31 馬車の押し問答
北都アクアジェイルは石造りの建物が圧倒的に多い。そのほとんどが特産のアクア輝石を含むことを考えると、建設当初はよほど景観にこだわって都市計画が組まれたのだろう。
街壁はぜんぶで三重。
地色は乳白色・光の加減でさざ波のような青を映す石――アクア輝石を用いられていることから、古来、北都は「青の都」と呼ばれる。
とりわけ輝石が使われたのは第一外壁の内側のみだが。
それよりも外側は放射状に道が伸び、横道が入り組んで小規模な物件が増えてゆく。主に平民層向けの商店や個人住宅、旅籠などが増えた。純粋な人口増加に加え、移住者や魔獣目当ての冒険者が増えたのだと知れる。
――地図を見れば、北都はジェイド公爵家が治めた年月のぶん、年輪を増す木のように大きくなっている。
* * *
イゾルデはロドウェルに連れられて公邸を出た。
箱馬車にふたり、進行方向を向いてイゾルデ。対面にロドウェル。車窓の景色は流れるように過ぎてゆく。
昼間の観劇らしく、いかにも休日の紳士らしい装いに改めたロドウェルが微笑んだ。
「さて、これから向かうのは“スノウ座”という劇場です。ご存知ですか?」
「え? はい。たしか、北都では一番古い劇場ですね。建設はゼローナ併合後。当時の大貴族が資産をなげうって『新雪のような外観にしたいから』と、わざわざ真っ白な資材を中央から取り寄せたとか」
「すごいですね。そんなことが」
「都のことなので。ひと通り学びました」
「うん。貴女の、関心の方向性がよくわかりました」
「…………はい?」
不思議そうに目を瞬くイゾルデに、ロドウェルはたちまち相好を崩す。ついでに遠慮なく膝を打って笑った。イゾルデは眉尻と口の端を下げた。
「グランツ卿」
「いや、すみません。貶したわけではないんですよ。なるほどなぁと」
「褒めてもいませんよね?」
「とんでもない」
ククッと笑いを噛み殺した橙髪の青年は、おどけたように肩をすくめる。
「現時点で貴女にできることは……そうですね、師とか先達としてのあれこれですが。男としては役得だなぁとにやついただけです」
「……卿のにやつきは、ちょっと豪快なようですね」
「ほら、また」
「?」
ずい、と身を乗り出すロドウェルに、反射でイゾルデは引いた。
背もたれのクッションがふわりと。行き場はここまでだぞ、と告げるようにそれを受け止めた。
「そろそろ『ロドウェル』と、名を呼んでいただけませんか。俺は、俺の肩書きや爵位以前に、個人としても貴女に興味を抱き始めている」
「む。……でも、……では、我が家に滞在される間は『先生』では?」
「却下で」
「〜〜なぜ? あと、近いです!! 近い! 馬車ですよ? 危ないでしょう」
――出立の際、仰々しく公爵家の家紋入りの馬車を使うのは躊躇われた。
よってお忍び用の小ぶりなものを選んだわけだが、車体の高さも席の近さも対面の男性にはぎりぎり及第点なよう。
何かの拍子に倒れ込まれては困る、と、牽制のために突き出した両腕は恭しくとられてしまった。手袋越しの力強い指の感触にぎょっとする。
「!? グランツ卿っ」
「だめですよ、イゾルデ嬢。帯剣なさらずドレス姿の貴女では、こんな風に、あっという間に追い詰められてしまう。嗚呼、なんと危うい」
「……お芝居、もう始まってます?」
「まさか」
パッと手を離したロドウェルに、思わずホッと吐息するイゾルデ。
が、次の瞬間、やはり複雑な表情にならざるを得なかった。
「好きな女性に『先生』と呼ばれて、むりやり安全圏に押し込められるのは好みじゃない。理性の塊みたいなオーウェンとは違います。――――まぁ、彼らが婚約者候補から降りたのは、かなりの決断だったと思いますが」
「……好きって……」
「好きですよ」
にこり、と、今度はやや獰猛な笑顔。
なぜか、イゾルデには少し怒っているように見えた。そのことに、抑えていた気持ちをいいように炙られ、つきりと胸が痛む。
「私は」
「あ、返事はいいです。まだ、貴女の気持ちがこちらにないのは十分わかるので」
「まだ、って」
「まだでしょう」
体を引かせて腕を組み、背もたれに大きな背中を預けたロドウェルが表情を和らげた。すると、ある種の威圧が、ふっと消える。
窓の外は着飾った人びとが増え始め、裕福な平民層から貴族の子女、時おり付き添いらしき紳士がたも映る。
言葉にならない、出口の見つからない心を持て余して通りを眺めるイゾルデに、ロドウェルは、ふと手にした演目状を広げて視線を落とした。
「そうそう。昨今は何でも『婚約破棄もの』とかいう、短い形式のオペラが流行っているらしいです。面白いといいですね」




