27 最適解がわからない
――私、結婚するならユーハルトがいい。私の、婚約者になってください。
だなんて。
(はぁ)
イゾルデは窓際に置いた自室の机で頬杖をつき、柄にもなくため息をついた。
傍らには、昨日から公爵家の客分となったロドウェルから預かった騎士団の業務日誌を積んでいる。
まずは過去の実例から頻出する魔獣の傾向を押さえ、それぞれの討伐方法を教えるとのこと。
優秀、適切。最適解。
日頃の女癖の悪さや、先のゲルン伯爵邸精霊事件。あのときの軟派な態度が嘘のように、仕事が絡めばがらりと雰囲気が変わる。
ロドウェル・グランツは間違いなく将来的に騎士団の重鎮になるだろう。
ちょうど十歳差。一般的な貴族家の婚姻においてなくはない年齢さだ。流石ハワードのお眼鏡にかなった最後の婚約者候補。
イゾルデは、自嘲の笑みを漏らした。
(知らなかった。大叔父様がユーハルトを特別魔法士に任命したとき、内々に婚約者候補にもなるよう打診してくださっていたなんて)
そのことを教えてくれたのもロドウェルだった。帰りの遅い老将軍の代わりに成り行きで一緒に夕食を摂り、その際の会話の種に。
「とっくに知らされているものだと思っていました」なんて、あのひとは笑っていたが。
――――では、なぜ。
(聞き違いだったの? 早合点? 『好き』と言ってくれた気がしたのに…………ああ、もう!)
だんだんとむしゃくしゃが募り、イゾルデは猛然と右に積んだ日誌を上から順に流し見た。初出、希少種、上位種と思われる魔獣討伐の経緯を記した頁には、次々に付箋を挟んでゆく。
これは今夜までの課題だ。
教師としてのロドウェルには何の落ち度も瑕疵もない。
胸に荒れ狂う失望や恥ずかしさはイゾルデ個人のもの。
ゆえに、ユーハルトのことは何も話さないと決めた。
あのとき、みごとに玉砕した。
一世一代だった告白の顛末など。
* * *
「素晴らしいですね。イゾルデ嬢ほどの騎士なら、望んで引っこ抜きたい上司は多いと思いますよ」
「褒めすぎです、グランツ卿」
「いえ、結構本気なんですが」
その夜。
仕事を終えて戻ったロドウェルは、夕食前のひとときを講義にあててくれた。
昼間にピックアップしておいた個別事例はあらかた漏れがなかったようで、質問も理に適っていると褒められ、イゾルデとしては一安心でもある。
そう、婚約するしないはともかく。
能力や年齢、家柄面でのハワードの人選は正しい。文官系貴族を最初から対象外にしているのも、非常に大叔父らしいことではあった。
(文官系……そもそもコナー伯爵家はそっちだものね)
ちくり、と、胸が痛む。
それでも、手柄を挙げたことと養女からのたっての願いで、望む未来への道を残してくれていた。ハワードらしい無骨なやさしさだったのだと、困り眉で笑う。
とんとん、と日誌の端を揃えて机に置いたロドウェルは、目ざとくそれに反応した。
「――冗談でもお世辞でもありませんが。イゾルデ嬢は、砦研修を終えてからとみに乙女らしくなりましたね。ときどき、閣下から申し付けられた仕事を忘れて口説き落としたくなります」
「まぁ……、卿は女性を口説くのが礼儀と思っておられる節がありますから」
「冗談ではない、と言ったつもりですが?」
「意外に公邸のメイドや侍女には真面目に接してくださっているようで、正直、見直しています」
「それは光栄だ」
ニコッ、と瞳を細める。
大輪のひまわりのような笑顔につられ、イゾルデも控えめに口元を綻ばせた。
夕陽が差して、ロドウェルの長く癖のある前髪と鋭利な線の頬を照らす。
髪と同じ色彩なのだな、とぼんやり眺めていると、苦笑を深めたロドウェルにまじまじと見つめられた。
「髪が伸びましたね。おれの前髪とどっちが長いかな」
「……? どうでしょう。揃えるにはまだ早くて、中途半端に伸ばしっぱなしで。耳下あたりは卿より長いですね」
「どれ」
(!)
家庭教師用の椅子を右側に置いて、並んで座っていた。すっと伸びてきた左手を避ける隙がなく、イゾルデは目をみひらいて固まる。
「なるほど。たしかに」
サラサラと毛先を揺らして満足したのか、ロドウェルの左手はすんなりと離れていった。その仕草に。
「!?!? あ、あの。どうしましたか。御気分が?」
慌てふためくロドウェルに、イゾルデは、目からぽろぽろと涙がこぼれていたことに気づく。
驚き、乱暴に手の甲で拭った。
「すみません、どうもしません」
「どうもせず泣く人はいないですよ。あぁ、ほら」
「すみません……」
未使用です、と言い添えられて渡された手巾を目元に押し当て、イゾルデは深く息を吐いた。
適切な。
本当に、意外にも礼節にのっとった距離をとってくれる大人のロドウェルに、つい、胸のモヤモヤをぶちまけたくなる。それだけは戒めていたのに。
ややあって、手巾に覆われた暗闇のなかでも感じ取れる、隣の人物が近づく気配。壊れものを扱うように「おれで良ければ話してみませんか」と、気遣われて。
イゾルデは、ちっぽけな自尊心がぽっきりと折れるのを感じた。
ゆっくりと手巾を外す。暮れ時の光がまばゆくて、苦しまぎれに微笑んだ。
「振られたんです。砦で。『婚約はできない』と、彼に、はっきり断られたんですよ」




