37 廻り道の大詰めで
(すごく……久しぶりな気がする)
緊張がないわけじゃない。けれど、思ったよりも体調は良さそうだし、ソードが一緒にいてくれたのは安心した。
反面、ふつふつと滾る何か。
いわゆる惚れたほうが負け、とは、このことだろうか? ミズホの言葉を信じるならば、ユーハルトは絶対に間違っている。それは正したい。
ただ、彼がとても頑固なことは知っている。おそろしく周囲を気遣う気持ちも。彼が置かれた特殊な状況――身の裡に抱えた妖精たちの扱いの難しさも。
――――それでも。
(待っていなさい、ユーハルト)
静かに沸点を越えた「決意」はデビュタントで髪を切り落としたときのように、しゃなりとイゾルデに筋金入りの淑女の表情をまとわせた。
* * *
「来たね、ふたりとも。ソード君。いつもありがとう」
「は、はい」
「こちらこそ、ご子息のご厚意に甘えて押しかけの身でして。このような形で申し訳ありません。お招きをありがとうございます」
ユーハルトは一礼し、ソードは潔くドレスコードの不備を詫びた。
伯爵は人好きにする表情でゆったりと頷く。
「構わないよ。きみは身内みたいなものだし。ご家族は元気かな?」
「はい。おかげさまで」
「まあ、こちらへおいで。今日は、イソルデ嬢はハワード閣下の名代でね。そちらは北都府長官の秘書、ロナルド・カーター殿。
カーター殿、息子のユーハルトと友人のソード・ランドール君だ」
「初めまして」
「初めまして。ユーハルトです」
「初めまして。ランドール伯が次男、ソードです」
初見同士で挨拶を交わし、子息たちはようやく肩の力を抜いていた。
じきに紅茶のお代わりを手配したカルラ夫人が戻り、お手製のクッキーを振る舞うなど、場はいっそう和らいだものになる。
イゾルデは、改めてホッとした。
――――先に、思い切って夫妻に打ち明けてよかった。
今回伴ったカーター氏は北公家の家令の甥で四十代半ばほど。爵位はないが、熟達の域にある文官である。
昨夜の食堂会議のあとすぐに事情をしたためた文書を北都府長官に届け、今朝がた派遣してもらった。
各庁における経歴豊富な実務のエキスパートで、年始の宴に関する諸々は彼に訊けば確認がとれる。
どうも、役人然とした彼を伴ったせいで、コナー家の人びとをいたく緊張させてしまったようだが――
(※じっさいは、男装でなく令嬢姿のイゾルデがもたらす圧。立ち居振る舞いに隙がなく、男装時よりも所作が優美。とにかく華と迫力があるので/使用人視点)
「――ルデ嬢。……イゾルデ嬢?」
「はっ」
「閣下からの竜文が届いたのが昨日の昼下がり。さぞお疲れでしょう。私からご説明を?」
「いえ、カーター殿。それには及びません。少々考えごとをしていただけなので」
思案深い面持ちでこちらを伺うロナルドに軽く首を振り、大事ないと伝える。
大事――――むしろ、本番はここからだ。
いまから自分が述べるのが嘆願なのは間違いない。ユーハルトたちが来る直前にコナー伯夫妻に告げたことを、再度口にする。
ひとつ、三公招集のあと、エヴァンス伯爵領よりも王都側でハワードが“土蛇”の群れと遭遇したこと。帰還が年始の宴に間に合わないこと。
ふたつ、それにより、急遽自分が代わりとなって宴を主催しなければならないこと。
みっつ、主催者が成人前であることを鑑み、招待客に明るい儀典長官のコナー伯爵に側で控えていてほしいということ。
だが、これには問題があって――
「ユーハルト殿。貴方にも宴に参加してほしいのです」
「えっ!? な、なぜですか」
切り出した内容に、ユーハルトはあからさまに動揺した。
イゾルデは、じっとりと目を細めた。
これは、放っておけばこのまま若隠居を決め込む気だったな……と、しみじみと生ぬるい視線を送る。
勿論させない。させるわけがない。
「お母君のカルラ様ですわ。当日、エスコートの相手に相応しいかたは、ご夫君以外では貴方しかいません。北部貴族が総出ですもの」
「あ」
――――まさに盲点、という顔でユーハルトが固まる。
呆気にとられた幼馴染を横目に、ソードはニヤリと笑った。
「たしかに。そういえば俺…………じゃない、私は次男ですし。冬季休暇を前倒しにしましたからね。五日後は、残念ながら仕事です。お役に立てず申し訳ありません。カルラ夫人」
「まぁ残念。……でも、そうね。“アクアジェイルの年始の宴”は貴族家当主とその伴侶、あるいは婚約者。それに爵位を継ぐべき嫡子が参加を奨励されますもの。致し方ありませんわ」
「また今度」
「ふふふ、そうね」
「こら、カルラ。今回だけだよ」
「あらあら」
仲睦まじい夫婦ぶりを見せつけるコナー伯夫妻に、ソードもロナルドもほっこりと口の端を上げている。
そんななか、おそるおそる発言する青年がいた。
「あの……エスコート、ということは。当然そのまま……?」
「お母君のお帰りまでは留まってくださいね」
「……父上は」
「私か? 無理だろうなぁ。例年ならいざ知らず、主催がお若いイゾルデ嬢となれば貴族連中が群がるのが目に見える。建前はどうあれ、まだ婚約者もいらっしゃらないんだからね。守って差し上げないと」
「ぐ」
「そうそう、それに」
「〜〜何です? 母上!」
気のせいでなく、寄って集って集中砲火の気配を察してか、流石のユーハルトも声を荒げた。
ささやかな追撃とばかりに、伯爵夫人カルラは小首を傾げて微笑む。
「あなた、ダンスはできたかしら」
「えっ」
「まあ、嫌だわ。できない? 忘れたの? エスコートをした相手と最初に踊るのは当たり前でしょう」
「ええ? ……いや、それは……そうでしょうけど」
かなり旗色の悪くなった息子に「そうだわ!」と、夫人は手を打った。にこにことイゾルデを見つめる。
「イゾルデ様。大変恐縮なのですが、わたくし、明日からは予定が詰まっていまして……よろしければ、愚息の練習相手になってくださいませんこと?」
「!!!!? はっ、母上!??」
「勿論です。場所はコナー邸でよろしくて?」
「ええ」
「イゾルデ! きみまで!!!」
「……」
思わずいつも通りの呼び方。北公息女に声を荒げる若君に、ムッとロナルドが眉をひそめる。何かを言おうとしたようだが、ここは北公邸でなくコナー伯爵邸であると思い出したのだろう。こほん、と咳払いをした。彼の伯父のジェイド公爵家家令にそっくりだった。
イゾルデは、あでやかに笑んだ。
「ではまた明日。同じ時刻に参りますね。よろしくお願いします、ユーハルト殿。
――――ソード殿も。貴重な休日に時間を割いてくださってありがとう」




