35 二度目の公爵代理 ―選ぶべきこと―
魔獣“土蛇”は、読んで字の如く。普段は土の中に棲んでおり、めったに地表に出ることはない。
が、縄張り意識が強く、一定数以上の密度で数が増えると、移動と繁殖可能な個体が群れをなして新天地をめざす。
速さはゆっくりだが、水脈や固い岩盤を避けつつ、融かしながら「泳ぐ」のだ。
「――だから、付近の地下は非常に脆くなっている、と」
「そうですね。たまたま通りがかった旅人や閣下たちに怪我がなくて何よりです。奴らの『地面からこんにちは』の瞬間に、偶然出くわしたんですから」
「ロドウェル殿、言い方」
「失礼しました。イゾルデ嬢」
* * *
夕食後。
公邸の食堂はそのまま会議室となった。長テーブルにはいつも通り食後茶が振る舞われるが、メイドではなくイゾルデ付き侍女のキーエが給仕する。
なお、傍らでは不動の姿勢で両手を前に組み、ハワード顔負けの厳つい老家令が議事進行を進めた。若い執事たちは書類を手に、順にテーブルに並べてゆく。
未来の当主、および、ひょっとしたらその配偶者になるかもしれない子爵を前に、家令はこほんと咳払いした。
「さて。お二方、そういうわけで、ともに閣下からの文はご覧になりましたね? 通行不可能となった土地はエヴァンス伯が治める峠よりも南。中央貴族のペリエ伯爵領です。
通常であれば、そこから北都までは馬車で三日。急げば二日……ですが、復旧には現地の人足や魔法士団を投入しても七日かかると」
「年末と年始の宴は六日後の深夜。そうね、間に合わない」
「仰るとおりです。お嬢様」
ふむ、と顎に左手の指を添えて、イゾルデは目の前の紙束をとる。肘をつき、閲覧の姿勢になった。
「この、チェックされた項目がすでに済んでいること。皆でやっていてくれたことなのね。ありがとう」
「……は。勿体のうございます」
ぴしりと折り目正しい礼をした家令は、感慨深そうに姿勢を戻した。
――無理もない。いっときは、どこまで破天荒な姫なのかと危ぶまれていた。とくに、イゾルデが幼いときから側近くで仕えていた面々はひやひやしたものだ。彼女の真っ直ぐな気性は、上に立つものとして代えがたい美徳であっても。
そこで、同じ紙面に目を通していたオレンジ髪の青年が呟く。
「残りの項目は五つ。うち、三つは宴の食材に関するものだから総料理長管轄として。招待客の最終確認と名簿の確定、警護の騎士の配備確認は公爵代理の仕事だね。合ってる?」
「左様にございます。グランツ子爵」
書類から顔を上げ、ロドウェルは正面の席に座るイゾルデを見つめた。
「どうしますか? 騎士団のあれこれは俺に一任してもらっても構いません――もちろん、前夜には報告を」
「よろしいのですか? ロドウェル殿は、子爵としての社交もおありでしょうに」
「必要なことはすでに済ませています。お気になさらず」
「流石ですね……」
ほう、と息をついたイゾルデは、すぐに家令に視線を流した。
「北部貴族のほとんどが出席よね。社交嫌いの大叔父様がそこまで彼らを把握していたとは考えづらい……例年はどのように?」
「は。北公領府儀典長官のコナー伯を頼っておいででした」
「「!」」
――――失念していた。
そういえば、ユーハルトの父は北公領府の文官としか認識していなかった自分に呆れ慄く。
同じように(あっ)と、口を開けたロドウェルは、すかさず唇を噛んだ。
一瞬後、つとめて平淡な口調でイゾルデに進言する。
「補助ならミズホ嬢が適役では? 彼女は生ける貴族名鑑ですよ」
「……ミズホ様が、諸侯の事情に明るくいらっしゃるのはわかりますが……」
ゆっくり。
ゆっくりと状況を吟味する。
課されたこと。為すべきことを万全に。
――――そのためには。
イゾルデは、ふるふると頭を振った。
「だめです。“アクアジェイルの年始の宴”は、成人前の子息令嬢も参加を許される。つまり、彼女にとってはマーティン殿と一緒に参加できる数少ない公的行事。そんな貴重な機会を、私の無明を理由に奪うわけには参りません」
「イゾルデ嬢」
「――まぁ! 良いではありませんか、子爵様。早速手配いたしましょう。例年通りコナー伯を招致なさいますか?」
「いいえ」
絶妙なタイミングで喜々と切り出す筆頭侍女に、イゾルデはきっぱり告げた。
「明日、私が直接伺うわ。コナー伯爵の北都邸へ。キーエ、先触れをお願い」




