰に添えていた手を離す。
「わっ」
「はい、そこでターン」
「イゾルデ……っ、もう、きみってひとは!」
「!? きゃ……!?!!?」
憤慨した美少年顔が、くるりと一回転をさせられたあとで急に迫る。
――しまった。口実は何であれ、一緒にいられることに、つい浮かれていた。
(遊びすぎたかな)と、顎を引き、目をぎゅっと閉じて身構えたが、続く叱責どころか降りかかる言葉もなく。
おそるおそる目をひらく。
こちらの両手首をふわりと掴み、ゆるゆると抱きしめる彼の肩がすぐ目の前にあった。
「………………ユ、ハルト」
「どうして、いつも通りなんだよ……。僕はっ、きみにあんな顔させたのに」
「あんな顔?」
「砦で」
「ああ……うん。そうね、覚えてないけど。きっと、ひどい顔だったのね」
「…………」
イゾルデは、くすり、と笑った。
答えがないのは『是』の証。
それはそれで失礼だな……と思うも、気がつけば肩の後ろと背中に手を回されている。布越しに触れる手のひらと首筋があたたかい。抱擁されている。
――――だめ。
抱きしめ返すことは、まだできないけれど。
抗いがたく、引き寄せられるように額を預けた。
「!」
ぴく、と、頬を寄せた肩が戸惑うように震える。
――――それでも。
ユーハルトの等身大のぬくもりが、イゾルデは好きだった。
何があっても、ここに居場所があればいい。
世界でいちばん安心できるひと。
泣くことも、笑うことすらも忘れていた。あのころ、唯一の安らぎを与えてくれたひとだから。
そのくせ肝心のことは話してくれない。沈黙のユーハルトに、ふっと意地悪な気持ちが湧く。
イゾルデはため息をついた。
「ねえ、あなた。いま、どんな顔してるかわかってる?」
「……」
「あのときの私よりひどいわよ」
「……かもしれない……」
「事実そうなの。ほら、鏡に映ってない? 顔を上げてみなさいよ」
「やめて。もう、本当にどうしたらいいかわからないんだ……! きみが」
「私が?」
しん、と静まりかえるサロンの中央で、まるで世界にふたりっきりになったような錯覚をおぼえる。
抱擁はまだ解かれない。
どころか、編み込んだ髪がほどけるのにも構わず指を差し入れられた。
しゅるり、と、伸ばしかけの髪をまとめていた白いリボンが落ちる。ユーハルトの指に、それはかろうじて絡め取られた。
「……だれかの……手で。ずっと、ずっと、僕の手の届かないくらい幸せになってくれたらって、ずっと思ってた」
「…………うん」
「本心で」
「うん」
そうか、だから――と、すとんと腑に落ちる。胸がぎゅうっと締め付けられた。
訊きたいことも言いたいこともたくさんあるのに、ちっとも声にならない。
言葉が、渦巻く胸の痛みでかき消されるのだ。
(なるほど……たしかに。これは、なかなか言葉にできない代物ね)
ほろ苦く笑み、観念したイゾルデは抱きしめられたまま頭を振る。
敏感にそれを察して離れようとする彼を、今度はこちらから捕まえた。
――――どんな隙間も埋めてしまえばいい。時間の許す限り、ぴたりと寄り添って。
「ばかね、ユーハルト。それ、『本心』って言わないわ」
「え?」
「考えてみて。私が、いま、あなたにしているみたいに誰かに……って。想像できる?」
「したくない」
「何それ」
あまりの即答に、思わず吹き出す。
すると、目が合った。とても、とても至近距離で。
願いを込めて、イゾルデは見つめた。
どちらからともなくまぶたを閉じたし、直前になって怖くなり、やや縮こまったのはイゾルデだと思う。
それでも。
気づいたときにはキスしていた。
触れるだけの訪いが音もなく離れたとき、限界まで頬を染めたユーハルトが、ようやく告げた。
――――きみが。
きみだけが好きです、と。
気のせいではない、周りじゅうに煌めく光の華が浮かんでは融けて。
それが、いつしか彼が話してくれた氷の妖精の悪戯なのだと何度目かの口づけで思い至り、ふたり同時に照れ笑いをする。
部屋のなか。
鏡と魔法灯火の明かりに負けないくらいにキラキラと走る光る華は、ちいさな祝福の花火のようだった。




